The Diary of Ka2104-2

小説「田崎と藤谷」第8章 ー 石川勝敏・著

 

 

第8章

 ひと掬いが多めなら顔にのせるのも大概だった。ただし田崎はそのクリームを顔中まんべんなくとても丁寧に引き伸ばして塗っていった。ニベアの日焼け止めで田崎にすれば化粧品の扱いだった。冬はさすがに色白だが暖かくなってくるとすぐ茶変する肌は既に新緑の候で日焼けしているものを自分で何をしているのかわからなかった。衝動であるがまるで自動的で何かに取り憑かれているかのようであった。日焼け止めはうちに何かの弾みのように去年買っていたものが使われずにしまわれていた物だ。両手を軽く湯水で流しタオルで拭くと冬にだけ機会があればつけているブラヴァスの香水をデコルテ、耳の裏、脇の下の順につけ、最後に手にかすかにまとわりつくように残っている香水の残りを両胸にはたいてやった。まだプライベートの時間である午前8時ちょうど頃、藤谷から電話があったのだ。精神が寛いできたらしくそれで電話への抵抗がなくなったという。続けて「今日デイで会わない?」との田崎を喜ばせる内容だった。午後から一軒だけだけれども物件の見学が予定されていた。物件に当たってくれる人が田崎のマンションの不動産業者により今度はうちの社員なんだけれど新宿の営業所に勤めている者という風にまた変わったのだが、それを受けた田崎がそうこうしていられないと、自分でネットで調べて自分で見つけためぼしい物件のそこを管轄する不動産屋と交渉していたのだった。本当は二軒を問い合わせたのだが、サイトへの掲載期間が一定決められており既に空き物件でなくなっていたもの一軒を彼が要求した時点で見学は残りの一軒となってしまっていた。朝一でデイに行けば藤谷と昼食まで付き合えるのでそれだけで田崎にはみっけものだった。

 「来月6日には俺は58になる」とコーヒーをすすりながら藤谷が言うので、田崎は推して「あ、私たち俺と君でいく?」と訊いた。「それもいいね」と藤谷。「俺は藤谷さんの誕生日に何で祝おう」「何も気にしなくていい、君も今転居のことで大変なんだから余計なこと考えない方が賢明だ」それは確かだったので田崎の思考は身が縮こまる方へ傾きかけた。だが「きっと何かささやかであれするからね」と彼は自分に言い聞かせるように堅く語った。

 お昼は車が走る通りに面したフレンチに二人して赴いた。雲行きが怪しくなっていた。小路にあるような隠れ家的なお店は得てしてランチでも高いので田崎にとってはそのフレンチのランチで都合が良い。二人は午前のデイでいろいろ話していた。それこそとうとうお互いの過去を打ち明け合いし、しんみりする時間に多くを割いた。

 いくら知識を持っているから参考までとはいえ、人が住み家で窮地にあるとき、風水を語りだすとは何事かと田崎は藤谷に憤慨し口喧嘩にさえなりかけた。藤谷にしたらほんの少しの優しさのつもりだったが、お金持ちがたたったのか、田崎の境遇にそぐわなかった。不吉な方角を鬼門といい、それは北東であり、更にその逆方向の南西も裏鬼門といって頂けないらしく、そこにはまだしも陽当たりが良くなく湿気が溜まりやすいというのが窓の位置において参考になるものの、それは玄関、キッチン、トイレや浴室にまで当て嵌まるのだという。田崎の神経は大いに逆なでされた。ただこのくだりには落ちがあって、田崎が興奮気味に、じゃあ君の3LDKは風水に合っているのか、と問いただすと、わりぃ、なんもわかんねぇ、と申し訳なさそうに答えるものだから、結局二人で大笑いした。田崎の神経は弓の弦を最大限引っ張られる如くネガティブな方向へ引っ張られるだけ引っ張られたあとなだけにあってそれが弾けたとき逆方向へ一気に向かい却ってその気は緩むだけ緩んで二人の関係はなお打ち解けるに至った。

 「間食があるよ」と田崎はきれいな風呂敷を持ち出し括りをほどくと中から大きな輪ゴムで縦と横をしばられた油紙のごつごつした塊が出てきた。藤谷は目を丸くした。「俺はスナックとか菓子類は食べないんだよ」そう真顔で言う田崎は更に輪ゴムを外し油紙を開けてみせた。実は田崎には食べ物の差し入れといえば唐揚げなどに比べてこの他は考えにくかった。揚げ焼きで唐揚げをカラッと揚げるのは容易ではない。「まじ?」と藤谷が嘆息した。田崎が揚げたとり天がてんこ盛りだった。「俺が作ったとり天です」と陽気に言って割り箸を差し出す田崎に藤谷はさすがに「スナックよりカロリー多くねぇ?」と応酬した。「おや、スナックより胸肉だし健康的だよ」なんの悪びれもなくすすめられ藤谷は箸でひとつ挟んで口に持っていき一口かじった。「あっ、うんめぃ!」田崎も箸を付けるが藤谷の勢いはどんどん上がっていった。「そんなに急いで食べると胃に悪いよ」と田崎は時折り藤谷の湯呑みに急須からお茶をついでいた。まるで仲の良い夫婦のようだ。突然びっくりしたような顔で藤谷が大きく言った。「ああ、今日このあと二人で席取ってるう!」田崎が何事もなかったようにこっくりうなずき、「フレンチ」と一言した。

 「はい、次スポーツ」と言って田崎がどこから出してきたものか何か球体を2つ藤谷の眼前に差し出した。よく見ると糸目が付いていた。「えっ、野球でもするの?」藤谷の声色は子供のそれのようになっていた。「お手玉さ。百均だけど硬球で中がよく詰まっているよ」藤谷の目はひきつって両目尻がつり上がった。その目は田崎が何でも次から次へと出してくるマジシャンのようなスタッフだと恐怖をあらわにしていて滑稽だった。

 二人でランチのコースをほどんど会話もなくあっさり食し終わり会計を済ませて表へ出ると一旦のお別れだ。フレンチの量も風味も実にあっさりしていた。藤谷が言う。「俺の誕生日が当たり前のように訪れるように君の新居決まるのが当たり前のように訪れますように」田崎はうっすら微笑んでうっすら涙目になっていた。


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