仙台に生まれ、鉱山師である父親に連れられて転々と居を変えていた。
その父親が8歳の時に急病で亡くなり、気落ちした母親が翌年に亡くなる。
わずか9歳で天涯孤独の孤児となってしまった。
父親の部下だった人に引き取られたが、運の悪いことにその人も1年足らずで他界する。
「 腕に職を持たせることが第一。好景気で大工は引っ張りだこ。学校にも通わせるし、立派な職人に仕立ててあげる 」
こんな誘いに乗って東京まで出てきたけれど、数か月もたって、だまされていたことがわかり、「 どうにかならぁ 」 と家を飛び出した。
これはボクの父親の子どもの頃の話。
まるで、何かの物語みたいだけれど、明治大正昭和の初期には、似たような人生を生きた人は珍しくはなかっただろう。
住み込み奉公、子守り、車引き、左官、かわら屋、土工、坊主、旅館の番頭、と 「 食うために仕事の選り好みをしている暇はなかった 」 、らしい。
やがて、自分で始めた仕事が軌道に乗り、1年間に八千円の利益。
そのうちの500円を投じて、郷里の土肥にお墓を建てた。
父の立身出世ものがたりの始まりである。
7月17日の今日は、父の命日。
亡くなった1995年は、阪神淡路大震災、オウムサリン事件があり、世の中が騒然としている中に父は逝った。
一年に一度だけ、本箱から取り出す、父親の追悼集「偲草」
読めば読むほど、父の偉大さが伝わってくる。
今日の一日は、父と共にいよう。
いや、父に一緒にいてもらおう。
その父親が8歳の時に急病で亡くなり、気落ちした母親が翌年に亡くなる。
わずか9歳で天涯孤独の孤児となってしまった。
父親の部下だった人に引き取られたが、運の悪いことにその人も1年足らずで他界する。
「 腕に職を持たせることが第一。好景気で大工は引っ張りだこ。学校にも通わせるし、立派な職人に仕立ててあげる 」
こんな誘いに乗って東京まで出てきたけれど、数か月もたって、だまされていたことがわかり、「 どうにかならぁ 」 と家を飛び出した。
これはボクの父親の子どもの頃の話。
まるで、何かの物語みたいだけれど、明治大正昭和の初期には、似たような人生を生きた人は珍しくはなかっただろう。
住み込み奉公、子守り、車引き、左官、かわら屋、土工、坊主、旅館の番頭、と 「 食うために仕事の選り好みをしている暇はなかった 」 、らしい。
やがて、自分で始めた仕事が軌道に乗り、1年間に八千円の利益。
そのうちの500円を投じて、郷里の土肥にお墓を建てた。
父の立身出世ものがたりの始まりである。
7月17日の今日は、父の命日。
亡くなった1995年は、阪神淡路大震災、オウムサリン事件があり、世の中が騒然としている中に父は逝った。
一年に一度だけ、本箱から取り出す、父親の追悼集「偲草」
読めば読むほど、父の偉大さが伝わってくる。
今日の一日は、父と共にいよう。
いや、父に一緒にいてもらおう。
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