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しんごの部屋2

訪問ありがとうございます。
随想を主としたブログです。
つれづれなるままに書いています。

記憶力が衰えても

2009年12月16日 | 日記
「私は私として生きてゆきたい。」
二年前、若年性認知症の本人会議に、妻が出席した時
その場で妻が発言した言葉です。

アルツハイマー病との診断を受けた時、医師から「本人に告知しますか?」との問いに、即座に告知することを選びました。結婚した時から夫婦で話し合い、確認してきたことは「どんな困難がやっと来ても、それから逃げないで、二人でその困難に向き合ってゆきましょう。」ということだったからです。

本人会議は、主要新聞やNHKなどのマスメディアにも取り上げられましたが、妻は写真や実名が公表されても良いと言いましたから、妻の発言は報道でしばしば取り上げられました。

まだまだ、認知症に対する理解が、日本では正しくなされていない状況ですので、
後の周囲の人々の反応に、多少の不安もありましたが、実際には、認知症を抱えながら社会の中で「私は私として生きてゆく。」という、自分の人としての尊厳を保って生活してゆくには、隠すよりもその病を公表するほうが良いと、今では感じています。

たとえ、妻の病状が進んで、夫の私が分からなくなるようなことになったとしても、妻は私にとってかけがえのない、愛する妻であることには変わりはありません。妻の人格の尊厳は、記憶力が衰えても変わることはありません。

しかし、真近な記憶が出来ないで、同じことをとめどもなく繰り返す妻と生活することが、容易でないのは事実です。妻がどれだけ辛いかは、彼女がよく讃美歌にある歌詞の一節♪冬なく苦もなき天国に行かせよ♪を繰り返し歌っていることで、私には痛いほど伝わってきます。「この歌を聴き続ける私の辛さも理解してほしい!」と思うのですが、そのことは彼女には言わないと、私は心に決めています。

37年前、神の前で、互いに「その健やかな時もやむ時も、これを愛し、これを敬い、これに仕え、力の限り節操を守ることを誓います。」と誓った言葉の重さを、かみしめているこの頃です。blogram投票ボタン

今日は私の娘がクリスマスの説教を

2009年12月13日 | 日記
アドベント第三週の日曜日の礼拝がありました。
今日の礼拝の説教は、伝道師をしている私の娘でした。
旧約聖書で救い主の誕生の場所がユダヤのベツレヘムと
預言している個所(ミカ書)からの話でした。

クリスマスシーズンの説教は、これまでは、私一人で
してきましたから、今日は聞く側で、改めて救い主の
御降誕をじっくりと味わうことが出来ました。

一歳の子供を育てながらなので、礼拝説教の準備も、
十分に出来ないのではと思っていましたが、良く準備
された、良いメッセージで、牧師である私も、とても
恵まれた気持ちになることが出来ました。

宿屋には

2009年12月10日 | 日記
アドベントに入り、聖書の降誕の記事を良く開きます。妻が教会学校で話す個所はルカによる福音書2章と言っています。宿屋には身重のマリヤとヨセフを泊める部屋がなく家畜小屋でキリストが生まれることになります。
今の時代こそ、世界は救い主を必要としていると私は思っています。
子供にも大人にも、希望と神の愛がひつようですが、人々は前にある事柄だけに心奪われ、本当に必要を満たすことのできる、生きておられる救い主を、心に入れる余地がないのが現実です。かたわらの家畜小屋に実は救いの希望があるにもかかわらずにです。

よろしくおねがします。

2009年12月10日 | 日記
ブログ「しんごの部屋2」はじめました。以前に、HP「しんごの部屋」やブログ「しんごの部屋」「愛されている君に・・・」「幼子のようにならなければ」などを通して多くの方とお知り合いになれたことを感謝しています。
更新がどれだけできるか分かりませんが、頑張ってみたいと思っています。
よろしくお願いします。気が向いた時にはコメントもお願いします。