司法制度に喧嘩を売る。

動き出した司法改革。
法科大学院生が感じる、新司法制度の抱える問題をぶっちゃけトーク。

カリキュラムが改善できない。3年間は動けない。

2005-05-26 18:32:29 | 法科大学院の実際
しばらく放置してしまいましたが、ちょっと思うことがあったので投稿してみます。

以前の記事で「カリキュラムが超詰め込み型だ」と指摘しましたが、それは教員側も共通して思っている事らしいです。そこで、「それなら、カリキュラムに手を加えたらいいんじゃないですか?」と言ってみたところ、返ってきたのは「いや、ロースクールは設立後3年間カリキュラムとかを維持しなければいけない事になっている。」どうやら、3年経過した段階で第三者機関による評価が入って、適正に運営されているかどうか調べられるらしいです。

もともと、この制度は“設立時にはキレイ事を並べといて、設立後に司法試験予備校化しちゃいました”といった法科大学院や、“設立時には公平・公正な入試をやると言っておきながら、実際は内部生をメチャメチャ優遇しています”という法科大学院を是正・排除する目的です。でも、設立申請時には気づかなかった問題が発生した時に、それを是正・改善するための変更も禁止する必要があるんでしょうか。

我々初期メンバーは、実験台ですか? …カンベンしてよ、全く。

カリキュラムの変更などに関しても一律に禁止・制限せずに、文部科学省に理由を付して申請すればいいのでは?司法制度改革のモルモットには絶対になりたくないもんです。

他人の気持ちが分からない、弁護士『先生』。

2005-05-07 02:45:43 | 法曹界の現状
マスコミに度々登場するタレント弁護士が増えてから、弁護士に対して親近感を持つ方が増えたかもしれません。

では、弁護士は一般市民に近づく為に努力をしているのでしょうか。

答えは…残念ながら、全面的に肯定はできないでしょうね。

弁護士業って、結局は接客業なんですよね。依頼主から事情を聞いて適切な法的アドバイスをすると共に、訴訟では代理人として依頼主の為に頑張る…というのは、『お客様に喜んで頂く(+求める)サービスを提供すると共に、お客様の為に精一杯努力する』というサービス業の精神と根っこは同じ訳です。
しかし、弁護士という地位が一定の社会的ステータスとなっている今、この精神を忘れたアホ弁護士がごく一部存在しているようです。
サービス業の基本は『お客様の立場になって考える』事。でも、それが出来ない・やろうとしない弁護士がいます。なぜなら弁護士は社会的強者だから。社会で困っている人がなぜ困っているのか理解できない、下手すると理解しようともしないで自らの価値観を押し付けるケースさえあります。例えば、

● 夫からのDV被害者に対して『アンタの我慢が足りないだけだ』と言い放つ弁護士
● 強姦の被害者に対して『なぜ逃げなかったのか』『なぜ全力で抵抗しなかったのか』と言う弁護士(検察官・裁判官にもいますね)

などなど。挙げればキリがないですが、これは実例ですよ、実例。
↑の実例を作り出してしまう司法制度の構図に関してはブログでも取り上げる予定なので、詳細は今後の記事に譲りますが、とりあえず弁護士を頼まなければならない状況になったとき、どうやって真っ当な弁護士と不良品の弁護士を見分ければいいのでしょうか。

…という内容を書こうとしたら、既にドンピシャの新書が出版されてました(笑)。
加茂 隆康(著)「よい弁護士、悪い弁護士 ―弁護士とのつきあい20ヶ条―」〔中公新書ラクレ/2001年〕

著者は現役の弁護士です。弁護士自身がこんな内容の本を執筆するのですから、専門家から見ても目に余る弁護士がいるのでしょう、恐らく。

とにかく重要なのは、「こっちは客なんだ」と思う事、そして「こっちが選んでやるんだ」と思う事ですかね。希望や要求は躊躇せずに伝え、それに応じてくれそうもない弁護士でしたら、サッサと引き揚げて他を当たる…位の気持ちでつきあうのが、まともな弁護士を選ぶ第一歩でしょう。


本

未修者1年生の授業、予備校以上に詰め込み型か?

2005-05-06 00:55:52 | 法科大学院の実際
そもそも司法試験予備校に通った経験が全くないもので、本当かどうかは判断できませんが。


どの法科大学院でも構いませんので、どこかのホームページで「カリキュラム」をご覧下さい。
(未修者の)1年生が学ぶ内容が掲載されていますので、一年間でマスターしなければならない法律科目の数をカウントしてみて下さい。

各大学院によって科目の命名方法や配当学年が違いますが、大体こんな感じではないでしょうか。
憲法全範囲(人権+統治)
民法全範囲(総則+物権+債権+消費者契約法や不動産登記法などの関連法)
  ※ ロースクールによっては家族法も必修科目に含んで、文字通り『全範囲』扱います。
刑法全範囲(総論+各論:週2回×15週で全てを講義するスタイルも見られます)
商法全範囲(総則+商行為+手形・小切手+会社)
行政法全範囲(半期15回で全部扱う大学院が多いのでは?)
● その他基礎法学・隣接科目(大学の一般教養科目に相当)

民事訴訟法や刑事訴訟法は、やはり実体法が理解できていないと意味がないとの判断で、2年次配当になっていると考えられます。
予備校のカリキュラムと比較すると、これは決して厳しすぎるものだと言い切れません。しかし注意しなければならないのは、法科大学院の設置目的に予備校教育からの脱却がある事です。
オイシイトコ取りの論点重視で展開される、従来の予備校式授業だったら時間は足りるかもしれませんが、法科大学院の教員はこの時間設定にも関わらず判例の批判、学説の展開、少数説の紹介、最先端の研究内容などを盛り込むので、最終的に時間が足らなくなるのです。

実務家になった後を考えると、今までの予備校にはなかったテイストの内容は必要です。何が悪者かって、兎にも角にも時間が足りない。
ただし、むやみやたらに時間だけを延ばすのでは解決策にはなりません。考えられるベターな策は、未修者1年生からもっと少人数教育を徹底して充実させる事。ただ、それに耐えられる人材が、全ての法科大学院に行き渡るだけの人数はいないでしょう。

色々突き詰めて考えていくと、最終的には『日本の法科大学院生はスタート時点から飽和状態』なのかもしれません。法科大学院の設立申請段階で文部科学省が何の制限も設けなかったために、人材が全国に分散してしまった面があります。現在、日本全国で74校の法科大学院で法科大学院生が新司法試験を目指して勉強しています。

ちなみに韓国もロースクール制度を立ち上げるそうですが、日本の反省を踏まえて全国に8校しか開設しないとか。

情けないかな悔しいかな、反面教師にされてしまった日本なのでありました…。



本

見切り発車の法務省、それを認める法務省。

2005-05-02 15:43:29 | 新司法制度の動き
読んでいて、気が滅入ってきました。


何を読んだかというと、法務省の司法試験委員会が平成17(2005)年2月28日に発表した「併行実施期間中の新旧司法試験合格者数について」です。
結局、新司法試験制度についてはほとんど決まっていないのに、とりあえず見切り発車しちゃいましたぁ…という様な香り(?)が、この司法試験委員会の文章からプンプンします。3100字ちょっとの中に、同じ用語(特にネガティブな意味を持つ用語)の繰り返しが多いんですよね、これが。例えば、

『困難』=3箇所発見。
『新司法試験の合格者の予定数を一定の数値で長期的に示すことは困難である。』
『(実際の受験者)数をどの程度と見込むかを数値化して示すことは困難である。』
『現時点で将来の受験者数を予測して的確な見通しを立てることは困難であり,』
『不確定要素』=3箇所発見。
『新司法試験については不確定要素があまりにも多いため,』
『新司法試験については,前述のとおり不確定要素によるところが大きいことから,』
『また,同19年については,同18年の試験結果等とも関連して更に不確定要素が増えるが,』

更に、こちらはネガティブな意味を持つ用語ではありませんが、これが読んでいてムカつく程登場します。

『厳格な成績評価及び終了認定』=4箇所発見。
『その実際の受験者数の動向については,改革審意見が強く求めている「厳格な成績評価及び修了認定」の具体化に大きく左右されることとなる。』
『とりあえず入学者数を基本にして新司法試験の受験者数の動向を想定すると,平成18年は,同16年に入学した2年コースの学生約2,300人のうち,「厳格な成績評価及び修了認定」を経た者(当然のことながら,現行司法試験に合格した者は除かれる。)がその受験者数のベースとなり,同19年以降は,毎年新たに約6,000人程度の学生のうち「厳格な成績評価及び修了認定」を経た者がそのベースに加わっていき,受験機会が3回であることを勘案すると,同21年以降,受験者数がおおむね平準化していくものと予測される。』
『法科大学院において,厳格な成績評価と修了認定が実施されることが不可欠の前提であり,質の高いプロセスとしての法曹教育が適切に実施される必要がある。』

わざわざカギカッコを付けている位ですから、よっぽど強調したいんでしょう。
法務省のお役人さんや司法試験委員の皆様は、この文章で何を言いたいんでしょうか。


法科大学院生の不安を煽りたいんですかね?


新司法試験に関しては、その予想が『困難』『不確定要素』があまりにも多いからどう転ぶか分からんが、法科大学院は『厳格な成績評価及び終了認定』でデキル人間だけ卒業させなさい…という事なのかしら。『困難』『不確定要素』たっぷりの司法制度改革をしたのはあなた方でしょう!?そんなユルユルで穴だらけの制度をこしらえといて、法科大学院に厳格さを求める資格があるんでしょうか。
ひとつ前の記事で紹介したAERAの記事では、新司法制度を設計した法務省と法科大学院制度を設計した文部科学省の連携ミスを指摘しています。国を挙げた改革をやろうとしたのに、未だ縦割り行政的影響が抜けないお役人さん達に、もはや同情です。でも、彼らだけが悪い訳じゃないですよね。ごめんなさい。

自分は今年、未修者コースの1年生ですから、実際に新司法試験を受ける頃には現在よりも実態が見えているかもしれません。数年度分の過去問も、受験者の経験談を聞く機会もある程度あるでしょう。
しかし、法科大学院も新司法試験も一期生となった先輩方の苦労を考えると、頭が上がりません。先が見えなくても、五里霧中だとしても、とりあえず試行錯誤してみなければならないのですから…。



本

予防線を張る教員、『当たり』『外れ』の教員。

2005-05-01 16:46:24 | 法科大学院の実際
「新司法試験に向けた勉強は自分でやるものだ。法科大学院はその手助けをする場だと考えてほしい」…。ほぼ全てのロースクールが、こんなスタンスで運営しているのではないでしょうか。特に大規模校は尚更です。

『合格したけりゃ努力しろ』という事は分かってます。

こっちだって、法科大学院の教員に予備校と同じ事など求めていません。だって、法学部から転属してきた研究者教員や実務家教員の中で、今まで『教育』というものに全力投球した経験のある方、どれ位います?

実務家教員はまだマシですよ。法廷やクライアントの前などで他人にプレゼンをする機会がありますから、ある程度の話し方を習得されている方が多いです。それに、内容も経験に即して生々しい(?)ので、聞いてて面白いですし。

研究者教員の方々を見ていて感じる事。ロースクールという新たな舞台に来て、努力されている先生とされていない先生の差が激しすぎる。「お前は何様だ!?」と非難される事を承知で正直に言いますが、授業を受けていて担当教員の当たり外れが大きくて困ります。『外れ』の先生が担当した法律科目を受講して、例えば定期試験で受講者の平均点が悪くなったら、そんな先生に限ってご自分の授業を棚に上げて「努力が足りない」とか発言されるんでしょうね、きっと。

学習ペースから学習内容から、あなたの授業に撹乱されているようなもんです。

研究をやる時間を削れ、とは絶対に言いません。しかし、今までの法学(部)教育が疎かにしてきた『人を育てる』という面、もっと追い求めてみませんか。「私たちは手助けするだけだ」なんて、ロースクール制度が失敗した時に備えて予防線を張る発言はやめませんか。

せめて「“おんぶに抱っこ”とはいかないが、私達も出来るだけサポートしますよ」みたいにポジティブな発言をお願いしたいです。入学早々、「受かるも落ちるも自己責任だから、勝手にしろ」と言われているようで、ちょっと気分が悪い。法科大学院って、新司法試験の受験資格を高いお金で買いにくる場所ではないですよね?どんな点が付加価値なのか、見定めていこうと思います。

早速キツイ内容にキツイ口調で、申し訳ないです…。