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「ちはやふる2」4首「ひとにはつげよ あまのつりぶね」感想。太一の成長と親離れ

◎「ちはやふる2」
  第四首「ひとにはつげよ あまのつりぶね」


 わたの原
 八十島(やそしま)かけて
 漕ぎ出でぬと
 人には告げよ
 海人(あま)の釣舟

  (参議篁。百人一首の11番目の歌。)


〔意味〕
 大海原のたくさんの島々めがけて舟を漕ぎ出してしまったと、都(みやこ)にいる人に伝えてくれ。漁師の釣舟よ。


 「わたの原」とは綿谷新(わたや あらた)と「わた」がかぶるので新の話かなとか、「人には告げよ」というのは、1人寂しく流刑に処された悔しい気持ち、悲しい気持ちを告げてくれという歌なので、何かの別れの話かなとか思って見ましたが、そういうわけではないようなあるような話で。


○ 冒頭、新が両親に、高校選手権に優勝したら何かをお願いしようとしたところでオープニング曲に入りましたが、故郷を離れて、千早や太一のいる東京に再び行きたいと言おうとしたのでしょう。

 すると、歌にいくらかは合います。
 歌は悔しい別れ、新は前向きで希望のある故郷や両親との別れであり、同じ別れでも性質は正反対ですが。


○ B級からA級になかなか上がれない太一について、A級の実力があると思っている かるた会の原田先生(cv石塚運昇)が太一に「個人戦は団体戦、団体戦は個人戦だよ。」と試合前に言いましたが、意味の分からない太一。

 敵チームの顧問の先生である坪口広史(太一と千早と同じ かるた会の先輩。cv高橋研二)が「君は周りが見えすぎる。」と太一のことを評していて、そこを責めるセコイ手を部員に指導していて、かるた部の精神的支柱である太一はリズムを崩して劣勢になります。
 それにより、努力で勉強とかで一番になってきた太一は、千早よりも かるた の努力をしている太一は、努力は本当の才能(千早や新のこと。)の前には無駄ではないかという思いに囚われ、その思いが一層強くなっていきます


 (千早や新には才能があると思っているけれど自分には才能はなく努力家としか思っていない太一は、努力では追いつけないかも知れない2人に引け目を感じていると思われます。)


 後半で、自分の上の1つだけ故障したエアコンのせいで暑くて絶えられなくなり、「誰かタオル!」とタオルを忘れた太一が結構みっともない声で叫ぶか叫ばないうちに応援席の菫やお姉さんやおばさんの5人が同時にタオルを投げたところ、千早と5人の表情を静止画で見せたところはクスッとしました。

 モテモテですね。でも太一は千早以外を気にも留めていないですが。


 ただ、隣の隣で試合中の千早も乗り出してタオルを出すところは、試合中にかるた以外のことに千早の目が向いていたことがちょっと意外。

 千早の行動は通常ならまず考えられないと思いますが、千早といえども暑さで集中力がそがれていたことを表すとともに、この2ヶ月で太一が千早を好きだと嫌でも気付いた菫との三角関係、そして、太一を見ていないと思っていた千早が太一を見ているかも知れないと菫に意識させるためでしょう。

 しかも、太一が最初に使ったのは千早のタオルでしたし。


○ なお、タオルを渡すときの千早の笑顔に笑ってしまいました。
 ↓「人類は衰退しました」の妖精さんのようなこんな顔。

 ・ワ・

 まぶしく描かれた背景もあって少しやり過ぎの表情に思いますが、制作者の遊びでしょうかね。


○ みっともなくてもタオルが欲しいと言ったことで吹っ切れたのか(千早がタオルを差し出したときの顔を見て落ち着いたわけではないでしょう。)、太一が自分の かるた に集中します。

 様子の変化を見て、「そうだ、マツゲ君(太一のこと。)。団体戦は個人戦。仲間を信じて、一人になれ。」と思う原田先生。


 太一は、他の部員の勝敗にも気付かないくらい集中し、自分のために戦い、巻き返して勝ちました。

 勝ってから最初に使ったタオルが千早のものだったのは無意識でしょうが、太一の無意識としては当然であり、千早のタオルと意識していれば照れで他人のタオルを使ったかもしれません。
 そのとき、菫も見ていたことでしょう。千早に負けるもんか、と思ったはずです。


○ 太一は子供のときから一番になるように親から言われ、努力してそのように出来てきたわけですが、周りを気にして努力を重ねることが出来てきたわけですが、それもあって周囲に気配りをして周囲が見えすぎるようになったのでしょう(そこまで努力が出来るということ自体、かなりの才能だと思いますけれど。)。

 それが かるた にも影響して、あれこれ気になって自分の試合に集中できないということになり。


 つまり4話は、太一が親離れして精神的に独り立ちする過程(精神的親殺し)を描いたわけで、太一が一回り成長したわけで、そういう意味では「人には告げよ海人の釣舟」という歌にもある程度合うわけで、A級になる日も近いでしょう。


 ただ、周りを気にして集中力に欠けてA級になれなかったのであれば、A級になるために他県に1人で行って試合をしたときにはあまり関係ないはずで、既にA級になっていてもおかしくはない理屈になりますが。

 そこは、A級に上がれないと恥ずかしいからとして、格好つけていたいから遠くの県に行って試合をしているという開き直りの無さと、親離れできていない甘えと甘さと、なかなかA級に上がれない焦りが動きを鈍くしていたとか、真面目さが裏目に出ているというそんな理屈なのでしょうかね。


○ さて、3話からまぶしい光にあふれた表現が減ってきて、それは春が過ぎたからでもあるのでしょう(2話までは4月の話、3話からは6月の話。)。

 それでも千早が気合を入れたりするときなどに時々使われますが、このくらいの頻度だとメリハリもあって良い感じです。

 残念な性格の千早が、3話で奏が思っていたように性格は男扱いの千早が、見かけは美人であることを思い出させる効果もありますし。


【shin】
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