ロースクールの目玉の一つは、『少人数・双方向授業』でしょう。特に、双方向に関しては“ソクラテス・メソッド”“ソクラティック・メソッド”などとネーミングされ、多くの学校のパンフに登場していることでしょう。
しかし…教員は、真の双方向性を理解しているのでしょうか。
学生側がきちんと予習をするのが大前提ですが、それでも「ただ指名して答えさせればいい」と考えている教員が大勢を占めている感じがします。ただ単に論点や判例・通説を答えさせるのではなく、学生個人の意見や考え方まで突っ込んだ議論ができれば最高なのですが、どうも高校の授業風景と変わらない状況があるように思えてなりません。あと、とにかく課題を課せば双方向授業をやっていると思い込んでいる教員もいるでしょうが、そんなのは妄想です。レポートを提出する行為は、一見すると「教員からの課題→学生」と「学生からレポート提出→教員」という双方向性を含んでいると勘違いしがちですが、結局は学生が自らの意見や学習成果を教員に示しているだけなんですよね。真の双方向性は、単に課題やレポート用紙が行き来するのではなく、学生/教員のアクションに対してもう一方の教員/学生がリアクションすること。学生のレポートに対して評価を下したり、何らかのコメントを教員が述べるところから、双方向性の第一歩は始まります。
ロースクール先進国であるアメリカでは、学生にどんどん発言をさせて学生主体に授業を展開しますし、なかには既存の学説をしっかり研究した上で持論を堂々と展開する学生もいるらしいです。教員側も、突飛な意見が噴出するのを予想済みですので、新たな意見に対して「ココが矛盾していないか」「その説だと○○の場合はどのように対応するのか」といった指摘をしていくスタイルだとか。
それに比べて日本の法科大学院制度は、卒業後に合格枠3割と言われる新司法試験に合格することが至上命題ですから、そんな『余計なこと』と思われる持論の展開など、やる人間がいないでしょうし、そもそもそんなことをできる時間的余裕がありません。加えて、教員側も学生側のイレギュラーな反応にどこまで対応できるのか、未知数です。学者の中には自説や異説を認めたがらない方もいますから、学生の発言を認めた上でそこから授業を展開できる教員は、一握りもいないでしょう。
どんな勉強でも、時間をかけないとよい効果は出ません。もっと精神的・時間的余裕が欲しいものです。
このままだと、法科大学院=文科省+法務省お墨付きの新設司法試験予備校になりますぜぃ。
そういえば、以前ある人が「ソクラテス・メソッドは、元々ソクラテスとプラトンが行ったスタイルだ。要は、両方共“神”レベルなんだよ。それを法科大学院生と教員の間でやろうっていっても…」と呟いているのを耳にしました。2~3年で神レベルになるのは不可能でしょうが、教員側も院生側も、せめて数年間で凡人レベルまでには達したいものです。
しかし…教員は、真の双方向性を理解しているのでしょうか。
学生側がきちんと予習をするのが大前提ですが、それでも「ただ指名して答えさせればいい」と考えている教員が大勢を占めている感じがします。ただ単に論点や判例・通説を答えさせるのではなく、学生個人の意見や考え方まで突っ込んだ議論ができれば最高なのですが、どうも高校の授業風景と変わらない状況があるように思えてなりません。あと、とにかく課題を課せば双方向授業をやっていると思い込んでいる教員もいるでしょうが、そんなのは妄想です。レポートを提出する行為は、一見すると「教員からの課題→学生」と「学生からレポート提出→教員」という双方向性を含んでいると勘違いしがちですが、結局は学生が自らの意見や学習成果を教員に示しているだけなんですよね。真の双方向性は、単に課題やレポート用紙が行き来するのではなく、学生/教員のアクションに対してもう一方の教員/学生がリアクションすること。学生のレポートに対して評価を下したり、何らかのコメントを教員が述べるところから、双方向性の第一歩は始まります。
ロースクール先進国であるアメリカでは、学生にどんどん発言をさせて学生主体に授業を展開しますし、なかには既存の学説をしっかり研究した上で持論を堂々と展開する学生もいるらしいです。教員側も、突飛な意見が噴出するのを予想済みですので、新たな意見に対して「ココが矛盾していないか」「その説だと○○の場合はどのように対応するのか」といった指摘をしていくスタイルだとか。
それに比べて日本の法科大学院制度は、卒業後に合格枠3割と言われる新司法試験に合格することが至上命題ですから、そんな『余計なこと』と思われる持論の展開など、やる人間がいないでしょうし、そもそもそんなことをできる時間的余裕がありません。加えて、教員側も学生側のイレギュラーな反応にどこまで対応できるのか、未知数です。学者の中には自説や異説を認めたがらない方もいますから、学生の発言を認めた上でそこから授業を展開できる教員は、一握りもいないでしょう。
どんな勉強でも、時間をかけないとよい効果は出ません。もっと精神的・時間的余裕が欲しいものです。
このままだと、法科大学院=文科省+法務省お墨付きの新設司法試験予備校になりますぜぃ。
そういえば、以前ある人が「ソクラテス・メソッドは、元々ソクラテスとプラトンが行ったスタイルだ。要は、両方共“神”レベルなんだよ。それを法科大学院生と教員の間でやろうっていっても…」と呟いているのを耳にしました。2~3年で神レベルになるのは不可能でしょうが、教員側も院生側も、せめて数年間で凡人レベルまでには達したいものです。