河野です。
さて。
私は高校時代柔道部に在籍してました。
中学まで野球部でしたが、野球のセンスがないことに加え、当時の性格では団体競技ができないほど荒れてましたので、
友人(いとこで柔道部主将)の勧めで柔道をすることにしました。
「英樹ちゃんなら軽量級で優勝できる!」という根拠のないこの褒め言葉にすっかり騙され入部したのです。
ただ、素人が簡単に活躍できる場所ではありませんでした。
一年生の春早々に、「捨て稽古」と呼ばれる投げ込み練習で、1つ年上で背負投の下手くそな先輩に頭から落とされ。
畳にぶつかった部分が腫れ上がり、そこが翌日には「血?水?」で【ブヨブヨ】状態になりました。
夏ころに左膝の靭帯を切る怪我(その時のギブスは黒岩先生にノコギリで切られました)。
冬に「ソケイヘルニア」が判明。
2年生になる春休みに手術。
一年間ほぼ怪我との戦いでした。
2年生になりはしましたが、新一年生の中に中学軽量級宮崎県No.1の後輩(河野眞治)が入部・・・。
正直焦りました。
弱い先輩の存在はありえないだろう、と。
ただ、何を思われたのか、顧問の先生が当時かなりの合宿や出稽古に行かせてくださり。
少しずつながら強くなって行きました。
様々な経験を積んだ中、3年生になるころには「もしかしたら?」というレベルにまで辿り着けたような気がしています。
振り返れば当時の稽古(練習)もきつかったのですが、同時に【減量】がとてもつらかったのでした。
当時、私は軽量級(60キロ以下級)で戦っていました。
普段の体重は、65~6キロ。
余分な脂肪など微塵もありません。
そんな状況から、パワー等を落とさずに減量をします(体重は落としますが、技のキレ、パワー、持久力は逆に高めながらを目標に)。
私は1か月かけて落としていました。
食事を半分にしたり。
水分の量を減らしたり。
練習後にジョギングしたり、さらに筋トレしたり(かなりの厚着して)。
二度とあのような鍛錬はできないでしょうが。
貴重な懐かしく大切な思い出です。
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そんな選手にめぐり逢いたい(^^)
>そういないと判断した私は天才かもしれませんね
→どなたか存じませんが、判断された側の鷲尾さんが天才ですね(笑)。
ただ、三五の先輩(2つ年上)の「鷲尾」で書かれるセンスも素晴らしいと思います。かなりの柔道部物語のファンでいらっしゃいますね。
あんだけ一途に研究し、懸垂し続ける選手は、簡単にめぐり逢えません…