世真留教会のブログ

愛知県知多市新舞子にある、日本キリスト教団世真留(せまる)教会のブログです。

8月18日(日)のお知らせ

2024-08-15 | お知らせ

聖 書 マタイによる福音書24章45~51節
メッセージ 「忠実なしもべ」

知多市役所のアオノリュウゼツランの花の今の様子です。



8月11日(日)の礼拝メッセージ

2024-08-15 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 マタイによる福音書21章28~32節
題  「後で考え直した兄」

イエス様の語られた、兄と弟のたとえ話です。ぶどう園の主人(神様を意味している)が2人の息子に「今日ぶどう園に行って働きなさい」と命じます。兄は「いやです」と答えましたが、その後考え直してぶどう園に行って働きました。弟は「行きます」と答えましたが、行きませんでした。

2人のうちどちらがお父さんの望みどおりだったでしょうか?それは兄の方です。兄は悔い改めて姿勢を低くしたからです。このたとえは、徴税人たちと宗教指導者たちのありようを意味しています。徴税人たちは、洗礼者ヨハネのところに行って悔い改めて洗礼を受け神様の正しさを認めましたが、宗教指導者たちはヨハネから洗礼を受けることをしませんでした(ルカ福音書7章29~30節)。

イエス様は自らを低くする人たちを良しとされたのです。徴税人たちは、ありのままの自分を認めて洗礼を受けました。このお話は、神様が「あなたはいい子でなくてありのままで良いのですよ」と言って下さっていることを意味しているのです。


8月11日(日)の礼拝のお知らせ

2024-08-07 | 礼拝メッセージ要旨

聖 書 マタイによる福音書21章28~32節
メッセージ 「後で考え直した兄」


8月4日(日)の礼拝メッセージ

2024-08-07 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 マタイによる福音書18章15~20節
題  「イエス様が一緒」

イエス様は、「あなたの兄弟があなたに罪を犯したなら行って二人だけのところで忠告しなさい」と言われました。これは、罪を犯した人をゆるさないでさばきなさいという意味ではありません。この後の21節では「7の70倍までゆるしなさい」と伝えられています。

つまりイエス様は、ゆるさないことを目標にするのではなく、相手の人をゆるすことを目標にして「忠告しなさい」と言われているのです。イエス様は、2人または3人の人がゆるしあえることができるようになるために、十字架にかかって下さったのです。そうするならば2人3人の人たちは祈り合えるようになるでしょう。

しかし、世界の現実はそうではありません。特にパレスチナは今厳しい状況で、ゆるし合うための話し合いさえもできない状況になっています。こういう時は、他の人たちがそのことを覚えて祈ることが大切なのだと思います。当事者のいないというある意味で数少ない祈りですが、そこにイエス様がおられて、働いてくださるのです。そう信じて平和のために祈ってまいりましょう。


8月4日(日)の礼拝のお知らせ

2024-08-02 | お知らせ

聖 書 マタイによる福音書18章15~20節
メッセージ 「イエス様が一緒」

教会玄関に植えた朝顔が咲きました。


7月28日(日)の礼拝メッセージ

2024-08-02 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 マタイによる福音書18章21~35節
題  「ふとどき者の家来」

イエス様のたとえ話は、王様が1万タラントン借金している家来に対してその借金を帳消しにするというものです。1タラントンが6千万円ですから、1万タラントンは6千億円です。大谷選手の年棒が100億円だそうですのでその60倍です。1万タラントンの借金が帳消しになるということは、それだけの私たちの罪をイエス様がゆるしてくださったということです。

ところがゆるしてもらった家来は外に出て、自分に100万デナリの借金がある人にお金を返してくれと言ったのです。100万デナリというのは100万円だとして、自分がゆるしてもらった金額1万タラントンの60万分の1です。けれども家来は、借金をしている人を牢に入れてしまったのです。

これを見ていた王様は胸を痛めて、「ふとどき者の家来め」と言いました。ふとどき者というのは「人の道にそむく者」ということです。そして、「私がお前をあわれんだように、お前も人をあわれむべきではなかったか」と言ったのです。私たちは神様に赦されたのだから人を赦しましょう。


7月28日(日)の礼拝のお知らせ

2024-07-25 | お知らせ

聖 書 マタイによる福音書18章21~35節
メッセージ 「ふとどき者の家来」
讃美歌㉑61,227,534,27


7月21日(日)の礼拝メッセージ

2024-07-25 | 礼拝メッセージ要旨

聖書 マタイによる福音書18章10~14節
 題 「一匹も見捨てない」

イエス様は100匹の中で迷い出た1匹の羊の話をされました。このお話しには実は2つの側面があります。一つは、「罪をおかしてしまった人がそのことを悔い改めて神様のもとに立ち返るならば天国には大きな喜びがある。そのような人をイエス様は探し出す」ということで、これはルカによる福音書の迷子の羊の話がそのことを伝えています。

しかし、このお話しには「教会に集っている人が、神様のことを忘れて教会から離れてしまった時にも、イエス様はその一人の人を忘れない」という意味もあり、これはマタイによる福音書が伝えています。それが今日のお話です。イエス様の話されたことにはその2つの面があって、ルカさんとマタイさんはそのことをそれぞれに伝えているのです。

聖書の教えがつまらないと思ったり、信仰が小さくて教会を離れてしまった人がいても、神さまはちゃんと覚えていて下さり、また教会に迎え入れてくださるということだと思います。



7月14日(日)の礼拝のお知らせ

2024-07-11 | お知らせ

聖 書 マタイによる福音書13章44~46節
メッセージ 「天の国のたとえ」
讃美歌㉑ 60,338,423,26


7月7日(日)の礼拝メッセージ

2024-07-08 | 礼拝メッセージ要旨

教会創立78周年記念礼拝
聖 書 マタイによる福音書16章13~20節
メッセージ 「この信仰告白の上に}

イタリアのローマ市の中にあるバチカン市国にサンピエトロ寺院と呼ばれている建物があります。聖ペテロ教会ということです。これはカトリック教会の総本山です。総本山の一番大事な教会にペトロの名前がつくのは、カトリック教会がペトロを教会の元祖と考えているからです。

どうしてかということが、今日の聖書の言葉の中にあります。それはイエス様が、「私はこの岩(ペトロ)の上に教会を建てる」と言ったからです。ペトロという人の上に教会が建っていると考えるから、ペトロは教会の祖なのです。カトリック教会は教皇制度ですが、初代の教皇はペトロです。今の教皇は266代だそうです。

ところがプロテスタント教会は、「教会はペトロが言った『あなたはメシア、生ける神の子です』という信仰告白の上に教会は建っている」と考えています。これは宗教改革者マルチン・ルターからの伝統です。世真留教会は、78周年を迎えましたが、この間ずっとイエス様のことを「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白して歩んできたのです。