ひむかの生活文化研究所ブログ

真面目に笑い、楽しむ組織の話題を綴るブログです。

太り過ぎ?の時代

2012-11-13 | 思い出
旧企画部でイケメン5本の指に入る河野です。


昨夜、川南クラブ代表の西村氏から
「太り過ぎ」というメールが届いた。

添付されていたのがこの写真。
私が左プロップ、西村さんが左ロック時代の写真だ。
80キロ時代・・・。
写真: 昨夜、川南クラブ代表の西村氏から「太り過ぎ」というメールが届いた。添付されていたのがこの写真。  私が左プロップ、西村さんが左ロック時代の写真だ。  80キロ時代・・・。

恩師

2012-11-04 | 思い出
突然ですが、この男性は私の高校時代の恩師です
(昨年度定年退職されました)。



この写真を見て、のけぞった方も沢山おられると思います。

恩師曰く、

「長い教員生活の中で沢山の柔道部員を見てきましたが、
一番殴ったのは河野英樹君でした」

と、退職祝いのご挨拶の中でおっしゃられた時は、
恥かしいやら懐かしいやら。

私は本当によく殴られてました(同率が主将でしょうか?)。


「お前は大学で柔道やれ、
日体(先生の母校)か国士舘(関係者が)に行かせるぞ、
その後高校の教員はどうだ?」

とおっしゃってくださってました。

ただ貧乏な我が家では、当時無理でして
(その他の大学や企業からの誘いもあったのですが
決してそれは許してくださいませんでした)。

仮に、日体か国士舘に行ってたら今頃なにしてたんだろう。

ラグビーの練習に行くまで妄想してみたいと思います(笑)。

高校時代の柔道の話

2012-10-20 | 思い出

河野です。


さて。

私は高校時代柔道部に在籍してました。

中学まで野球部でしたが、野球のセンスがないことに加え、当時の性格では団体競技ができないほど荒れてましたので、
友人(いとこで柔道部主将)の勧めで柔道をすることにしました。


「英樹ちゃんなら軽量級で優勝できる!」という根拠のないこの褒め言葉にすっかり騙され入部したのです。


ただ、素人が簡単に活躍できる場所ではありませんでした。


一年生の春早々に、「捨て稽古」と呼ばれる投げ込み練習で、1つ年上で背負投の下手くそな先輩に頭から落とされ。

畳にぶつかった部分が腫れ上がり、そこが翌日には「血?水?」で【ブヨブヨ】状態になりました。

夏ころに左膝の靭帯を切る怪我(その時のギブスは黒岩先生にノコギリで切られました)。

冬に「ソケイヘルニア」が判明。

2年生になる春休みに手術。

一年間ほぼ怪我との戦いでした。


2年生になりはしましたが、新一年生の中に中学軽量級宮崎県No.1の後輩(河野眞治)が入部・・・。


正直焦りました。

弱い先輩の存在はありえないだろう、と。


ただ、何を思われたのか、顧問の先生が当時かなりの合宿や出稽古に行かせてくださり。

少しずつながら強くなって行きました。


様々な経験を積んだ中、3年生になるころには「もしかしたら?」というレベルにまで辿り着けたような気がしています。




振り返れば当時の稽古(練習)もきつかったのですが、同時に【減量】がとてもつらかったのでした。

当時、私は軽量級(60キロ以下級)で戦っていました。


普段の体重は、65~6キロ。

余分な脂肪など微塵もありません。

そんな状況から、パワー等を落とさずに減量をします(体重は落としますが、技のキレ、パワー、持久力は逆に高めながらを目標に)。

私は1か月かけて落としていました。

食事を半分にしたり。

水分の量を減らしたり。

練習後にジョギングしたり、さらに筋トレしたり(かなりの厚着して)。


二度とあのような鍛錬はできないでしょうが。


貴重な懐かしく大切な思い出です。