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世真留教会のブログ

日本キリスト教団世真留(せまる)教会のブログです。ミッションスクールの生徒さんの礼拝出席を歓迎します。

5月11日(日)礼拝メッセージ

2025-05-11 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 ヨハネによる福音書19少雨23~27節
題  「イエス様の愛弟子」

イエス様がピラトによって十字架につけられる場面において、2人の人が象徴的に登場します。それは最も赦されたバラバと、最も愛されたヨハネでした。

バラバはこの年最も悪いことをした人でした。このバラバとイエス様が裁判にかけられ、過越しの祭りの慣例でどちらかを釈放することになり、人々はバラバの釈放を要求したので、ピラトはそれに従いました。つまり、バラバはイエス様が身代わりになることによって本当に赦された人物なのです。

一方、ヨハネは最後の晩餐の時にイエス様の隣にいてその胸に寄りかかっていました。イエス様を愛する気持ちは弟子たちの中で一番強く、イエス様にも愛されました。

この2人がその後どのような人生を送ったのかは、興味深いことです。バラバについての記録はありませんが、彼が苦悩の人生を送ったことが、ラーゲルクヴィストによって小説にされています。そこでのバラバは、相変わらず悪者でした。

彼は、イエス様の身代わりに赦されたのに、結局極悪人として十字架に掛けられて死にます。最後の言葉は「おまえさんに委せるよ、おれの魂を」でした。
この小説では、バラバはキリスト信者とはならなかったのです。このことは、赦されたものの道が簡単でないことを示しています。

また、ヨハネは愛することを説きましたが、神の愛を常に基にしています。「愛と赦し」は簡単なことではないということでしょう。だからこそ、十字架のイエス様が私たちを導いていてくださるのだと思います。

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5月11日(日)の礼拝のお知らせ

2025-05-08 | お知らせ

聖   書  ヨハネによる福音書19章23~27節
メッセージ  「イエス様の愛弟子」
讃美歌㉑18,329,333,28

エル・グレコ「福音書記者ヨハネ」(愛弟子が福音書記者と言われる)

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5月4日(日)礼拝メッセージ

2025-05-08 | 礼拝メッセージ要旨

聖書   ヨハネによる福音書1章43~51節
題    「最初の弟子たち」

ペトロとアンデレとフィリポとナタナエル(バルトロマイの別名)がイエス様の弟子になりました。イエス様はナタナエルがいちじくの木の下にいたことを言い当てました。ナタナエルは、自分のことを知っていてもらって嬉しかったと思います。

けれどもイエス様は、「もっと偉大なこと、天がひらけて、天使たちがのぼりくだりするのを見るようになる」と言われたのです。それは、ヤコブの天へつながる階段の夢のことを言っていたのでした。ヤコブが見た夢は、旅をしていたヤコブと、神様がいつも共にいるというしるしでした。ナタナエルがイエス様から言われたことは、イエス様がいつも一緒にいてくださるという意味だったのです。

そしてイエス様は、「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。この言葉は、イエス様が道として神様の愛を私たちに伝えていて下さり、真理としての十字架によって罪を赦して下さったことによって神様の義が示され、命として永遠のお方である神様の命の中にいさせて下さることによって私たちが希望に生きることを意味していると思います。

私たちはそれゆえ「愛と信仰と希望」(一コリント13:13では信仰・希望・愛)に生きていくことができるのです。

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5月4日(日)の礼拝

2025-05-01 | お知らせ

聖 書  ヨハネによる福音書1章43~51節
メッセージ  「最初の弟子たち」
こどもさんびか8,89,91,32

ピーテル・パウル・ルーベンス「バルトロマイ」
ヨハネによる福音書1章46節にナタナエルの名で出てくるバルトロマイ
ピーテル・パウル・ルーベンス「バルトロマイ」(スペイン・ブラド美術館所蔵)

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4月27日(日)礼拝メッセージ

2025-04-28 | 礼拝メッセージ要旨

聖  書   創世記28章10~15節
題     「天にのぼる階段」

イサクと結婚したリベカはお腹に子供を宿しました。ところが、お腹の中で押しあっている双子だったのです。兄は赤くて全身毛深い子で、エソウと名付けられました。弟はヤコブと名付けられました。兄は狩りを、弟は家の仕事を好む子でした。

ある日エソウが狩りから帰ってくるとヤコブが鍋料理を作っていました。エソウはおなかがすいていいたので、長子の権利と引き換えにその鍋料理を食べました。2人が大きくなった時、イサクは目が見えなくなり、毛皮を腕に巻いたヤコブを祝福してしまいました。エソウはヤコブに怒りました。

それで家にいられなくなったヤコブは旅に出たのです。昔の人にとって旅は大変なことでした。ヤコブも、ある夜石を枕にして野宿をしていました。すると彼は、天に届く階段を天使たちが昇ったり降ったりする夢を見たのです。そして神様が、「あなたが今寝ている土地を、あなたの子孫に与える」と言われたのです。神様は旅をしているヤコブと共にいて下さったのです。

ヤコブの息子たちはエジプトに渡り、やがてモーセに導かれてシナイを旅することになります。

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4月27日(日)の礼拝

2025-04-23 | お知らせ

聖 書   創世記28章10~17節
メッセージ 「天にのぼる階段」
讃美歌㉑325,327,434,27

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4月20日(日)礼拝メッセージ

2025-04-23 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 ヨハネによる福音書20章1~10節
題  「弟子たちの徒競走」

イエス様が復活された朝のお話です。マリアが墓に行くとイエス様の遺体がありませんでした。そこでマリアは、そのことをペトロとイエスの愛しておられた弟子に伝えました。イエスの愛していた弟子とはヨハネです。ペトロとヨハネは走って墓に行きましたが、ヨハネが先に墓に着きました。

ペトロとヨハネはライバル関係にありましたが、2人の性格は対照的でした。ペトロは一生懸命やるタイプでしたが、ヨハネはマイペースでした。けれども、ヨハネはイエス様に愛されていたのです。ペトロはそんなヨハネのことが気になってしかたがありません。

それでイエス様に、「あの弟子はどうなのですか」と聞きます。イエス様は「あなたに何の関係があるか。あなたは私に従いなさい」と言われました。それは、私たちが人のことはあまり気にしないで、自分らしく生きれば良いということでもあります。

復活の朝に、2人が徒競走をして、マイペース人間のヨハネが勝った出来事にはそんなことが示されています。自分らしく生きて行って良いのです。神様はそんな私たちを愛していてくださいます。

そしてマイペースなヨハネが良しとされたことは、私たちに「時に頑張るのを休むことが必要な時もある」ということを示しているとも思います。特に病気になった時は、がんばることをお休みして良いのだと思います。

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4月20日(日)の礼拝のお知らせ

2025-04-15 | お知らせ

イースター礼拝
聖 書 ヨハネ福音書20章1~10節
メッセージ 「弟子たちの徒競走」
礼拝後にイースター祝会を行います。イースターエッグをプレゼント!

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4月13日(日)礼拝メッセージ

2025-04-15 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 ヨハネによる福音書19章28~30節
題  「イエス様の死」

十字架刑を宣告されたイエス様は、ムチで打たれたあとゴルゴダの丘で十字架に掛けられました。時間が経過して、イエス様は「渇く」と言われました。人々はイエス様の口にぶどう酒を含ませた海綿を差し出しました。イエス様はそれを受け取り、「成し遂げられた」と言って息を引き取られました。

イエス様は以前に「私が命を捨てて命を与える」と言われています。イエス様が十字架上で命を捨てたことによって私たちに新しい命が与えられたのです。兵士が死んだイエス様のわき腹を槍で刺すと血と水が出ました。普通体から血は出ますが、水は出ません。

イエス様はある時にサマリアを通られ、井戸に水を汲みに来た女性に、「渇いているので水を飲ませて下さい」と言ったあと「この井戸の水を飲む者はまた渇く。けれども私が与える水を飲む者は永遠に渇くことがない」と言われました。イエス様の脇から出た水は、サマリアの女性に言われていた、「命の水」だったのです。

私たちにこの命の水が与えられています。私たちはイエス様から命の水をいただくことによって、愛と赦しの道を歩むように促されています。

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4月6日(日)の礼拝のお知らせ

2025-04-04 | お知らせ

聖 書   ヨハネによる福音書18章36~38節
メッセージ 「真理とは何か」
こどもさんびか18、84、120、28

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