禁断の中国史は驚きの連続でした。
中国の歴史小説は、われわれ日本人にとっては、大衆の娯楽物語として楽しんできました。
しかしながら、その裏で残酷な生死与奪の史実が存在していたのです。
日本国紀では、日本の歴史を斬新な視点より解説してくれました。
この歴史の解釈に関しては、従来の歴史学者の歴史観とは異なるものがあり、
いろんな批判がありました。
しかし、
日本の従来の歴史観には、自虐史観が多く含まれています。
特に、世界第二次戦争に関しての史観は、懺悔史観となっています。
これは、敗戦後の米国の占領下において、米国主導により、焚書が行われて、
自虐の歴史が尊重され、教科書にも反映されてきました。
我々もこの教科書で教育を受けてきました。
歴史の解釈には、史跡研究、史記等の記述の解釈により、いろんな解釈があっても良いと思います。
改めて、歴史解釈に関しての多くの解釈があっても良いということです。
どの解釈を選択するかは、我々の自由です。
慰安婦問題、徴用工問題、南京大虐殺問題等の真実の追求はこれからも続ける必要があります。
韓国や中国の批判に対しての史実に基づく反論は重要です。
中国や韓国の広告費用の投入により、偏向報道を続けるマスコミにも大いに問題ありです。
NKHも含めたマスコミ等も中国批判しないのは、
中国国内の史跡探訪の自由度の確保のためやニュース取材の自由度を確保するためとは解釈されますが
こんなことで、偏向報道が繰り返されていることを認識しておく必要がありそうです。
中国の歴史ドラマ、韓国のドラマの背景に身分格差と残酷刑罰の歴史があることを認識すべきです。
東洋の歴史だけでなく、西洋や中東の歴史の中に、奴隷、残酷刑罰、虐殺の歴史があることを認識しておくべきです。