いやぁ、昨日はなんだか、忙しかったなぁ。
基本的に、ボクは人から見たら「忙しくしている」のだけれども、自分では、自分のペースである限り、そんなに忙しいと感じない。
きっと誰もがそうなんだろうけれども、そのペースがうまく取れなくなってくると、猛烈にその忙しい感覚が湧き上がってくる。
ボクのきのうは、そんな感じ。
一昨日に引き続き、母親を急きょ病院へ連れて行き(結局しばらく入院することになった)、シンガポールでのプロジェクトのスカイプミーティングが、3時間もやって集中力がなくなり、さらに、一時間の10本ノック。(別に野球をやるわけではなくて、、、)
その間にもいろいろとあって、知らないうちに、自分をどこかに置き去りにしている感じだった。
そういえば、忙しいって漢字は、心を亡くすって書くんですもんね。
ところが、オフィスからの帰り道、ボクの心は帰ってきてくれました。
それも、一瞬にして。
目黒川の上空に、それはそれは見事な満月(一日遅れですが)が浮かんでいるではありませんか。
川沿いのビルや、街灯の光を反射させた目黒川が、美しくなっていた。
橋の上で、しばし立ち止まり、「自分が帰ってきた」感覚に包まれる。

こんな瞬間に、「つながり」を感じる。
誰かに奪われていた時間が、自分に帰ってきて、自分の時間をしっかりと刻み始める。
そして、時間が消えて、「いま」がやってくる感覚です。
この感覚がボクは大好きで、だからこそファンタジーが大好きで、だからそのことをただ伝えたくて、「ファンタジー文学の講座」をやっている。
現実世界を生きるボクたちは、知らぬ間に「自分」を奪われている。
誰かに合わせたり、人の言いなりになったり、様子をうかがっていたり、そしてそのうちに、それが当たり前だと思い込んでしまう。
ふと気づくと「自分がわからなくなって」いる。
河合隼雄先生が、繰り返し著作で言っているように、現実世界に生きるからこそ、無意識と親しむ必要がある。
児童文学や、ファンタジー文学がそれを助けてくれるから、大人たちこそ読むべきである、と。
昨晩の満月は、いろんなことをボクに返してくれたような気がする。
基本的に、ボクは人から見たら「忙しくしている」のだけれども、自分では、自分のペースである限り、そんなに忙しいと感じない。
きっと誰もがそうなんだろうけれども、そのペースがうまく取れなくなってくると、猛烈にその忙しい感覚が湧き上がってくる。
ボクのきのうは、そんな感じ。
一昨日に引き続き、母親を急きょ病院へ連れて行き(結局しばらく入院することになった)、シンガポールでのプロジェクトのスカイプミーティングが、3時間もやって集中力がなくなり、さらに、一時間の10本ノック。(別に野球をやるわけではなくて、、、)
その間にもいろいろとあって、知らないうちに、自分をどこかに置き去りにしている感じだった。
そういえば、忙しいって漢字は、心を亡くすって書くんですもんね。
ところが、オフィスからの帰り道、ボクの心は帰ってきてくれました。
それも、一瞬にして。
目黒川の上空に、それはそれは見事な満月(一日遅れですが)が浮かんでいるではありませんか。
川沿いのビルや、街灯の光を反射させた目黒川が、美しくなっていた。
橋の上で、しばし立ち止まり、「自分が帰ってきた」感覚に包まれる。

こんな瞬間に、「つながり」を感じる。
誰かに奪われていた時間が、自分に帰ってきて、自分の時間をしっかりと刻み始める。
そして、時間が消えて、「いま」がやってくる感覚です。
この感覚がボクは大好きで、だからこそファンタジーが大好きで、だからそのことをただ伝えたくて、「ファンタジー文学の講座」をやっている。
現実世界を生きるボクたちは、知らぬ間に「自分」を奪われている。
誰かに合わせたり、人の言いなりになったり、様子をうかがっていたり、そしてそのうちに、それが当たり前だと思い込んでしまう。
ふと気づくと「自分がわからなくなって」いる。
河合隼雄先生が、繰り返し著作で言っているように、現実世界に生きるからこそ、無意識と親しむ必要がある。
児童文学や、ファンタジー文学がそれを助けてくれるから、大人たちこそ読むべきである、と。
昨晩の満月は、いろんなことをボクに返してくれたような気がする。
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