世真留教会のブログ

愛知県知多市新舞子にある、日本キリスト教団世真留(せまる)教会のブログです。

遠足のご案内

2021-09-20 | CS(教会学校)

主の御名を賛美します。
日頃は世真留教会の諸集会、諸行事にご理解、ご協力、ご参加いただき、感謝しております。
今年度もコロナウィルス感染症拡大を考慮して花の日訪間、キヤンプ、バザーなどの行事が中止となりました。現在は緊急事態宣言下にありますが、解除された後、可能であれば遠足、または野外礼拝を行いたいと考えております。

○日 時 10月17日(日)合同礼拝後に出発します
 雨天→ 11月3日(水・祝)野外礼拝を兼ねます(11/3も雨天の場合は中止)

○実施条件 子どもの参加者が2名以上の場合

○集合時間 午前11時30分(世真留教会)
※10/17(日)の合同礼拝は10:30~です(ぜひ礼拝出席の上ご参加ください)

○行き先
①新舞子東町1号公園(昼食のみ)  
②旭公園            
歩いていきます

○帰り時間
旭公園 14:00~ 14:30分頃出発
教会 15:00頃到着予定
※旭公園を出る前に連絡します

○持ち物 弁当・水筒・敷き物・手拭きタオル・帽子ロゴミ袋・マスク着用

○申し込み 10月9日(土)まで
○大人の方も是非ご一緒にどうぞ!!

2021年9月19日(日) 世真留教会教会学校

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9月26日(日)予告

2021-09-20 | お知らせ

9:00~ 教会学校
10:30~ 大人礼拝
聖書   二コリント8:1~24
説教 「キリストの貧しさ」
讃美歌21  16、129、443、28

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9月19日/日曜礼拝メッセージ

2021-09-19 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 マルコによる福音書4章30~32節
説教 「神の国はからし種」

「からし種はどんな種よりも小さいが、蒔くと成長してどんな野菜よりも大きくなる」ということを、マタイによる福音書6:20ではイエス様が「からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向って『ここからあそこに移れ』と命じてもそのとおりになる」と言われています。信仰はからし種ほど小さくても良いということです。

イエス様がこれを話されたのは、病気の息子を持つ父親がイエス様のところに来た後です。この父親は息子をイエス様の弟子たちのところに連れて行きましたが、病気を治してもらうことは出来ませんでした。イエス様は「なんと信仰のないよこしまな時代なのか」と言われました。弟子たちは信仰によってではなく、何かほかの思いがあって病気の息子を治そうとしていたのだと思います。

それに対してイエス様は、「からし種一粒ほどの信仰があれば」と言われたのです。信仰というのは、長さや大きさではなく、向いている方向が神様の方向であることが大切なのです。

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バザー中止のご案内

2021-09-12 | バザー

主の御名をたたえます。

恒例のバザーは、昨年に続き今年も見送ることといたしました。

尚、献品は受付けております。ご支援ご協力のほどお願い申し上げます。

皆様におかれましては、くれぐれもご自愛下さい。

2021年9月 日本基督教団世真留教会

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9月19日(日)予告

2021-09-12 | お知らせ

10:30~ 合同礼拝
聖書 マルコ4:30~32
説教 「神の国はからし種」
こどもさんびか 18、56、60、35



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CSレター9月号

2021-09-12 | CS(教会学校)

教会学校のCSレターの9月号です。

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9月12日/日曜礼拝メッセージ

2021-09-12 | 礼拝メッセージ要旨

聖書  Ⅱコリント7:1~16
説教 「なぐさめと喜び」

7章5~16節は4節後半の「私は慰めに満ち、どんな苦難の中にあっても喜びに満ちあふれています」という言葉をタイトルにしていると言われます。慰めと喜びという言葉が繰り返されます。コリントの教会の中で人が人に対して過ちを犯してしまったのです。

パウロはその事件を教会全体の責任だとして手紙を書いたのだと思います。その手紙は厳しいものでした。しかしテトスによってその手紙がコリントに届けられると、コリントの教会の人たちは悲しみましたが悔い改めたのです。パウロはこの悲しみを神のみこころにそった悲しみと述べています。

悲しみには2通りあり、神のみこころにそった悲しみは救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらすとしています。

コリントの教会の人たちが悔い改め、テトスはそれによって慰められ、マケドニアにいるパウロの所に行きました。パウロもテトスの報告を聞いて慰められ喜んだのです。

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9月12日(日)予告

2021-09-09 | お知らせ

聖霊降臨節第17主日
9:00~ 教会学校
10:30~ 大人礼拝
聖書 コリントの信徒への手紙二7章1~16節
説教 「なぐさめと喜び」
讃美歌21 15、127、479、27

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9月5日/日曜礼拝メッセージ

2021-09-05 | 礼拝メッセージ要旨

聖書  Ⅱコリント5:6~6:13
説教 「和解させる任務」

5章11節~6章13節は、パウロが自分の使徒としての務めを書いています。パウロはまず務めを果たす理由を書きます。それはキリストの愛がパウロを駆り立てているということです。そして「自分たちのために死んで復活して下さった方のために生きる」と書いています。それは肉によってキリストを知るということではないのです。

そのパウロが務めとすることは人々を神様と和解させることです。とはいえ、神様の側ではもうキリストにあって人を赦しているのですから、人がそれを受け入れればよい話です。神様と和解した人は、他の人とも和解するようになります。聖書には、特にユダヤ人とギリシャ人の和解について書かれているのです。

続けてパウロは、「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」とも書いています。神の恵みが7対の「○○のようで○○」ということが書かれています。
「わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、
人に知られていないようでいて、よく知られ、
死にかかっているようで、このように生きており、
罰せられているようで、殺されてはおらず、
悲しんでいるようで、常に喜び、
物乞いのようで、多くの人を富ませ、
無一物のようで、すべてのものを所有しています。」
人の目には○○のようで、神の国では○○の恵みであるということです。

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8月29日(日)予告

2021-09-01 | お知らせ

聖霊降臨節第16主日
9:00~教会学校
10:30~ 大人礼拝
聖書 コリントの信徒への手紙二5章11節~6章13節
説教 「和解させる任務」
讃美歌21 14、120、77、26

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