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怪談 青井の井戸 14

2021年09月22日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 ばあやは母に一礼をいたしますと、その場を離れました。月明りの元、じっと立っておいでの母のお姿は、美しくも妖しいものでございました。
 しばらくすると、ばあやが木箱を引きずって来ました。大きくて真四角な木箱でございました。ばあやは手前の左右の角を握り、腰を落としながら曳いております。ずずずと地と接する面が音を立てております。
 あのような木箱、わたくしは見た事はございませんでした。一体どこにしまってあったのでございましょう。青井の家の産まれであるわたくしでござますが、知らぬ事が何と多い事かと、驚きと共に、いえ、それ以上に、何も教えられぬ子供のような扱いへの憤懣を持ったのでございます。
 ばあやはふうふうと荒い息をしながら、一つ引きずっては休み、一つ引きずっては休みを繰り返しておりました。
 わたくしはばあやの様子を気の毒に思い、手伝いのために飛び出そうと致しました。ですが、寸での所で思い留まりました。
 それにしましても、母の様子が気になりました。母は、大変そうなばあやを手伝う事無く、平然と見ております。月明りで見えたそのお顔には、忌わしいものを見つめていると言った様子が窺えました。
 ばあやは木箱をあの井戸の脇まで引きずりました。高さも幅も井戸の木組と同じでございました。その一辺に、木箱を押し付けました。横から見れば、真四角な箱がぴたりと接して二つ並んでいるようでございます。
 ばあやはふうと大きく息をつき、袂から出した手拭いで額の汗を拭ってております。母は、そのようなばあやに労いの言葉を掛けようとはなさらず、無言のまま井戸と木箱とを見ていらっしゃいました。
 わたくしは、これからどうなるのかと目が離せませんでした。とは申しましても、見てはならぬものであろうとは思いました。先程、ばあやを手伝おうとの思いを留まらせましたのも、ここでわたくしが出ますれば、良からぬ事になりそうな、そんな気が致したからでございました。
 不意に背筋が冷たくなりました。決して夜気が涼しいだけではございませんでした。何やら薄気味悪さが内より湧いてまいりました。これ以上はここに居てはいけない、そう思ったのでございます。……それは青井の血がざわめくのを抑えるためだったのやもしれませぬ……
 わたくしは踵を返し、屋敷に戻ろうと致しました。その時でございます。
「お帰りなされませ……」 
 母が声を潜めておっしゃいました。
 父がお帰りになったのでございます。


つづく


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