世真留教会のブログ

愛知県知多市新舞子にある、日本キリスト教団世真留(せまる)教会のブログです。

4月14日(日)の礼拝メッセージ

2024-04-14 | 礼拝メッセージ要旨

聖 書 マタイによる福音書5章1~6節
メッセージ 「柔和な人は幸い」

コンピューターやインターネットという新しい出来事と共に迎えた21世紀において、「スピード」という言葉がもてはやされたように思えます。それは、「答えを簡単に出す」ということであり、答えを出すのに時間がかかることを求めることはタブーであったように思えます。

最近はそういったことが見直されて、「ネガティブ・ケイパビリティ―」ということが言われるようになりました。聖書の中には、この視点で語られているお話がいろいろあります。ヨブが大きな病気をわずらった時に、3人の友人たちがやって来て「あなたの病気はあなた自身に原因がある」と簡単に答えを出しました。その言葉は、ヨブにとって何の慰めにもならないものでした。

しかしそこにエリフという人が登場して、「神は苦しむ人をその苦しみによって救い、彼らの耳を虐げによって開く」(ヨブ記36章16節・聖書協会共同訳)と言ったのです。病気ということの原因について、その答えを簡単に出すのではなく、そこにどんな意味を待たされているのかということを考えたりすることによって、遠回りにはなっても答えが与えられるということです。

山上の説教で、「心の貧しい人々」「悲しむ人々」「柔和な人々」「義に飢え渇く人々」が幸いであるといわれていることも、「ネガティブ・ケイパビリティ―」なのです。


4月14日(日)の礼拝のお知らせ

2024-04-11 | お知らせ

聖  書 マタイ福音書5章1~6節
メッセージ 「柔和な人は幸い」
讃美歌㉑56,318,326,27


4月7日(日)の礼拝メッセージ

2024-04-07 | 礼拝メッセージ要旨

聖書  詩編1編1~10節
 題    「幸いなるかな」

教師の友の教案では、6月まで、マタイによる福音書の「山上の説教」が中心になっています。山上の説教は、最初に、「〇〇な人は幸いである」という、八つの幸い句があります。山上の説教で教えられていることを実行する人は幸いであるということです。

山上の説教は、しばしばシナイ山でモーセに伝えられた律法と対比されます。モーセの律法は、「してはならない」ということです。それに対して、イエス様が伝えた新しい律法は、「幸いである」という伝え方です。今日お伝えする詩編第一編も、「幸いなことか」という言葉で始まっています。「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人は幸いである」というのです。そして、その人には、ときが巡り来れば実を結ぶとされています。

イエス様は、「人が私につながっており、私もその人につながっていればその人は豊かに実を結ぶ」と言われました(ヨハネ福音書15章5節)。聖書の教えを愛するならば、その人には神様が豊かな実を結ばせて下さるということだと思います。そのような思いを持って、6月まで山上の説教を読んでいきたいと思います。


4月7日(日)の礼拝のお知らせ

2024-04-04 | お知らせ

聖 書 詩編1編1~6節
メッセージ 「幸いなるかな」
こどもさんびか19,87,88,25


3月31日(日)の礼拝メッセージ

2024-03-31 | 礼拝メッセージ要旨

聖 書 マタイによる福音書28章1~10節
 題   「よろこびなさい」

マタイによる福音書28章1~10節イエス様が十字架上で息を引き取った後、番兵たちはイエス様の死体が盗み出されて復活したという噂を立てられることを恐れました。それで、イエス様が入れられているお墓を番兵たちに見張らせることになりました。

日曜日の朝、大きな地震が起こり、天使が墓石の上に座りました。墓を見張っていた番兵たちは恐ろしさのあまりふるえていました。お墓のところにいた2人のマリアさんに天使は、「恐れることはない、あの方はよみがえった」と言いました。2人のマリアさんは、恐ろしさを少し残しながらも、大いに喜び墓を出ました。するとそこにイエス様がいて、「よろこびなさい」(聖書の翻訳ではおはよう)と言ったのです。2人のマリアさんはイエス様の足を抱き、礼拝しました。

イエス様の復活は、私たちにも復活があることを示しています。幼虫は一度さなぎになりますが、また成虫になります。それと同じように、私たちもまた新たな体になる日が来ると聖書には書いてあります。けれども、もっと大事なことはそのように私たちを蘇らせてくださる神様が、今も私たちを蘇らせてくださるということです。


3月31日(日)の礼拝のお知らせ

2024-03-29 | お知らせ

イースター礼拝
聖 書 マタイによる福音書28章1~10節
メッセージ 「よろこびなさい」

礼拝後イースター祝会
世界のイースター
絵本「輪島の朝市」
「うるわしの白百合」を歌おう

大きな白百合(イースターリリー)簪  1枚目の画像


3月24日(日)の礼拝メッセージ

2024-03-24 | 礼拝メッセージ要旨

本日は十字架にかかるイエス様が、エルサレムに入場したことを記念する「棕櫚の主日」です。

ジョット・ディボンド「エルサレム入城」(イタリア・スクロベーニ礼拝堂所蔵)
ジョット・ディボンド「エルサレム入城」(イタリア・スクロベーニ礼拝堂所蔵)

聖書 ヨハネによる福音書18章1~11節
題  「ユダの裏切り」

弟子たちとの最後の晩餐を終え、最後の祈りをささげたイエス様は、ゲツセマネの園に出かけます。イスカリオテのユダはすでにイエス様のところから出て行っていて、兵士や下役と一緒になって再びイエス様のところに来ました。ユダは、「私が接吻する人がその人だ」と言っていたのです。

イエス様のところにきて捕らえようとした人たちにイエス様は、「誰を探しているのか」と問います。兵士や下役は「ナザレのイエスを探している」と答えます。イエス様は「私である」とお答えになりました。そうすると兵士や下役たちは倒れてしまったのです。「私である」というのは、神様がモーセに「私は『私はある』という者だ」と言われたことと同じで、それはご自身が神様であることを示しています。

神様の言葉には力があります。だから兵士や下役たちは倒れてしまったのです。その時ペトロが大祭司の手下マルコスに切ってかかります。イエス様はそれをやめるように言われました。イエス様の言葉は暴力によって人を倒すものではなく、その権威によって私たちを守って下さるもの方なのです。


3月24日(日)の礼拝のお知らせ

2024-03-22 | お知らせ

棕櫚の主日
聖 書 ヨハネによる福音書18章1~11節
メッセージ 「ユダの裏切り」
讃美歌㉑55,298,306,25


3月17日(日)の礼拝メッセージ

2024-03-17 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 ヨハネによる福音書12章20~34節
題  「光を信じなさい」

マリアがイエス様に油を注いだ翌日、イエス様は子ロバに乗ってエルサレムに入場されました。ラザロの復活について証言している人がいたため、エルサレムの住民はイエス様を歓呼を持って迎えました。エルサレムの神殿では過越祭が行われるところでした。祭りに来ていた人たちにギリシア人がいたのですが、その人たちもイエス様のところにやってきました。

イエス様は、「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ」と言われました。それは、ご自身が十字架にかけられて死ぬことを意味していました。だから「私は地上から上げられる時、すべての人を自分の元へ引き寄せよう」(32節)と言われたのです。これはイエス様が十字架にかけられることを意味しています。

イエス様が十字架にかけられることは、そのことによって私たちが永遠の命を受けるようになるためでした。それは光を信じるということでもあります。イエス様は「光のあるうちに光を信じなさい」と言われます。それは「今、光であるイエス様を信じて、永遠の命をいただいて歩みなさい」ということなのです。「いつか」ではなく、「今」信じるということが大切なのです。


3月17日(日)の礼拝のお知らせ

2024-03-12 | お知らせ

聖  書 ヨハネによる福音書12章27~36節
メッセージ「光を信じなさい」
こどもさんびか18,85,26