ひむかの生活文化研究所ブログ

真面目に笑い、楽しむ組織の話題を綴るブログです。

高校時代 柔道の思い出

2013-01-18 | 思い出
 

高校3年生の時のヒデキの写真を6枚並べてみました。

ねっ?嫌になるでしょう?


さて、柔道関係者の方が、「梅の花の開花」等の記事を
FBに書かれていたことがきっかけで、
昔のことを思い出してしまいました。

それは高校3年生の春のことです(25年も前・・・)。

高校総体の県予選まで残り2か月ほどとなり、
恩師の指導も厳しさ
を増しておりました。

春休み例年参加させられる
「西都原花祭り柔道大会(当時ローカル
な大会でした)」で
優勝(団体)はしたものの、
試合内容が悪いと
いうことで恩師がブチ切れられたまま、
翌日から挑むことになった

大分県立「日田林工高校」への合宿に連行されました。

本県からは私たちの学校をはじめ、
宮崎工業(矢野先生率いる)と

宮崎日大高校(荒川先生率いる)が参加しました。

なお、チャンピオンである都城商業(有嶋先生の)などは、
別で行
われた福岡での合宿に参加だったと思います。

さて、私たちの合宿ですが・・・。
行ってびっくり、各県の強豪校がわんさか来てました。
もっと驚い
たのは到着してすぐ着替えを命ぜられ、いきなり「試合」。

そして、「試合」「試合」「試合」「試合」。
朝から夕方までそれが続けられたのでした(2泊3日です)。

そこで特に思い出に残っているのが2つ。
1つ目は、東福岡高校の3軍(5軍くらいまでありました)との試合です
(東福岡は強いのに同じ地区に東海大学第五高校がいるので
県予選にも出場できないという話を当時聞きました)。

3番手くらいで出た私は、
相手の目に思い切り指をねじ入れてしま
いました(わざとではありません)。
もがき苦しんでいる相手に
「すまん、わざとじゃない」と謝りまし
たが
『チクショウ!』とそいつは興奮し、それに私も応戦。
その後は
喧嘩のような柔道を繰り広げてしまいました
(試合後も日田の街で
そいつらと鉢合わせとなり
大喧嘩になりかけました)。

2つ目は、山口県から参加していた「H高校」というところでした

そこの練習時間の長さにも驚かされたのですが。
思い出に残って
いるのはやはり試合です。

対戦相手は、当時の山口県軽量級のチャンピオン。
何を間違ったのか相手高校の監督さんが私を見て
こう選手に言った
のです。

「あいつが宮崎県№1の軽量級の選手だ!
インターハイで戦
うのだから心して戦え」、と。

この監督さんのアドバイスは間違いでした。

宮崎県№1の軽量級の選手は私ではなく、
参加していた宮崎日大の
N村だったのです。

「私ではありません!」と言おうと思ったのですが、
言え出せない
まま試合開始。

お互い意識しあっての引き分けでした
(私にとって有難い勘違いを
してくださいました)。

試合後、その一部始終を見ていた宮崎日大のN村が
「河野!インタ
ーハイ頑張れよ」と
冗談交じりで笑って話しかけてきたことが忘れ
られません・・・。

その合宿から2か月後のインターハイ県予選。

最強・最大のライバルN村の姿はありませんでした・・・。
同校の監督さんから
「N村はこの前学校を辞めた、お前優勝狙える
ぞ」と言われ。
呆然としました。
彼とは順当に勝ち進めば準決勝で対戦する予定でした。

練習試合も含めた彼との対戦成績は1分け2敗。
高校から柔道をは
じめた私の大きな、大きな壁でした。
彼に最後に勝つことだけ考えて練習してきました。

心の整理がつかないまま試合は勝利し続け、準決勝へ。

自分の描いた対戦相手でない選手がそこにいました。
結果は決め手のないまま(勝とうという気もないまま)判定負け。

何故かしら「ホッと」した記憶が今も残っています。

N村、元気にしてますか?
 

ラグビー早明戦

2013-01-05 | 思い出

高校2年生の正月休みだったと思います。

日高くんの実家に泊まりに行っていたのですが、

午後から彼の親戚の家に遊びに行くことになりました。

 

そこには大きなテレビがあって、

ラグビーの関東大学対抗戦を見せて頂きました。

雪の中での早稲田大学と明治大学の激闘に

手に汗を握り、感動を覚えながら、震えながら見ました。

1987ラグビー雪の早明戦


同点のペナルティゴールを選択しなかったことや、

(明治は筑波に敗れていたために同点では
 総合で優勝にならなかったこともあったのだと思います)

それぞれのチームカラーをぶつけ合っての攻防は、

今、思い出しても熱くなってしまいます。

 

明治大学出身である

当時中日ドラゴンズの監督だった星野氏は

選手をスタンドに連れて行き、

「この闘志を見習え」と激を飛ばしたそうです。

一部のマスコミから

「プロの選手が学生から学ぼうとしてどうするんだ」

と批判されましたが、

「一度、自分の目で彼らの試合を見てからそんな記事は書け」

と激怒したのも思い出されます。

 

この試合に敗れた北島忠治・明治大学監督のコメントも印象的でした。


「あれでいいんだ。勝ちに行かなくてはいかんのだから。

 それが明治ラグビーなんだ」


「悔いが残るかって? 冗談じゃない。皆なよくやったよ。(中略)

 いい試合だった。100点満点ですよ」


 

勝った早稲田大学。

 

今年の夏合宿での記事は残念でしたが、

常に王道を歩んで欲しいと願います。


この試合を見ていたとき、

テレビの回りをチョロチョロしては、

日高くんから

「お前、真剣に見てるんだから邪魔すんな!殺さるっど!」

と怒られていた少年がいました。

その時の少年が今、

メジャーで活躍している青木選手のようです。

サインを貰っとけば良かった。


柔道着着用の写真

2012-12-11 | 思い出
j柔道家でもある河野です。

20年くらい前の写真。
本町で行われた小中学生の錬成大会で、
講道館から派遣された講師「やじま先生(現帝京大学女子柔道部監督)」と、
高野先生「現福岡大学柔道部監督」の
「受け(投げられたりする役)」をさせていただいた時の写真です。

柔道着着用の写真。

わが家の貴重な写真なのです。
写真: 20年くらい前の写真。  本町で行われた小中学生の錬成大会で、講道館から派遣された講師「やしま先生(現帝京大学女子柔道部監督)」と、高野先生「現福岡大学柔道部監督」の「受け(投げられたりする役)」をさせていただいた時の写真です。  柔道着着用の写真。  わが家の貴重な写真なのです。
 
上の写真で私を投げようとされてる方です。
矢嶋先生です。
小柄で優しい方でしたが、当然のごとく、もの凄く柔道が強かったです。
http://wjudo.teikyouniv.jp/team/message/index.html

バカン巣(馬鹿の巣)会議

2012-11-29 | 思い出

河野です。


写真右側の方は、今まさに話題の方。衆議院選のカギを握る。
左の方は、「東の地元学」結城先生。


2005年4月に、

師匠吉本哲郎氏が全国の方々に呼びかけて湯布院で行われた

【バカン巣(馬鹿の巣)会議】での懇親会での写真である。


何だか意味がわからない会議だった(笑)。


この後、場所を宿に移して大宴会。
翌日目が覚めたら、押し入れの中で寝ていたのであった。
余談だが、押し入れの中にはもう一人・・・。
高千穂町が産んだ天才、甲斐良治氏であった!