ドイツリスク(三好範英、2015年)
何が正しいのかを論理的に突き詰め続けることは正しいか。
正義を論理的に突き詰められると考えるのであれば、何が正しいのかを解明することは我々の最も重要な義務となろう。また、その論理に基づいて政治を行うことが必要とされるだろう。
自然科学と同じ方法論で論理的な突き詰めを行い、何が正しいのかを確定しようとする考え方がある。
科学者は自然の法則を研究して自然科学の理論体系を作り上げ、自然科学は工業製品に応用されて社会を豊かにする原動力となってきた。この自然科学的なアプローチを人間社会に適用できるのであれば、社会科学者は社会の法則を研究して社会科学理論を作り出すことが役割となるだろうし、政治には社会科学理論を現実に応用して社会を豊かにしていくことが求められるだろう。社会主義理論を科学であり歴史の法則であると称したマルクス主義も、理論経済学をバックボーンとするアメリカの資本主義も、啓蒙主義的な理念から生まれている。
何が正しいのかを理念的に判断できるのであれば、その原則に従って対応することが社会的正義にかなうのであり、正しい原則を知る者は優越的な地位に立って周りの人々を教導すべきことになるだろう。政治とは理想に向かって正しい社会を実現する手段と考えられるだろう。また、何が正しいのか判断できるのであれば、正統的な解釈だけが存在を許され、異質な認識を持つ者は倫理的に糾弾されて当然ということにもなろう。
だが、自然科学では何が正しいのかが実験によって証明され、実験によってその正しさを証明できない理論は淘汰され、現実の試練に耐えた理論だけが残るのに対して、社会科学の分野では客観的な証明によって正しいか誤っているかの決着をつけることは難しい。単に権力に迎合した理論や世論に阿った立論も生き残るのだ。正義が相対的にしか存在しないのであれば「正しさ」を求め過ぎることには問題がある。人生観と信念の異なる人々との間で何が正しいのかをまとめ上げプライオリティ付けすることも難しいだろう。また、自然科学は自然界を対象として人間が自然界を支配するために作り上げられてきたものである。これを人間社会を対象としてそのまま応用すると、一部の人間が人間社会を支配する理論となりかねない。
何が絶対的に正しいのかはほとんどの人が納得できる最低限の人道的な事項にとどめ、あとは相対的な事項として議論に任せざるを得ないだろう。
ナチスが掲げたドイツ民族の優越性と劣等民族支配の理念、イスラム国の掲げている異教徒殺戮の理念といった明らかに正しくない考え方はこの最低限の倫理事項で対処し、最低限の基準を超えたエリアでの議論については自分と相手の主張を冷静にかみ合わせていく。共感する部分の多い人々は国を作り、さらに地域連合や同盟関係を結ぶ。世界は必然的にいくつかのブロックに分かれることになり、その内部調整やブロック間の調整は議論によって進めるしかない。
何事も論理的に納得しなければ気が済まないドイツ人は自然科学の分野で成功を収め、欧州随一の国力を持つに至ったが、この自然科学での成功は副作用をもたらした。社会生活の面でも何が正しいのかを一元的に判定できるし、一元的に判定すべきというドイツ人の思考回路を強化することになったからである。ドイツは東西統合後、ユーロ圏の超大国となった。だが、ドイツの原理原則にこだわり自らの価値観だけを正しいと信じ込む硬直的な姿勢はヨーロッパ域内の不協和音を生み出す原因となっている。
アメリカの一元主義は世界市民主義的な広がりを持ち、また自らの信条を自国民の犠牲を払ってでも守ろうとする意思によって支えられてきた。これに対し、ドイツの正義はその原理原則が正しいにせよ寛容性と普遍性に乏しく、上から目線の印象を与えている。ドイツ人は自己の正しい論理に拘泥してしまい、他の人々の内在的論理を理解しようとする意欲に乏しい。
政治的にドイツを封じ込めようとして始まった欧州統合政策は冷戦の終結と東西ドイツの統合を経てドイツ主導のブロックに変質してしまった。そして、ドイツを中心として欧州統合をとらえ直してみると、ドイツにとってその対象とする範囲には人生観や信念の異なる人々が多数含まれていた。
ドイツはかつての東方政策を欧州統合という美名の下で復活させている。一方、南欧の債務問題はこのメリットを得られない世界で起きている事象だ。ドイツは欧州統合政策のコストパフォーマンスを判断し、利益を極大化し、そのコストを極小化すべく行動するだろう。
欧州の中央に位置するドイツは、勢力均衡にとっては強すぎ、覇権を取るには弱すぎるため、歴史的にヨーロッパの動乱の原因になってきた。この半覇権状態は現在も変わらない。今後、ドイツはその経済力に応じて政治的発言権を強めることになるだろうが、ヨーロッパ各国にその意思を強制するほどの経済力、政治力、軍事力はない。
ドイツがその意思を強めるにつれてヨーロッパが再度混乱することは歴史的必然であろう。