The Diary of Ka2104-2

私はアンダー20の頃、視姦ハラスメントの犠牲者だった

私の容貌は今では見る影もないが、若い頃ではまた違っていた。

私が自分がかわいいとかきれいな顔立ちをしているとかはたまた小顔であると自覚したのは、20歳をとおに過ぎている頃合いだった。もっとも、顔に当たる光加減や見る角度に拠っては、醜いとは言わずともぱっとはしなく見えていたのも私は承知していたので、私は自分の容貌にいわば陰と陽のないまぜの感想を抱いておって、それ故これまで自分の顔を意識することなく過ごして来れた。

私が高校生だった頃、思い出すのはいつも物理か何か理数系の科目なのだが、その授業時間に於いて、私とスペースを隔てて隣の席に座っているのはいつも同じ男の子だったのだが、彼は私をずっと横から見つめ続けるのであった。

私の、教師のすなる黒板書きをノートへ写す際の態度は、いささか怪異であった。授業を聞く為に前を向くのは平気であっても、黒板を写しの為に顔を上げ又下を向きノートに書き写すこの一連の動作にあっては、なぜか未だに分からぬが、黒板に目を留める為に顔をノートから上に挙げるのに私は一々さっさと顔を下ろさないととある種震撼を感じながらノート書き写しをしていたものだ。

また私はどちらかというと、その頃、文系であったので、物理などの理数系ではより一層授業を受けるのが大変であった。

そんな中にあって、彼はいつも何気に私を横から見つめるのであった。どうやら気に入ってくれているようで、私は恥ずかしくうれしいとも思っていたのは否定できない事実である。そしてもう半分として視姦されることにより授業に集中できないという厳然とした事実がそこに大きく横たわっていたのは同時に大いなる弊害であった。気に入られるからこその弊害である。男同士だから気付きにくいが、土足で踏み入られる感覚である。

私は人から愛されているようで、「やめて」とは言えなかった。こうした苦悶が、どれぐらいの期間に亘ってであろう、ずっと続いていた。

それは私が19のとき、大阪市美術研究所へ通っていたときにも成されてしまっていた。そこの木炭デッサン探求者といえば当時の私からすると「おばさん」といった中高年の女性が99%を占めていた。中でもとりわけ特定の1人のおばさんがいた。

彼女はなにやら様子がおかしい。ふと彼女の方をを見ると、又何度見て確かめても、その視線は常に私の上に、私の描き様や絵でなしに、私の顔の上に注がれていた。私がその部屋で描くのを諦め、別の部屋へ行く。気付いたときには、何もしないそのおばさんがこちらにもう移っていた。

「南極物語」という映画が封切られ、私は1人で観に行った。開映されるタイミングで、私の隣空いた席2つぐらい挟んでその女は席に着いた。着くなり彼女は私の方に体ごとかしげ、ずっと私を大胆に見続けていた。私は全く映画を見ながら見れていなかった。視線がうるさかったのだ。このケースなど、ストーカーではあるまいか、と思わせる恐怖もあった。もっとも往時はストーカーという言葉は世間一般に認知されていなかったが。感覚的に怖いのは若い私でも分かった。

私はいわゆる生徒時代、中学から高校のいずれかの時点で、世界で初めてのエイズ報道に触れた。私は私がゲイであることを性自認していた。丁度思春期の多感な頃、おまけに中学生の時に父が女を作って不在となり、高校生のとき両親の間で離婚の決着がついた、そして並行するように私にせきぜんそくの症状が短いサイクルで顕現されるようになっていた。なので、私が学校でどれだけ明るく振る舞っていたとて、一貫して私の心の内奥は不安定だったと思う。

必ずエイズ報道でその当時使われていた同じ一枚のショッキングな罹患者の容貌と併せてその知らせは私を大いに動揺させ、それは驚異的に恐ろしいものとの刷り込みを私は与えられ、知らぬ間に定着してしまっていた、恋の季節に、愛の季節に。

私は丁度20歳になった3月のあと、一人暮らしを始めた。引っ越した先は東大阪市で、私がそのマンションに転居したその日の午後にはそれは始まっていた。轟音と床振動である。どうやら裏が表から見たら家の装いをしているものの工場(こうば)であるものらしい。私は泣き濡れ、うつが全面に出て来た。ようやく家を離れることができたあかつきの日だった。

程なく、私はゲイ専門映画館で中年男性からホテルへ誘いを受け了承し、そこを二人で出てホテルへ向かった。

二人はベッドで裸同士になって横たわった。彼が私へのアナルセックスを求めだして、私は急に危険のスイッチが入った。私の頭の中は状況も彼のことも何もかも拭い去られ、エイズの恐怖一辺倒になった。私はベッドでこれ以上ない程彼にあらがった。二人はもみくちゃになり、ベッドの上で逃げる者と追う者とのせめぎ合いが展開された。端で見る者がいるとしたらまるで男同士のレイプ事件の如くで、それはもう格闘技だった。

帰りのエレベーターの中、私は謝るでなしに、こう彼につぶやいた。「エイズ、大丈夫?」アナルセックスなど成就されなかったにもかかわらずである。

若い頃の私と云えば、ゲイ専門映画館での手コキされる手コキする、ばかりであった。

そんな中、外へといざなってくれる中年の男たちがいて、その少ない人々すべてが色気も愛もコミュニケーションさえ全く知らない無粋で意味不明な者たちばかりであった。

一人。話題性に全く欠け、電話越しに「警察」と突拍子もなくつぶやく妄想家。

一人。家まで連れ込んでおいて「沖縄の人は違う民族かもしれない」などと言い出す。そうであってもなくてもまったく意味を成さない。

一人。私を連れ出し車に乗せ、その車をキリスト教会横に停め、雨が降る中、何もせず何も語らず、して欲しいのかと云うとそうではなく、ただぽつねんと車を停めているのが良いらしい。

一人。この人は最初からその動機に性欲も一夜限りであったとしても孤独の慰めも一緒にパーッといこうやも何もなく、ただ私をドロドロの演歌を歌うスター級の女性演歌歌手がオーナーのゲイバーに私を連れてゆき、股間にとても大きなペニスのハリボテ、真綿をぎゅうぎゅうに詰め込んだような、それを履いているスラックスにあからさまに浮き上がらせるのをそこで私に見せつけることだけをしてくれて、やはり何この人の人だった。私は彼のそのスラックスの上からそれを触ったので、ただのハリボテだとあとからしみじみ追憶したのであった。

一人。この人とは電車でこの人の住まう家に向かった。彼はアパートに私を連れ込んだあと、お茶も出さずにどこかへ外出した。部屋には警察官のコスチュームが掛けてあるのが見受けられた。やがて帰ってきて私がウケ(bottom; タチはtopと云います)となってアナルセックスが始められ相当長くそれが続いたあと、私は半ば覚醒して仮眠のような睡眠を彼の隣でとった。昨晩から朝に至っても飲食は一切供せられなかった。帰りは、その者の出勤と同時にそのアパートを出て一緒に歩いていた。彼とさよならしたのは同じ駅へ向かう途中私からだったのだろうか、私の記憶では自販機で温かなコーヒーを買い喉をやっと潤したところが最後のシーンである。

METLiveViewing(通称メット)という、アメリカの劇場で上演される舞台を映画向けに撮影されたオペラ作品を少々お高い料金で映画館で我々オペラ関係者やオペラファンが鑑賞できるシリーズがある。

大阪のキタではその上映の役割を大阪ステーションシネマが担っている。

私はこのメットのある作品をいつか鑑賞しに行った折り、1つ2つ座席が同列で離れた隣に角田信朗(かくだのぶあき)と歳のいった女性が座るのを見た。まず彼らが既に座っている私の右方から近づいてきたのだが、丁度私の前でその女性が、プリプリしていたものか、「石川君、もぅ!」と一言した。私は他人(ひと)から君付けで呼ばれる身ではないけれど、彼ら二人の会話が着席してからも何もなく、又石川姓は私と共通しているので、束の間私は彼女の言葉に気を取られはしたものの、いよいよオペラの開幕、私は全神経をそちらに集中しだした。やがて鑑賞しているうち、まだインターミッションでもないのに、急激な尿意に襲われ、やんごとなく私はトイレに駆け込んだのだが、そのトイレ内で角田が何だろううろうろしていた。角田信朗はボディビルダーやタレントを生業としていて、1961年4月11日生まれ、現在61歳と思われる。

読売テレビの番組「そこまで言って委員会」常連の私のよく知らないなにがしかが、大阪は江坂駅前の某銀行ATM設置場の出入り口辺りで半パンツ姿で立っていたので、私はなにしてんのこの人こんなとこで、と思った記憶が鮮やかに甦りました。今しがたネット検索したところ、それはもう死んでいるかもしれないけれど長谷川幸洋(はせがわゆきひろ)という人物であるのがわかりました。1953年1月18日生まれ、現在69歳と思われる。

そういえば、久米宏は「陰間(かげま)だ」という週刊誌記事のタイトルを私は電車の中吊り広告で見たことがある。

また私は、筑紫哲也(ちくしてつや)がその報道番組でCM直前に、性に関する発信をするのを見たことがある。女性キャスターたちが顔を見合わせ不服そうな芝居絵を披露したあと、カメラは筑紫にズームをかけ、すると彼曰く、恥ずかし気もなく「かわいい」と漏らすシーンである。気違いめいていて、悪い意味で1番かわいいのはお前のことだろ、筑紫!と私は内心思っていた。

西部邁(にしべすすむ)という人物はテレビに出ていてもその口振りからオカマさんやオネエだと分かるのだが、これが生前に相当やばいことをやっていたとみえて、後年彼は老後にどう処遇されるかについて著しい被害妄想にさいなんだ挙げ句、自死を選んだ。

なんだか、視姦ハラスメントの一言で点が線で結ばれるような、そういう文章になった。


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