茨城の山紀行(日記版)ー四国遍路の旅特別版

四国八十八か所霊場をめぐる歩き遍路版を、「茨城の山紀行(特別版)」としてブログを立ち上げました。

闘病日記

2020年02月25日 | 日記
2月25日(火)、肝臓がんのために北茨城市市民病院に入院。来週の手術に向けて体慣らし!
入院初日の昼ご飯。

高野山に「お礼参り」

2015年12月09日 | 日記
3月に、四国八十八か所札所、最後の札所の大窪寺(88番札所)を歩き終えていた私たちは、高野山へのお礼参りの日程がとれないでいたが、年内には!ということで、12月2日(火)~3日(水)にお礼参りをする事が出来た。

八十八番札所(大窪寺)と高野山・金剛峰寺の御朱印
北茨城市から大阪まで夜行バスで向かった私たちは、南海鉄道で高野山に向かい高野山の入り口の「大門」に向かった。
高野山駅からは、奥の院方面に直接向かう人が多いようで、大門方向へのバスに乗った人は少なかった。


高野山駅・ここからバスに乗る
高野山の正門である大門から、金堂や根本大塔を経て高野山真言宗の総本山である「金剛峰寺」に向かう。今回の目的の一つである四国八十八か所を参拝し終えたことを報告し、感謝する。

高野山の正門「大門」の前で

根本大塔

高野山真言宗の総本山「金剛峰寺」
金剛峰寺から奥の院までの間は、多くの寺とお店が並ぶ、高野山の「銀座通り」だ。そこで、懐かしい「遍路マーク」を見つける事が出来た。

懐かしい「遍路マーク」

奥の院口
奥の院口から約2kmの間は、老杉や檜の林の中に戦国の武将をはじめ20万基を超えるといわれる墓や供養塔が並ぶ神聖な場所となっている。
中には「姿見の井戸」があり、井戸を覗いて自分の姿が見えなければ、三年以内に死亡すると言われる井戸だ。幸いにも、覗いたら私の姿を見る事が出来た。それらを超えていくと、「大師いまだにおわします」といわれる、弘法大師、入定留身の地「御廟」につく。厳かな雰囲気の中だ。


「姿見の井戸」

戦国武将の墓(明智光秀の墓)
高野山に来たからには、宿坊での宿泊をということで、奥の院口の近くの「清浄心院」というお寺の宿坊に宿泊。
当然ながら食事は精進料理だ。朝の勤行にも参加し、改めて新鮮な気持ちで、八十八か所巡礼の締めくくりとなった。






宿泊した「清い浄心院」と精進料理

阿波の国ー発心の道場(六日目)

2015年01月15日 | 日記
11月23日、いよいよ「阿波の国、最後のの札所-薬王寺」へ向かう、23kmの道を歩き始めた。宿、山茶花を出て間もなく、みかん・チョコレートなどのお接待をいただき、気持ちの良い最終日のスタートとなった。



阿波の国「発心の道場」最後の札所-薬王寺にて
朝6時30分に宿「山茶花」を出て、薬王寺へと向かう。
薬王寺へは、トンネルは多いが国道を通るコースと、海岸線を歩くコースがあるが、私たちは、四国に来て初めて見る海岸線を歩くこととした。四国の海は、関東地域の海とは海の色が違う感じがする。遍路道は海岸線に沿って歩くが、思ったよりもアップダウンがあった。

遍路で歩いた最初のトンネルと「カニに注意」の標識


海岸線の遍路道

11月18日から歩き始めた、初めての四国遍路の旅は、第1弾の「阿波の国-発心の道場」を無事に歩きとおす事が出来た。北茨城市からの往復を加えると、七泊八日の旅となった。この間、天気に恵まれて雨粒一粒もなかったのは、本当にラッキーだった。
次回は、土佐の国「修行の道場」を1月に歩く予定である。距離が長い土佐の国は、公共交通機関との組み合わせで計画しようと思っている。

阿波の国ー発心の道場(五日目)

2015年01月15日 | 日記
四国遍路五日目の今日は、「1に焼山、2にお鶴、3に太龍寺」といわれる、歩き遍路の難所(遍路転がし)の鶴林寺と太龍寺を周り平等寺までで歩くコースだ

鶴林寺に向かう途中の藁ぶきの遍路小屋

水呑大師の像
鶴林寺へは、標高差500mの遍路転がしを歩くということで、日の出前に昨夜の宿泊所(金子や)を出る。すぐに細い山道の遍路道に入ると、歴史を感じさせる「藁ぶきの遍路小屋」に出会う。さらに、弘法大師が水を出したといわれる水場に「水呑大師像」が設置されている。

太龍寺へ向かう途中の那珂川

遍路身に設置されている道標

太龍寺の山門

太龍寺にて
鶴林寺の山を下り太龍寺へ向かう遍路道は、那珂川の永井橋を渡ってから、再度500mの標高の道を歩く。先日の焼山寺ほどではないが五日目の疲れのせいか、厳しさを感じる。次の札所まで〇〇里〇〇丁の石塚が遍路道に設置されているが、ここ太龍寺への遍路道には「舟形丁石」がある。この目印は、疲れた身体に頑張りを貰いながら歩く。

平等寺への遍路道

やっと平等寺が見えてきた

平等寺に設置されてる六地蔵

平等寺の前で
太龍寺へのお参りを済ませたら、再度、急坂を下り11km先の「22番札所-平等寺」へ向かう。舗装された道路から入り、竹藪の中を歩く遍路道は、足にやさしく気持ちよく平等寺へと案内してくれ、門前の「山茶花」に宿をとった。
いよいよ、明日は、発心の道場を歩く最後の日となる。幸いにも、この間、1日も雨に降られず歩く事が出来た。明日も、天気は良いようだ・・・

「阿波の国」-発心の道場(四日目)

2015年01月13日 | 日記
阿波の国を歩く遍路も四日目となり、札所の数では「発心の道場の終盤」に近づいてきた。今日は、徳島市の市街地を歩くか街中を避けて「地蔵越」という峠を越えるかの選択が求められる日となった。私たちは、街中を避けて地蔵院を経由し地蔵越を超え園瀬川沿いに歩き国道55号に出て、徳島市街を通りコースと合流する道を歩いた。
遍路で歩いた札所は、18番「恩山寺」と19番「立江寺」の二つではあったが、峠道・国道と厳しい歩きが求められた一日であった。


18番札所「恩山寺」

19番札所「立江寺」
立江寺の門前には、歴史を感じさせるお餅屋さんの店がある。懐かしさを感じ名物のお餅をほおばった。

朝霧の立つ鮎喰川を渡る。遠くに見えるのが地蔵越

地蔵越の遍路道と峠に立つ像

立江寺の門前に立つお餅屋さん
ここからは、約10km離れた今晩の宿「金子や」まで歩く。金子やは、遍路道の難所といわれている「鶴林寺・太龍寺」へのコーズの麓にある。