30代の男性が考える未来

当ブログでは、日々のイベントを記録したり、徒然の経験を共有します。皆様に興味深い内容をお届けできますよう・・・

悩み日記をつけてみる

2024-02-02 23:59:07 | 日記

最近は業務アプリも便利になって、メールをする時間帯とかどのくらいチャットしたとかが分析されて見られるようになっている。そうした情報をたどっていると、悩み日記なるものをつけてみてはいかがという記事に行き当たった。現代人はもう、悩んでいることが前提なのかと思ったが多分実際にそうだ。

私の悩みといえば、大きく分けて3つある。

・実家の悩み

実家がやや遠方にあるので不安。何かあった時の交通費もかかるし、将来の維持費用もかかる。

きょうだいの中では一応自分が一番責任が大きい。色々とかなぐり捨ててそこに住むのも一手

・独り身という悩み

子供をもうけるというところまで見通しが立たないものの、結婚はやはりしておきたいという気持ちがある。

やっぱり若い男女は何となく分断されているような気がして、希望はあまり持てないが全く努力しないというわけにもいかない。

独身であることを悩む必要はないし、一人でいる方が気楽には違いないのだが。

・健康面の悩み

詳しくは書かないが健康体ではない。幸か不幸かこれは運を天に任せるしかないと思っているが、まずは十分に寝ることだ。

無機質な日々の繰り返しでも、それに感謝するしかない・・・

 

幸いにもこの中にお金の悩みというものが入っていないのだが、

決して裕福ではないものの今のところ収支のバランスはそれなりにとれている。これもいつまで続くだろうかと、結局行きつく先は「不安」だ。


男女の恋愛格差について

2024-01-31 21:36:24 | 日記

少子高齢化の昨今といわれて久しいが、非婚化晩婚化の波は決して収まらなさそうだ。これはおそらく、政策でどうこうできる範囲の事であったり、当事者たちの意識の持ちようで何とかなるといった類の事ではない。もっと根源的な社会からの力というか、ある意味で人類は本当に(運命的に)人口減少のフェーズに突入してしまったのかもしれない。

私は独身で一人暮らしだが、独り身であるからと言ってそれを咎められることもなければ、無理に結婚を進めてくるような人もいない。むしろ、人々特に若い男女が分断されているような奇妙な世の中において、つながりを探すのにかなり苦労しているというのが正直なところだ。

これまでの社会は、男尊女卑という言葉があったように明らかに性別によって担う役割が異なっていたが、国際的な価値観の広まりなどから男女平等が極端なまでに標榜されるようになったし、ジェンダーという言葉がまるで教典の中の単語のように力を持つようになった。それはそれでプラスの効用を生み出すこともあるだろうし、行き過ぎれば極端さに苦しむ人間を生み出すことになるかもしれない。私はこの世界がいびつだとは思わないが、明らかに厳しい状況にあると思うし、一種の「正しさ」の中にあって人々が思考停止してしまっているように感じる。

政治の腐敗によって、人々が自ら社会を良くしようという気力を失ってしまっていること。要求とは不釣り合いな高望みによって本来は支えあうべき男女が分断されてしまっていること。強大な権力、特に大きな組織が力の行き場を失って暴走してしまっていること。はっきり言ってこれらはどうしようもない。

以前も同じ結論を書いた気がするが、これに加えてどういうわけか現代日本社会は(外貨を獲得する力が弱まっているせいか)食糧が不足するという喫緊の事態に陥りそうな状況である。そして、そういう状況が続いたときに人々が行き着くさきはたった一つ、暴動である。私は人々には穏やかに過ごしてほしいと願っているし、私自身もそうありたいが、暴力による事件を起こすしかないという状況に意外とすぐ陥りそうで怖い。

誰に向けてかもわからないまま、キーボードを打つ私の背中は、きっと哀しいだろう。


エコビレッジなどの自給自足社会について思うこと②

2024-01-29 15:32:43 | 日記

もし仮に自給自足的な共同体が数百個国内にできたとして(貨幣を使わず物々交換が成立しているような状態をイメージすることができる)、しかもそれらがそれなりにうまく回っていたとしても、長続きはしないだろうなというのが私の感覚だ。

一言でいうと「お金持ちがやってきて支配されそうになったらどうするんだ」という問題に直面しそうだ。

いくら清貧の思想が根付いた性善的な社会を造ったところで、貨幣の使い勝手というものは変わらない。貨幣というものに対する信用が根本的に失われてしまう状態を仮定するのは少し無理があるし、そこまで極端になってしまった社会が平和なままだとは到底思えない。

そもそも、お金持ちの人が良い性格をしていて責任感があって誰にでも優しいというのは、必ずしも真実ではない。

社会的に立場が高い位置にいる人は当然それなりの信念であったりハングリー精神を携えていることは間違いないが、彼らはいつも正しいとは限らないし、時として弱い者いじめだってするかもしれない。理想郷に住む無一文な人々に対して苛烈な嫉妬を覚えるかもしれないし・・・とにかく、この計画は現実的な継続性に欠けるのではないかと思うわけだ。

こうして頭の中を文章化することによって少しすっきりした気持ちになる。自己満足に付き合わせて申し訳ないが、たまに更新しようと思う。


エコビレッジなどの自給自足社会について思うこと

2024-01-29 15:31:44 | 日記

昨今の物価高や食糧事情、国際情勢の不安定化などによって、ますますインフレが深刻になっていると感じる。

商品を個別にみると半年前と比較して10%の値上がりで済んでいるのならばまだマシな方で、収入の絶対値が急には上がりにくい以上、暮らしにくい世の中になっていることは間違いない。

そんな中にわかに注目を集めているのが、お金のパワーに頼らないような、ある意味逆行的な生き方である。それは自給自足という言葉で片付けられることもあるし、新社会・新時代の到来だと形容されることもある。あるYoutuberがゲストを呼んで語っていたのがそういう思想で、原始的な人間としての力を発揮した方が社会もうまくいくというような内容だった。

確かに、資本主義が行き過ぎて不都合が生じるという論理は妥当性がある。経済的な格差が発生したり、(騙してでもお金を稼ぐ人が現れて)人間が人間を信じられなくなってしまったりするかもしれない。

しかし、私はそういう社会がバランスが取れている社会だとは思わない。エコビレッジという言葉で表されるような、自給自足的な共同体が数十、数百と日本国内に展開されたと仮定する。大量生産的な活動を行わなかったとしてもうまく世界は回るというパラダイムシフトが起こったとして、なおかつそこに住む人々が精神的に充実した生活を送れるようになったとして、その状態が何十年以上も維持されるだろうか。

続きはまたあとで書きます・・・

 

 


旅に出たいが・・・

2023-05-21 01:08:00 | 日記

12日とかでいいので、旅に出たい。けれど独りなので人目を気にして楽しめなさそうだから行く気が高まらない。


どうせ大して見られていないブログだから、個人的に行きたい所を書いてしまおう。


1.徳島 大塚国際美術館


2.京都 平等院鳳凰堂


3.静岡 西伊豆


4.長野 上高地 or 信濃善光寺


一緒に行ってくれる人募集というのは嘘です。金もかかるし多分行かねえだろうなあ・・・

本当に気ままな旅行に行ったり写真を撮ったりしなくなった。感性が鈍くなってる気がするけど、平々凡々な感性などもともと無価値なので気にすることはない。

ここに書くことで何故か行った気になるという高等な妄想。思うさま憐憫を掛けて欲しい冗長な空想。