坊(ぼん)よっか 大(ふ)て口(く)つ開(あ)ぐい
離乳食(りにゅうしょっ)
扇香(12月9日投稿分)(離乳食)
(寸評)
原作は「大(ふ)て口(く)っ・・・」と小さな「っ」になっていましたが、「~を」の意味になるときは大きな「つ」になります。
さて、この句は素材の写真とそれを詠みこんだ狂句とがまさにぴったり合致したものになっていると思います。
日常のごくありふれた場面も写真と狂句の合体で一味も二味も違った新しい発見をしたかのような気持になるものだと感じるのは私だけではないと思います。皆さんはどう思われるでしょうか。
なお「開(あ)ぐい」は頴娃地方の特徴的な発音です。カ行、タ行などが濁音化することがあるようです。砂糖→サド、買った→コダ、烏賊→イガ、良い→ヨガ、仏→ホドゲなど。(鹿児島県のことば 木部暢子著、明治書院 平成9年発行)
調査したわけではありませんので、はっきりしたことは分かりませんが現在では減少傾向にあるのではないかと推察されます。
今月の「蛇の足」、思いつくまま順不同で羅列してみます。
〇課題吟から
1.良似合(ゆにお)→良(ゆ)似合(お) この言い方は共通語に直すと「良く似合う」となります。「良く」は鹿児島方言では「ゆ」ですから「良(ゆ)」となります。
一方「似合う」は動詞で共通語でも「う」が送り仮名になります。「にあう」が「にお」になるわけですから、「似合(に)お」と「お」を送る必要があります。また、この場合、名詞であっても「似合い」は「似合(に)え」と送り仮名が必要だと思います。
2.下五の終わり方について
下五は、たとえば「楽(たの)し旅(たっ)」とか「桜島(さくらじま)」などの名詞止めにするか「~しっ」とか「金(ぜん)が無(の)し」などの用言止めにした方が、句に締りがあって落ち着きが感じられると先人の教えにもあります。
例えば「有(あ)い難(が)てち」のような終わり方は、中途半端な感じを与えると同時に、まだその次に何かの言葉が続くのではないかと言う感じも与えます。
薩摩狂句の場合は俳句などのように余韻を残すというよりは「はっきり言い切る」方が良いとされています。
3.「観光はち忘れ」はいわゆる「っ」ぬき言葉になります。「ち忘れっ」とか「け忘れっ」とすべきでしょう。
字余りを避けるために「っ」を抜くのはやはり無理な言い方でしょう。この句では、「ち忘れっ」とか「け忘れっ」と強く言いたいところですが、破調になるので、「忘れっ」で「我慢?」しましょう。
4.漢字の当て方と造語について
漢字を見なければ、耳で聞いただけでは意味が分からない言葉使いもやはり避けたほうが良いと思います。
例えば「ほのじづら」と聞いただけでは意味が分かりません。「惚の字顔」と漢字を当てれば意味が推測できます。
このような言い方は「漢字に負ぶさりすぎ」と言われるものです。またこの言い方は「造語」ともみなされるのではないでしょうか。
まだ熟れていない言葉や自分で作ったような言葉は使わないほうがよいでしょう。「バイト猫(にゃん)」も語感的には面白いのですが、やはり無理な言い方でしょう。
5.「桜島(しま)見(み)えっ」は「桜島が見えて」の意味である事は分かりますが、このような場合格助詞の「が」を省いた言い方は一般的ではないようです。
やはり「桜島(しま)が見えっ」と言う言い方が普通でしょう。そうすると破調になりますので、「が」を省く人がいますがそれは無理な省略ではないでしょうか。
こんな場合は言葉の前後を入れ替えてみるとうまくいく場合があります。→「見えた桜島(し)め」の方が良いでしょう。
6.「客を」の送り仮名には二通りあります。「客(きゃ)く」または「客(きゃ)くば」。いずれにしても「く」は送り仮名になります。最初のうちは間違いやすいので注意しましょう。
〇自由吟から
1.「餅(も)っ搗(ち)っ」→餅搗(もっち)っ」、「年末(ねんま)っ」→「年末(ねんまっ)」
小さな「っ」については以前にも書きましたので、詳しくはそちらをご覧下さい。」簡単に言いますと「名詞や副詞的働きをする名詞(例;全部(ずるっ)、沢山(ずばっ)など)は「っ」を送り仮名にしない。
「動詞」は送り仮名にするということです。間違いやすいので十分気をつけましょう。
2.「何(な)い事(ご)てか」は共通語に直すと「何故か、どうしてか」となります。「何事て」が語源だと辞典にもありますが、「何故」の漢字を当てた方がわかりやすいでしょう。
3.「嫁女(よめじょ)行(い)こそな」。これは「嫁女(よめじょ)い行(い)こそな」と私には「い」をいれる言い方のほうが馴染みがあります。
「嫁女(よめ)じぇ」という言い方も可能かもしれませんが、そんな言い方はあまり聞かないようです。「「嫁い行(い)こそな」はの方がすっきりしていると思います。
4.「口(くち)合(お)た」→「口(く)ち合(お)た」、
「大(ふ)て口(く)っ開(あ)ぐい」→「大(ふ)て口(く)つ開ぐい」
5「女房(かか)貰(もろ)っ」→「貰(も)ろた女房(かか)」(※課題吟5参照)
6大事(でし)しすぎたや肥満(だんべ)成(な)っ」→「大事(で)ししすぎたや肥満(だん)べなっ」
※送り仮名に注意しましょう
7.芋餅(いもんもつ)重箱にさげた歳暮客(きゃっ)
→芋ん餅(も)つ(または、芋餅(いもも)つば)重箱(じゅばこ)い提(さ)げた 歳暮(せぼ)ん客(きゃっ)
「送り仮名に注意しましょう。また「重箱」「歳暮」も鹿児島方言になおして修正してみました」
8.門松の黒松探げっ
→門松(かどまっ)の黒松(くろま)つ探(さ)げっ
【余禄】(〇○ローのつぶやき)
「作者の気持を句に込める」
次の句を比べてみましょう。
1.桜島(しま)ん灰(へ)が今日(きゅ)も又車(くい)め降(ふ)い積(つ)もっ
2.新車をば桜島(しま)ん灰奴(へわろ)が又苛(こ)ねっ
どちらが狂句として優れているかは言うまでも無いと思います。
1の句は実際にあったことをそのまま十七音字にしているだけで、それに対する作者が感じたこと、思ったこと、批判などは一つもありません。
これでは読み手は「ああ、そうですか。それがどうしたの?」というしかありません。
何時も降灰に悩まされている人たちにとっては日常茶飯事のことで、腹立たしい思いは分かるにしても、何の感動も共感も覚えないのではないでしょうか。
他県や降灰にあまり悩まされない地域の人は、「大変ですね」という同情は寄せるとしても、それ以上の深い気持は抱かないのではないように思われます。
1の句はこんなことがあったよと事実をそのまま伝えた「報告句」に過ぎないといえます。いわば、味も素っ気も無いニュースのようなものです。
刺身に例えるなら、山葵もむらさきも付けずに食べるようなものといってよいでしょう。
それに対して2の句は、桜島の灰に対する作者の気持ちが次の2箇所に込められています。
「灰奴(へわろ)」の「わろ」、「又苛(こ)ねっ」(いじめる)。
これらの表現によって、作者の気持ちが多くの読み手に伝わるわけです。
薩摩狂句は「人間批評」の句であると言ってもよいと思います。「批評」(言い換えれば狂句味)のない句は単なる報告句や説明句と言われ、読む人に何の感動も与えないものです。
それともう一つ余計なことを言いますと、最近の句は自分だけが満足してしまっている句が多いのではないかと思われます。
自分の感動をいかにして読み手に伝えるか、伝える努力をするかという視点に欠けている句が多いようです。
薩摩狂句は、自分だけが分かればよい「日記」ではないと思うのです。自分の句を読んでくれる「読者」がいることを絶えず意識して句作する必要があるのではないかと思います。
自分の感動を共有してくれる読者の存在を忘れた句は、独りよがりの句にすぎないと言えるでしょう。(自戒、自戒)
以上でした。
今月も最後までお付き合いくださいまして有難うございました。
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文責 黒柱