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怪談 青井の井戸 3

2021年09月10日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 床板を音高く踏み鳴らしながらこちらへと向かって参ります父に、わたくしは頭を下げます。ここの所、父の御機嫌が宜しくなく、些細な事でも気に食わぬと怒るようになり、今まで以上に青井家の空気は張り詰めたものとなっておりました。わたくしは知らずに震えていたようでございます。
「声を立てて笑うとは、この恥知らずめが!」父はまずわたくしを叱責なさいました。「青井の家の者が軽々しく笑うでないわ!」
「……はい、申し訳ございませぬ……」わたくしはさらに頭を下げました。父の顔を真面に見る事も出来ません。「お父様に恥をかかせてしまいました……」
「そこな坊主!」父はわたくしの謝罪を取り合おうともせず、すぐさま、お坊様に向かって声を荒げました。「その薄汚い形で、良くも我が屋敷に忍び込みおったな! 物乞いに来きおったのか! 顔を見せい!」
 一方的な物言いの父に、わたくしははらはら致しましたが、お坊様は素直に網代笠をお外しになられました。
 うっすらと伸びた髪、顔の下半分を埋め尽くした髭。一見怖くもありましたが、その眼差しは優しゅうございました。
「これは失礼を致しました」お坊様は穏やかな声でお答えになると頭をお下げになりました。「拙僧、決して物乞いで参ったのではありませぬぞ。……なんと申しますか、ここのお庭の甘やかな花の香りについ釣られましてな。裏木戸が開いていたを幸いと、ついふらふらと……」
 お坊様はその場でからだを軽くお揺らしなさいました。その仕草が面白うございましたが、父の手前、ぐっと奥歯を噛み締めておりました。
「ふん! 蝶や蜂でもあるまいに!」父はますます不機嫌にお成りでした。「物乞いでなければ、早々に立ち去れい!」
 父はそう申しますと、来た時以上に床板を激しく踏み鳴らし、奥へと戻って行かれました。
「不躾な父で……」父の姿が見えなくなって、わたくしはお坊様にお詫びを申し上げました。「近頃、あの様に、いつもご立腹で……」
「いやいや、こんな不審な坊主が迷い込んだら、誰でも腹を立てますわい。気にする事はありませんぞ」
 お坊様は笑顔でそうおっしゃると、網代笠をかぶり直されました。
 ふとその手が止まりました。じっと庭の隅の方を見ていらっしゃいます。
「あれは……?」
 お坊様がおっしゃったのは、もう使われなくなって久しい、古い井戸でございました。


つづく

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