吹く風ネット

数々の勲章

2003年1月27日の日記です。

 長い間開けてなかった、古い書類入れがある。今日何気なく開いてみたら、引き出しの一つに、その存在さえ忘れていた写真が入っていた。量にすると100枚程度で、生まれて9ヶ月目のものから30代後半までのものが無造作に入れてある。
 5歳頃の実家付近や、昭和40年代の小倉駅など、今となってはもう見ることの出来ない風景がそこにある。また、ぼくの記憶の中には存在しない、ステージで弾き語りをやっている姿や、喜多方ラーメンの旅の記録がある。つい懐かしくなって見入ってしまった。

 写真を見ているうちに、一つの疑問がわいてきた。それは、その中にある一番古い写真を見た時だった。どこをどう見ても今の顔に結びつかないのだ。今の顔に当時の面影が残ってないと言ってもいい。
 まず顔の形が違う。今のぼくの顔は、似顔絵のように長めの顔であるが、その写真の顔は丸顔に近い。
 目が違う。その後の写真を見るとどれも目が大きいのだが、その当時はかえって小さく感じる。今のぼくを知る人は、おそらく別人だと思うことだろう。

 それにしても白黒写真の多いこと。20歳ぐらいまでの写真は、もちろんカラーもあるのだが、圧倒的に白黒である。
 そこにある一番古いカラー写真は6歳の頃のもので、それ以降高校2年までは白黒しか存在しない。
 高校2年の時のカラー写真は、夏休みに鹿児島・宮崎に行った時のものである。その後20歳までの写真は、また白黒ものになっている。

 ところで、そのカラー写真だが、意外なことに気がついた。6歳の時の写真のほうが、高校2年つまり17歳の写真よりも質がいいのだ。
 これはどういうわけだろうと考えていたが、ふと思い当たることがあった。ぼくが17歳の時といえば、1974年である。1974年といえば、オイルショックの翌年である。オイルショックの時、何があったか。そう、紙不足だ。トイレットペーパーが、店頭からなくなっていた時期だ。
 その影響は出版業界にも出ていた。73年版の『ノストラダムスの大予言』という本をいまだ持っているのだが、その紙の質の悪いこと、ほとんどわら半紙状態である。
 あの頃は、紙と名がつくもの、すべての質が悪かったのだ。写真にも影響が出るのは当然である。

 そう考えると、鹿児島写真は、その時代を反映しているということになる。これは大きな発見だ。ぼくは今まで自分の写っている写真を、白黒でしか残ってないとか、色が悪いなどという理由からあまり見ることはしなかった。しかし、そういう質の悪い写真こそが、確かにあの時代に生きたという証である。いわば勲章である。
 そうやって見ると、ぼくはずいぶん勲章を持っていることになる。


 この20年前の日記を読んで気付いたことがある。それは、それ以来その書類入れを目にした記憶がない、ということだ。
 いったいどこに行ったんだろう。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「過去の日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事