聖 書 マタイによる福音書18章21~35節
メッセージ 「ふとどき者の家来」
讃美歌㉑61,227,534,27
聖書 マタイによる福音書18章10~14節
題 「一匹も見捨てない」
イエス様は100匹の中で迷い出た1匹の羊の話をされました。このお話しには実は2つの側面があります。一つは、「罪をおかしてしまった人がそのことを悔い改めて神様のもとに立ち返るならば天国には大きな喜びがある。そのような人をイエス様は探し出す」ということで、これはルカによる福音書の迷子の羊の話がそのことを伝えています。
しかし、このお話しには「教会に集っている人が、神様のことを忘れて教会から離れてしまった時にも、イエス様はその一人の人を忘れない」という意味もあり、これはマタイによる福音書が伝えています。それが今日のお話です。イエス様の話されたことにはその2つの面があって、ルカさんとマタイさんはそのことをそれぞれに伝えているのです。
聖書の教えがつまらないと思ったり、信仰が小さくて教会を離れてしまった人がいても、神さまはちゃんと覚えていて下さり、また教会に迎え入れてくださるということだと思います。
教会創立78周年記念礼拝
聖 書 マタイによる福音書16章13~20節
メッセージ 「この信仰告白の上に}
イタリアのローマ市の中にあるバチカン市国にサンピエトロ寺院と呼ばれている建物があります。聖ペテロ教会ということです。これはカトリック教会の総本山です。総本山の一番大事な教会にペトロの名前がつくのは、カトリック教会がペトロを教会の元祖と考えているからです。
どうしてかということが、今日の聖書の言葉の中にあります。それはイエス様が、「私はこの岩(ペトロ)の上に教会を建てる」と言ったからです。ペトロという人の上に教会が建っていると考えるから、ペトロは教会の祖なのです。カトリック教会は教皇制度ですが、初代の教皇はペトロです。今の教皇は266代だそうです。
ところがプロテスタント教会は、「教会はペトロが言った『あなたはメシア、生ける神の子です』という信仰告白の上に教会は建っている」と考えています。これは宗教改革者マルチン・ルターからの伝統です。世真留教会は、78周年を迎えましたが、この間ずっとイエス様のことを「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白して歩んできたのです。
聖 書 マタイによる福音書7章7~12節
メッセージ 「祈り求めよう」
イエス様は、「だから人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言書である」と言われました(12節)。これは、イエス様の黄金律と言われています。この言葉には、いろいろなことが詰まっています。してもらいたいこと、それはやさしくしてもらったりとか、ほめてもらったりだったりします。親切にしてもらうということです。「あなたがたはそれを他人にもしなさい」とイエス様は言われます。それは「より積極的な生き方」なのです。
イエス様は、私たちがより積極的な生き方をするために十字架にかかられたと言っても良いでしょう。罪がある私たちは、他の人に親切にすることは出来ません。しかし私たちは日々十字架のイエス様に赦されて、他者と歩んで行くことができます。そして、パンを欲しがる人にはパンを、魚を欲しがる人には魚をあげることができます。
そのような交わりの行動と共に、天の父なる神様に祈り続けてまいりましょう。「自分のためだけでなく、してほしいと思うことを他人にもするという交わりの行為」の中での私たちの願いを、神様は聞いてくださるに違いないのです。
花の日礼拝
聖書 マタイによる福音書6章25~34節
題 「空の鳥野の花」
イエス様が育ったのはイスラエルのガリラヤ地方でした。このこの地方にはガリラヤ湖という大きな湖があります。地図で見てみましたが、知多市を中心にした場合、東海市、東浦町、阿久比町を合わせたくらいの広さです。魚もたくさんいます。
この湖で魚をとっていたのがペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネでした。彼らは網を捨ててイエス様の弟子になります。イエス様はガリラヤ中を回って教えを語っていました。その代表的なものが山上の説教です。
イスラエルに行くと、山上の説教の丘といわれるところがあり、花や鳥がとてもきれいです。イエス様はその鳥を見て、「空の鳥を見なさい、働きもしないのに神様は養って下さる」と言われました。
そして野の花を見て、「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどには着飾っていなかった」と言われました。ソロモン王は昔の王様ですが、立派な宮殿に住んでたくさんの動物を飼い、おいしいものをたくさん食べ、きれいな洋服を着ていました。しかし、野の花の一つでもそのソロモン王よりきれいだと言われたのです。