The Diary of Ka2104-2

小説「田崎と藤谷」第6章 ー 石川勝敏・著

 

第6章

 布田駅前のスーパーで夕方田崎は買い物をしていた。あとレギュラーコーヒーが終わりそうだから、コーヒー売りは、売り場はっと、と彼は売り場がわかるように大雑把に品目を記す天井吊りの看板を見るため上を仰ぎ見し瞳を宙に床にと動かしていると、そこに藤谷の姿が映じているのを発見した。そこは食用油売り場辺りで田崎からはよほど遠くだった。田崎は逃れられないよう足早にくねくねと回って追いついた。そこはもう少しでレジ前のところだった。「藤谷さん」と声をかけた。「奇遇、今日はお買い物?」藤谷は微笑んで応えた。「田崎さんじゃないですか」田崎もにこにこし笑顔を返したその先の藤谷のカゴにはあからさまにサラダチキンが3つ入っているのがわかった。田崎はつい余計なおせっかいをしてしまった。「おや、サラダチキン3つ。贅沢ですね。サラダチキンは自分でつくれるんだよ。量も増すし。今度お教えするんで自分でやってみて」続けて「落ち着いた?」と訊いてみた。「僕は大丈夫だけど、妹の方はまだしっくりいってないらしい」「ねえ藤谷さん、自分の人生だよ、自分の未来を切り開かなくちゃならないのは兄の藤谷さんの方かもしれない」藤谷は涙が出そうなそれでいて熱い血潮を感じるような気持ちになった。「ねえねえ明日の日曜二人で遊園地行かない?」と藤谷は切り替えした。「遊園地?50代男同士で?ディズニーランド?」「いや、例のメリーゴーラウンドとコーヒーカップの小さな」「あ、あの秘境にある」東京在住同士、この二人はドメスティックな町のことを了解していた。「いいよ」と田崎は気安く答えた。公団だろうが民間だろうが転居を控えていた田崎はこのところその引っ越しで何を考えるでもなく頭がいっぱいで芸術活動から離れていた。

 翌朝田崎は目覚ましで起きた。10時半の待ち合わせだったけれど、田崎は何かきっちりした予定のある日は早くに起きる習慣だった。何を着て行こうかと田崎はしばし思案した。行き着いた果てはデイに行くときとなんら変わらない服装だった。田崎は自分で怪しまれてはなるまいと思いながらそれはどういうことかと自問した。Tシャツは渋いネイビーの生地にさり気に横文字が白で抜かれたもの、上着は黒で化繊のひらひらとても薄いもの。畳めばコインケースぐらいの小袋に入る仕掛けになっている。パンツはお馴染みモス色がかった大人しめのタイトパンツで、これは脚もお腹も入るのだけれど、タイトなだけにお腹が目立たないか少し心配ではあった。二人して同時刻に待ち合わせ場所に向かって歩いていたので行き着く前におうおうと合流した。これにより二人の気持ちは温かく高揚した。駅に付き物の立ち食いそば屋で二人とも天ぷらセットを食した。遊園地に入場したが二人してお子様見学してるような気分になるだけだった。誘った藤谷自体がそうであった。気が付けば二人寄り添うように園内をそぞろ歩きしていた。「僕にはもう未来がない」ため息つくように藤谷がこぼした。「私も藤谷さんもこれからだよ、二人ともこれまで誰かや何かに尽くしてきた」「けれどあとがない、もう時間がない」「がん患者にそれでは失礼だよ」「ここの子供たちはみんなきらきらしているね」「あとが長いか短いかの違いなだけであって、どれだけ密度の濃い時間を過ごせるかはまた別問題さ」あははと藤谷は気に入ったように田崎を見て笑った。

 二人は離れて並んでメリーゴーラウンドに乗った。こうするとお互いが見えやすいし端から何も怪しまれないだろうからだった。二人は時折恥ずかし気もなく顔を見合わせて手を振り合った。上下と周回の前進の動きは小気味よく前後の子供たちも目に見えず存外快適であった。一人だけ、誰かの母親なのか祖母なのか浮かれてぎゃあぎゃあ声を上げては大爆笑していた。その声に紛れてよく聞こえない、藤谷が「おーい」なんたらと田崎に向かって言ってるようで、その度に「藤谷さん、聞こえない、聞こえない」と田崎が叫んでいると、藤谷の声はどんどん上がってゆき、ついには田崎の耳に届き心臓が高ぶらされた。その繰り返される言葉は「おーい、好きだよ」だったのだ。黙っているのもばつが悪いので田崎もより声を上げて「聞こえない、聞こえない」を繰り返すのみであった。子供たちの声もおばさんの声も静まり返るなか、これでは二人こっきりの道化芝居だった。ローラーが止まろうとするとき、藤谷の「愛してる!」が聞こえ田崎ははっとなった。田崎が先に降り微妙な顔をして待っていると、藤谷がふらふらと酔いどれみたいに降りてきて田崎に抱きつくようにその首根っこに腕を回し田崎の「大丈夫ですか?」の声も上の空でそのまま二人肩組んで組まれて歩きだすと藤谷がなにか節を付けて歌い出した。

 港の女は

 触っても 触っても

 つるつるぬるぬる

 つるつるぬるぬる

 すぐ逃げられる

田崎は私だって好きだと言っておきたい、けれど藤谷さんがこんな状態じゃあ、と心の内奥で思う、愛してるんだって私だって、そう思っていると組み合わさったパズルの2片のような二人は二叉路に来た。「ごめん、悪かった」と藤谷が言う。「何が悪いのですか。藤谷さんは私に何も悪いことなどしていません、その逆だ」そういう田崎に藤谷は「俺はこっちに行く」と言い出す。「駅はあっちですよ」「一杯ひっかけてから帰る」と言うのだ。それはいいとしてどこで私は言えばいいのかもうタイミングがないと田崎は焦る。藤谷がそっと離れていく。田崎はその場に立ち尽くす。このままじゃ姿がなくなる、反射的に田崎は藤谷の背姿に向かって、「愛してます藤谷さん!」と叫んだ。聞き届いたのか不安だった田崎だが、藤谷は一瞬立ち止まり、ここで田崎はびくっとする、藤谷は身をこちらに呈して大きく両腕を上げ警備員のように大きく手を振った。


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