お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

怪談 青井の井戸 24

2021年10月03日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 父の部屋へまいりますと、障子戸は開け放されており、中の様子が見えております。父が床の間を背にして座し、その前に母が座しておられました。わたくしは作法通りに廊下に坐し、名を告げます。
「きくの……」父はわたくしを手招きなさいました。このような父の不躾な態度を初めて見ました。「母の隣に座れ」
 わたくしは一礼して立ち上がり、母の隣へと進み、座しました。その間、母はわたくしを見ることはございませんでした。わたくしも母を見ようとは致しませんでした。
 わたくしは居ずまいを正し、父の言葉を待ちました。庭の花や葉を打つ雨の音が聞こえてまいりました。
「……殿が身罷られた……」父がおっしゃいました。「先日までは、いつもとお変わりなく過ごしておられたそうだ。……それが明け方、急にお苦しみになられた……」
「左様でございましたか……」
 母がおっしゃいます。父は大きくうなずかれました。
「医者も何の手当も出来なんだそうだ……」
「何とお気の毒な……」
 わたくしには、この父と母のやり取りを漠然とした思いで聞いておりました。母は殿の側近のお家柄の一つ、高頭家からの輿入れでございましたし、殿が縁結びをなさったとか伺っております。殿を見知っておいででございましょう。一方、わたくしは殿とはご面識がございませぬ。でございます故、特段の感情も湧きませぬ。お亡くなりになられたとの事実を知っただけでございます。
「……お前も聞いてはおろうが、跡は御子息の松幸様が継がれる」
 父の言葉に母は、はっとした顔をなさいました。
「松幸様とおっしゃるは……」
「左様じゃ。松幸様は、我が青井の家を宜しく思うてはおらぬ」
「……はい、その事、高頭の父より聞いた事がございまする」母は苦渋のお顔で続けられます。「松幸様が高頭の父に向かって、青井に嫁がせるとは高頭家末代までの恥、とおっしゃったとか……」
「それはわしも高頭のお父上より聞いた。それ以降、元より少なかった往き来が途絶えた」
「何とも、申し訳の立たぬ仕儀にござりまする……」
「気にするでない。気にしたところで詮無い事じゃ」
「はい……」
「松幸様は、青井の生業を忌み嫌っておいでだった」
 わたくしは、あの夜の事を思い返しておりました。あの夜以降、わたくしの中の青井の血に潜む鬼が目覚めそうなのでございます。
「では、どうなさろうと……」
 母のお顔が見る見るとお青褪めてまいりました。
「青井は断絶と言う事となろうな……」
「まさか、そのような…… 青井は代々殿にお仕えした家柄でございまするぞ」
「その殿が、もう役に及ばずとおっしゃれば、そこまでだ。実のところ、すでにそう言う話が出回っている」
「そうはおっしゃいますれど、殿ご自身からのお言葉は出てはおりますまい?」
「遅かれ早かれと皆陰で言うておるわ」
「なんと、口さがない者どもでござりまする事……」
「元々、他家にも良く思われてはおらぬ青井だ。致し方なかろう」
「……なんとも口惜しい事でございまする……」
「きくの……」
 父はわたくしに向かいおっしゃいました。わたくしは畳に手を突き、軽く頭を下げ、下知を待ちます。
「お前は、まだ青井に生業を知らぬ。この際じゃ、知っておくが良かろうと思う」
「いいえ、お父様」わたくしは顔を上げ、父を見つめて申しました。「お二人のお話から、決して褒められぬ生業と拝察いたします故、聞きとうはござりませぬ」
 本当は、青井の鬼のような生業を存じておるのでございますが この場では敢えて知りたくはないと申しあげました。知っているなどと申しあげれば、あの夜の事も話さなけれななりませぬ。父と母を驚かせることになると慮るよりも、正直、面倒と思えたのでございます。
「……左様であるか」父は戸惑っておいでのようでしたが、何とか威厳を取り繕われました。「ならば、申すまい。……ただ、覚悟はしておいてもらいたい」
 母は無言で頭を下げました。わたくしはじっと父を見ておりました。


つづく

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 怪談 青井の井戸 23 | トップ | 怪談 青井の井戸 25 »

コメントを投稿

怪談 青井の井戸(全41話完結)」カテゴリの最新記事