7と1ばかりが並ぶ、この日は、ボクの父親の命日。
もう20年になる。
この年は阪神淡路大震災で年が明けた。
春先には、地下鉄サリン事件があった。
世の中を驚かすような出来事を見ながら旅立っていったおやっさんだった。
父親と一緒に生活することがなかったボクは、父親のことをあまりよく知らない。
断片的に、見たり聞いたりすることがあっても、幼いころにどんな少年で、どんな夢を持っていたのかなんてわからない。
ここに一冊の本がある。
本と言っても追悼集「偲草(しのぶぐさ)」。

父が亡くなって3回忌のころに遺族が作成したもの。
父親にかかわりのあった方々からのコメントを集め、さらには、日本工業新聞に掲載された父親の自伝がまとめられたもの。
「わが風雲録」と題されたエッセイは、昭和36年8月から40回に渡って連載されていたらしい。
父がどう生きて、どんな考えを持っていたのか、そして何を求めた人だったのかが、ほんのすこしだけ知ることができる。
生前父は、恩師の命日になるとこの「偲草」の刻印を押した虎屋のおまんじゅうを、皆に配っていた。
やることなすことおしゃれで洗練されていた。
天涯孤独で育ったにもかかわらず、どうやって身に着けたのか、そのセンスの良さには驚かされたものだった。
大嫌いだったオヤジは、ボクにとって大好きで憧れのオヤジ。
おやっさん、もう少しボクを見守っていてください。
合掌

もう20年になる。
この年は阪神淡路大震災で年が明けた。
春先には、地下鉄サリン事件があった。
世の中を驚かすような出来事を見ながら旅立っていったおやっさんだった。
父親と一緒に生活することがなかったボクは、父親のことをあまりよく知らない。
断片的に、見たり聞いたりすることがあっても、幼いころにどんな少年で、どんな夢を持っていたのかなんてわからない。
ここに一冊の本がある。
本と言っても追悼集「偲草(しのぶぐさ)」。

父が亡くなって3回忌のころに遺族が作成したもの。
父親にかかわりのあった方々からのコメントを集め、さらには、日本工業新聞に掲載された父親の自伝がまとめられたもの。
「わが風雲録」と題されたエッセイは、昭和36年8月から40回に渡って連載されていたらしい。
父がどう生きて、どんな考えを持っていたのか、そして何を求めた人だったのかが、ほんのすこしだけ知ることができる。
生前父は、恩師の命日になるとこの「偲草」の刻印を押した虎屋のおまんじゅうを、皆に配っていた。
やることなすことおしゃれで洗練されていた。
天涯孤独で育ったにもかかわらず、どうやって身に着けたのか、そのセンスの良さには驚かされたものだった。
大嫌いだったオヤジは、ボクにとって大好きで憧れのオヤジ。
おやっさん、もう少しボクを見守っていてください。
合掌

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