The Diary of Ka2104-2

戦争と平和ーオペラ「清教徒」にみる死の美学

戦時中、我が国日本にあらわれていたとされる、皇国史観、身を挺する犠牲心、死の美学といったものは果たして日本独自のものであったのか?その実、欧米列強に対する脅威に裏打ちされた全体主義や愛国心な訳であるが、日本も世界もそんな束縛観点から抜け切れていない。

作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリー二(1801~1835)について「西洋音楽の歴史/東京書籍」はこう記している。曰く、「ロッシーニよりわずかに遅れて現れたイタリアオペラの作曲家には、ドニゼッティとベッリー二がいる。とりわけベッリー二は、ショパンやヴァーグナーらから賞賛される美しい旋律によってオペラを綴ったが、彼の功績はそのロマン的旋律だけに留まらない。ベッリーニは、1831年に作曲した『夢遊病の女』で夢遊病という異常な精神状態を取り扱い、人間の心理の限界点といったものを音楽において表現することに成功したのである。こういった人間の深層心理の描出は、18世紀の古典主義が目指した理想の追求とは根底から相違する新しいロマン主義の芸術に他ならない。さらに、ベッリー二は1831年に『ノルマ』、1835年に『清教徒』を作曲したが、それらの作品の題材は歴史的出来事に装われながらも、外国の抑圧的支配に対する被抑圧民族の革命的反抗を描いたドラマであった。当時オーストリア帝国に支配され国家統一を悲願としていたイタリアの市民は、この隠れた主題によって民族自立という精神を大いに高揚させたに違いない」

このベッリーニによるパリのイタリア座で初演された「清教徒」では、国家統一を願うイタリア国民の愛国心が暗に歌われている。第二幕の幕切れの二重唱は、リッカルド(バリトン)とジョルジョ(バス)という低声の二人によって力強く次のように歌われる。

「我らの雄叫び、/祖国よ、勝利と名誉を!/ラッパを吹き鳴らし、/力のかぎり戦おう。/自由を!と叫びながら、/死に直面するのは素晴らしい。/祖国への勇敢な愛情が/血に染まった月桂冠を獲得する。/そして慈悲が高貴な汗を拭うのだ。/・・・(中略)・・・/夜明けに!/自由を!と叫んで、/死に向かうのは素晴らしい。/祖国よ、勝利と栄光を!」

libretto(台本)はベッリーニではないとしても、ベッリーニがこのlibrettoに心を強く寄せていたのは良い作曲を作る上からも確実なことであろう。

かくの如く、死の美学が19世紀前半のヨーロッパで見られるとおり、古今東西、"極限の状況"ではそちらへ傾くのは普遍的で明瞭なものである。

戦争とはむごいものである。私はウクライナ軍を応援する者だが、そのウクライナは正義と自由の名のもと、ゼレンスキーによる18歳以上の男性は全ての者が兵となれとの勅命により、男性という男性が人殺しに加担しており、ウクライナがロシア軍に勝るとも劣らない勢いをみせているところから、悪であるロシア側にも半分プーチンに騙されたロシア兵の死傷者が多分に出ているのだ。

アメリカのふっかけによるとの見立ても可能かもしれないが、この度のプーチンロシアによるウクライナへの侵略戦争は時代錯誤である。

ここで左翼はこの戦況をどう捉えるだろうか?その見解は窮屈なものにならざるを得ないだろうが、リベラルはその名のとおりもっと自由である。


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