久々に、墨を磨った。
ボクは、青墨が好きだ。
透き通った黒、とでもいうのだろうか、透明感のある色が浮き出てくる。
墨を磨るのは、面倒な作業ではあるのだけれど、瞑想をしているような気にもなる。
昨晩は、ぼんやりと墨を磨っているだけで、10分ほどたっていたことに気づいたほど。
墨を受ける硯と、こすれあう柔らかい感触が心地いい。
たっぷりと墨を含ませた筆を、和紙にそっと置くときもいい。
滲み広がっていく墨を眺めるのも好きだ。
気づいてみたら 2 時間。
かなり集中していたようだ。
床には、墨で描かれた何十枚もの和紙が散乱している。
満たされた気持ち。
「時」を数えていると、わずか10分でも長く感じることがある。
学生時代の、退屈な授業はまさにそんな感じだった。
「誰かの」時間を生きるのは、自分を明け渡してしまうから、虚しさが残る。
「自分の時間」を生きると、その時間は経過するのではなく、掘り下げられていくような気がする。
掘り下げられた「自分」は、新しい自分となって還ってくる。
トールキンの『ホビットの冒険』の副題にあるように、「往きて還りし物語」
冒険があったわけではないけれども、ボクだけのボクの世界を旅して帰ってきたような気分。
でも、後片付けは面倒だったなあぁ。

ボクは、青墨が好きだ。
透き通った黒、とでもいうのだろうか、透明感のある色が浮き出てくる。
墨を磨るのは、面倒な作業ではあるのだけれど、瞑想をしているような気にもなる。
昨晩は、ぼんやりと墨を磨っているだけで、10分ほどたっていたことに気づいたほど。
墨を受ける硯と、こすれあう柔らかい感触が心地いい。
たっぷりと墨を含ませた筆を、和紙にそっと置くときもいい。
滲み広がっていく墨を眺めるのも好きだ。
気づいてみたら 2 時間。
かなり集中していたようだ。
床には、墨で描かれた何十枚もの和紙が散乱している。
満たされた気持ち。
「時」を数えていると、わずか10分でも長く感じることがある。
学生時代の、退屈な授業はまさにそんな感じだった。
「誰かの」時間を生きるのは、自分を明け渡してしまうから、虚しさが残る。
「自分の時間」を生きると、その時間は経過するのではなく、掘り下げられていくような気がする。
掘り下げられた「自分」は、新しい自分となって還ってくる。
トールキンの『ホビットの冒険』の副題にあるように、「往きて還りし物語」
冒険があったわけではないけれども、ボクだけのボクの世界を旅して帰ってきたような気分。
でも、後片付けは面倒だったなあぁ。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます