昭和期の陸軍幕僚による陸軍戦術教範(1938年)。陣中要務令(1924年)と戦闘綱要(1929年)を統合して作成された。
人間は思想によって行動する。権力者の著書や愛読書はその思想と行動原理を明らかにする。
陸軍軍人の思想と行動の背景には幼年学校・士官学校で徹底的に覚えこんだ軍事戦術の論理がある。
作戦要務令は、軍隊が敵の殲滅と戦勝を目的としてすべてを決定すべきであるとの記載から始まる。
「第一 軍の主とする所は戦闘なり。故に百事皆戦闘を以て基準とすべし。而して戦闘一般の目的は敵を圧倒殲滅して迅速に戦捷を獲得するに在り。」
訓練、必勝の信念、軍紀、攻撃精神を徹底することによって物質的な威力を凌駕し得ると綱領は続く。
「第二 戦捷の要は有形無形の各種戦闘要素を綜合して敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り。訓練精到にして必勝の信念堅く軍紀至厳にして攻撃精神充溢せる軍隊は能く物質的威力を凌駕して戦捷を全うし得るものとす。」
「第三 必勝の信念は主として軍の光輝ある歴史に根源し、周到なる訓練を以てこれを培養し、卓越なる指揮統帥をもってこれを充実す。・・・」
「第六 軍隊は常に攻撃精神充溢し志気旺盛ならずるべからず。・・・勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず。精練にして且つ攻撃精神に富める軍隊はよく寡を以て衆を破ることを得るものなればなり。」
「第七 協同一致は戦闘の目的を達するため極めて重要なり。・・・諸兵種の共同は歩兵をしてその目的を達せしむるを主眼とし、これを行うを本義とす。」
また、軍紀とは指揮官に対する絶対服従であると規定する。
「第四 ・・・軍紀の要素は服従に在り。全軍の将兵をして身命を君国に献げ至誠上長に服従し、その命令を確守するを以て第二の天性となさしむるを要す。」
指揮官は上官の意図を明察し大局を判断して、独断専行によって戦勝を実現しなければならない。
「第五 凡そ兵戦の事たる独断を要するもの頗る多し。而して独断はその精神においては決して決して服従と相反するものにあらず。常に上官の意図を明察し、大局を判断して状況の変化に応じ自らその目的を達し得べき最良の方法を選び、以て機宜を制せざるべからず。」
「第九 敵の意表に出ずるは機を制し勝を得る要道なり。故に旺盛なる企図心と追随を許さざる創意と神速なる機動とを以て敵に臨み常に主動の位置に立ち、全軍相戒めて厳に我が軍の企図を秘匿し、困難なる地形及び天候をも克服し、疾風迅雷敵をしてこれに対応するの策なからしむること緊要なり。」
「第十一 ・・・固より妄りに展則に乖くべからず、またこれに拘泥して実効を誤るべからず。宜しく工夫を積み創意に勉め以て千差万別の状況に処しこれを活用すべし。」
物資の欠乏は避けられないため、欠乏に耐えて戦勝に邁進することを求める。
「第八 戦闘は輓近著しく複雑靱強の性質を帯び、且つ資材の充実、補給の円滑は必ずしも常にこれを望むべからず。故に軍隊は堅忍不抜よく刻苦欠乏に耐え、難局を打開し、戦捷の一途に邁進するを要す。」
そして、為さざると遅疑するは指揮官の最も戒めるところであるとした。
「第十 指揮官は軍隊指揮の中枢にして、また団結の確信なり。故に常時熾烈なる責任観念及び鞏固なる意志を以てその職責を遂行すると共に高邁なる徳性を備え部下と苦楽を倶にし率先躬行軍隊の儀表としてその尊信を受け剣電弾雨の間に立ち勇猛沈着部下をして仰ぎて富嶽の重きを感ぜしめざるべからず。為さざると遅疑するとは指揮官の最も戒むべき所とす。是この両者の軍隊を危殆に陥らしむること其の方法を誤るよりも更に甚だしきものあればなり。」
独断専行、必勝の信念、「為さざると遅疑」の回避は陸軍の信条だった。
陸軍は統帥権独立の下で政府を圧倒する実力を有していた。このため、作戦要務令における陸軍の行動原理は軍事面に現れるだけではなく、政治行動の思想的な背景ともなった。
陸軍将校は幼年学校、士官学校を通じて軍人の行動原理を叩き込まれた。そして、陸軍が国政に大きな影響を与えるようになり、さらに国政を事実上支配するようになったとき、陸軍幕僚の行動原理、すなわち作戦要務令の思想は国政にも拡大適用され、昭和期の日本を動かした。昭和天皇の意図に明確な反する作戦も、自分たちの頭の中で作り上げた「天皇」の意図に合致していれば実行すべきと考えた。百時皆戦闘を以て基準とした結果、国政も戦闘に勝つことがすべての基準となった。「為さざると遅疑」ではなく、自国に有利なタイミングで戦争を始めるべきであるとの考え方が強まった。そして、客観的な物量差、兵力の多寡よりも必勝の信念が優先された。
戦場の指揮官であれば、機をとらえた独断専行、「為さざると遅疑する」ことなく必勝の信念にて戦闘することは当然のことだ。
だが、国運を懸けた決断の場に、独断専行、「為さざると遅疑する」の回避、必勝の信念を持ち込めば、客観的な判断はできなくなる。
陸軍部内では、陸軍の論理に忠実であることが組織の中で生き残るために必要だった。
陸軍が日本を支配した結果、戦場の原理であったはずの「作戦要務令」が国運を決めることとなった。
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