Science avec patience

L'automne deja!(Rimbaud)

ボヘミアン・ラプソディ

2018-12-01 20:10:51 | Weblog
中高の頃かなりハマっていたロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーを主人公にした伝記映画、ボヘミアン・ラプソディを先月観てきた。

アメリカでは批評家ウケがかなり悪く、フレディのクイア性について語るのを避けている、あるいは貶めている上に物語として表層的すぎ、
という評価が多いようなので心配だったのだが、個人的にはとても楽しめ、やはり最後は泣いてしまった。

まあ確かに展開は早すぎるし、視覚的には終始ソフトで無難、そして色々とフィクションが加わっているのだが、
「クイーン紹介映画」としては最適なものになっているのではないかなと思った。

フレディは自分について直接語るのをあまり好まなかった人のようである。
ゲイ(あるいはバイセクシュアルであること)についてもおおやけにカミングアウトしたことはなかったし、ザンジバルのパールシー出身としての出自についても進んで語ろうとはしなかったはず。
ファルーク・バルサラとしての名前を棄て、「フレディ・マーキュリー」を名乗ったのにもそういう理由が。

もっとも同性愛者であることはすでに公然の秘密だったし、MVや衣装を通じて当時のゲイとよく判りそうな表現をしていたし、
彼の何重ものマイノリティとしての苦悩や孤独は改めて読み返すと驚くほど私的な、でも芸術作品として昇華された歌詞に表されている。
ボヘミアン・ラプソディ自体そういう歌なんですよね。

だからこの映画をどう捉えるかは、彼の人生と作品との関係をどう捉えるか、ということでもあるのかもしれない。
フレディが私生活についてあまりおおやけにしなかったのは、
一つにはエンターテイナーとして、その作品を生み出し表現する自分こそが重要だったからだ、と考えることもできる。
その視点からすると、この映画はフレディを描くことに「成功」しているのじゃないか。
いろいろとフィクション化されたりぼやかされたりはしているが、彼の私生活での苦悩は十分垣間見られるようになっている。
だからこそ「自分」を表現しながら「普遍的」な何かに到達し、カリスマ性を帯びる彼の表現が胸をうつ。
(とはいえ主演のラミ・マレックは繊細で優しく傷つきやすい面を体現しすぎていて、カリスマ性という意味では全然足りない気がしたのだが、
しかし無理に真似しようとするよりもよかったのかもしれない)

とはいえこれはこれでマジョリティがマイノリティの苦悩を消費する能天気なやり方なのだ、と言われれば、
そうなのかもしれないな、とも思う。
(例えばこういう記事。)
今の時代、スターがセクシュアリティをカミングアウトしたり、マイノリティとしての出自について語ったりするのは、
そこにいろんな困難が伴うとしてもかなり受け入れられるし、エンターテイナーとしての「物語性」に寄与する面もある。
でもクイーンの活躍した70年代・80年代はもっともっと保守的だった時代で、マイノリティが直面した苦難はもっと深刻なものだった。
我々が物語として好むような、「逆境を乗り越え大衆に受け入れられたマイノリティのスター」という物語に回収できるものじゃない、
という意見もわかる。
フレディの命を奪ったエイズも、80年代にゲイコミュニティを襲い、パニックをもたらした、そのことを考えても。
あの時代、嫌われ、迫害され、あるいは嘲笑の対象となり、あるいはなきものにされていた存在を、
今になって一人のスターだけを取り出し、「彼はマイノリティとしてのアイデンティティを超えた存在だから」とうまく浄化した上で、
自分たちの好む物語の主人公として祭り上げるのが許しがたいことだ、ということなんじゃないかと。

文七と赦し

2018-10-18 21:39:50 | 文芸

文七元結という落語が好きなのだが、長兵衛から受け取った金のことをはじめ正直に言わなかった文七があっさり許されて 「真面目な人間」として暖簾分けを許される結末になるのかがちょっと疑問だった。 疑問にいる人は他にもいるらしくサンキュータツオさんの考察なんか結構面白い。



これと最近自分の頭の中でゆる〜く繋がったのが、新約聖書に出てくる譬え話「罪を赦さない召使い」であった(マタイ18章21−35)
というかこの箇所を読んで考えていた次の朝、とある友人からメールが入っていて、僕が昔文七元結の疑問について語ったことを話題にしていた、という偶然。

いつの間にか一生かかっても返せないほどの借金を主人に対して負ってしまった召使いが、ひれ伏して猶予を願う。
それに対して「哀れみに心を動かされた」主人が、借金を棒引きにする。
安心して外に出た召使いは、自分に対して(4ヶ月ほどの賃金に当たるらしい)借金を負う同僚に会う。
相手はこれまたひれ伏して哀願するのだが、彼は主人のように許すことはせず牢屋に入れてしまう。
これを見た他の召使いたちの訴えを聞いて主人は怒り、この召使いを今度は牢屋に入れ、先ほどの借金を返すまで、と、’拷問を加える。

話の後半は勧善懲悪的というか、まあ、地獄落ちということでいかにも恐ろしいのだが、前半、主人が「哀れみに心を動かされて」召使いを赦す、というのが面白い。
というか、「赦す」という行為が、過ちを犯した人間と苦しみを共にすることを伴うわけである。
「わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」とあるけれども、
「心から」というのがそういう意味であるなら、まさに神様でもなければ究極的に不可能な行為であるように思った。

それでも文七元結の主人や長兵衛の行為には、やり損なった人間と苦しみを共にするようなところがあるようにふと思った。
まあ、長兵衛は自分がやりそこなってしまった人間であるし、長兵衛が与えたのは赦しではなくお金そのものであり、
主人に至ってはなんで許したのかは結局のところ分からない。長兵衛の行為に感銘を受けて、
倫理的な判断というより「江戸っ子の美学」的に面白いから全てを許した、というところなのだろう。
しかし、長兵衛と文七、二人のやり損なった人間が悔い、恥じる姿に、普段の世間一般の常識を超えた解決が提示される、というところに、
人間が救いを必要とする場面に何か普遍性があるのではないか、ということをふと思った。
こうやって書いてみると、やはりちょっと強引だけど(笑)

談志師匠は落語を「人間の業の肯定」と言ったそうですが、自分は弱い人間に寄り添うあり方が一番好きなところかな。

聴くに速く、怒るに遅く

2016-09-03 21:52:05 | Weblog
愛する我が兄弟たちよ、知れ--人は皆聴くに早く、談るに遅く、怒るに遅くなければならぬ。
人の怒りは神の義を行わないのだから。
故に一切の穢れと夥しい悪とを脱ぎ棄てて、心に植え付けられた、君たちの魂を救うことのできる御言を、柔和な心をもって受け容れよ。
(ヤコブの手紙1:19-21, 塚本虎二訳)

なんとなくブログのタイトルと響きあうと思った。

久々に

2016-08-15 09:54:05 | 日常
投稿してみますかねえ。
でもネタがない。
ももクロには相変わらずハマってます(笑)
5年は長いなあ

はたらーこーはたらーこ

2011-11-23 10:54:58 | Weblog
オヒサシブル、アラブルモノノフでつ。


さて、今日は勤労感謝の日、労働讃歌の発売日です。




・・・・・・え?ももいろクローバー??

・・・・・・てか、アイドル????



トムヨークに憧れて何度もツーブロックに挑戦してたんじゃなかったのかよwwwwwww


という突っ込みとともに


・・・・・・今更遅えんだよサブカル糞野郎の真似ごとかwwwwwwwww

という声も他方から飛んできそうな微妙なタイミングですが

ええ、最近ももクロにはまっております。

・・・いやーアイドルとか興味なかったんだが。。(Perfume除く)


何がいいかってのはいろんな人が語ってるんですが、

とにかくはじめはゲテモノとしか思っていなかったのですが動画など見てるうちに情が・・・
(情ってwww)

そんなわけで、まあ僕と趣味の合いそうな人は大体もう聞いてそうな気がしますが
一度見てドン引きしちゃった人も辛抱強く見てみてください(笑)



ファン歴浅いくせにやっぱももクロは前山田(ヒャダイン)さんとの相性が一番いいよなとか思ってましたが

労働讃歌、


聞いてるうちにももクロ史上最強の曲な気がしてきました。
オーケンGJ!!!!





凹んでるやつらは大体友達!!!

って僕のことじゃね?

・・・以上、近況報告でした。


馬場めぐみさん

2011-10-04 22:20:03 | 文芸
夕刊に出ていた、馬場めぐみさんという人の短歌をいくつか面白いと思ったので、
短歌研究新人賞の歌も調べてみたりして、ますます面白いな、と思った。

一番すげえ、と思ったのが

あなただけ方舟に乗せられたなら何度も何度も手を振るからね

いろんな解釈が出来るけど、きっと作者の胸にぱっと浮かんだ言葉なんだろう、
と直観的に思うので、どれも書かないでおく。
このイメージ自体が僕はとても好き。
ほむほむの「だるいせつないこわいさみしい」以来の衝撃だ。

夕刊に出ていたのでは、

水底で少女は砂になりたくてでもなれなくて鮫になりました


中庭で獅子は目を瞑りもう誰か僕を食べてくれという

が好き。
寂しいんだけど、ユーモアが同居している。
方舟もそうだけど、「そこで鮫になるの?」とか「獅子が食べられる方?」
とかいう意外性が、どういうわけか腑に落ちてしまう、不思議な言葉遣い。

おとなしくて引っ込み思案でわがままで誰の言葉も聞こえてないの

は、直截的すぎる気もするけど、
これが方舟を見送る思い、自分の言葉を届けたい思いにつながってるのか、
と考えると、もっとこの人の歌を読みたいなあ、とまた思ってしまう。
上手く説明できないけど。

詩のボクシングにも出るとかで(ひょっとしてもう終わった?)、
これからも頑張ってほしいなあ、と思った。
http://imageart.exblog.jp/16678923

久々の投稿ですが、僕は相変わらずまあまあ頑張ってます。

キノコ文学というジャンル

2011-02-06 21:28:49 | 文芸
『キノコ文学大全』
(こちらに秀逸な紹介:http://pliocene.seesaa.net/article/112749532.html
『キノコ文学名作選』
なる本が立て続けに出ていたらしい。

著者・編者ともに飯沢耕太郎氏。



 そしてここでやや強引に結びつけてしまえば、文学とは本来そのような「中間性」の領域で働くべきものなのではないだろうか。分類され、定義づけられ、がんじがらめに固定された世界の隙間に入り込み、思ってもみなかったもの同士を結びつけ、そこに見えない流れを作り出していく。生と死を媒介し、生の中に死を、死の中に生を育てあげていく。それはまさしく、自然界におけるきのこたちの役割と同じなのではないか。となると、ここになんとも奇妙な結論が導き出されてくる。すなわち――文学はきのこである。あるいは、きのこは文学である。
(すみません孫引きです)






うおーなんたることだ。
同じことを考えていたヒトがいたとは。
僕にとって「キノコ系」とは「肉食」「草食」あるいはジェンダーそのものの
「カテゴリー」自体に異を唱えるものなのだ。
「わたしは花火師です」といったフーコーさながらに。


うーむ。キノコ文学。僕もそのムーブメントに加わりたい(爆)

Creepキノコ語訳

2011-02-05 22:43:31 | Weblog
I don't care if it hurts
(傷がついたってかまわない)

I just wanna have control
(自分を制御したいだけ)

I want a perfect body, I want a perfect soul
(僕がほしいのは完璧なカサと無欠の胞子)

I want you to notice
(いつだって忘れないでほしいんだ)

When I'm not around
(僕がタンスの陰に生えるような奴でも)

You're so fuxxin' special
(君はかけがえがない存在なんだ)

I wish I was special
(僕も珍味だったらよかったなあ)

I'm a creep, I'm a weirdo
(でも僕はキノコ、変態キノコ)

What the hell am I doing here?
(なんでこんなところに伸びちゃったんだろう)

I don't belong here
(ここは僕の土壌じゃないのに)

遠お~い夜空の向こうまで

2010-10-20 22:21:45 | 日常
なんか久々な感じですね。
一応元気にしてます。
最近はフィッシュマンズにはまってます。
この声、正気じゃない優しさ、リズム感、ギター、全部好き。
ボーカルがすでにこの世にはいないって、知らなくても、
なんだか喪失感がある、でも救いもある、不思議な音楽。



たとえばこの曲のリフ。



「優しい天使が降りてきたら あの娘はきっと喜ぶさ」

僕もなんかやりたいなあ。
キノコプロジェクトが発動されるかもですが。

そんなことより、勉強勉強笑

パラレルパラレルワァ~

2010-04-08 21:10:48 | 芸術
たまたまHMVに入ったら、相対性理論の新譜が耳に飛び込んできた。


鼻血でてまうがなー!
ほれてまうがなー!やくしまるえつこー!!!

「ミス・パラレルワールド」




うーーん。
こんなのを作ってこのバンドはこの先どうなっちゃうんだろう。

『シンクロニシティーン』
到達すべきものに到達してしまった感があるアルバム。
(ファンの間では賛否両論あるみたいですが僕は好きです)
やくしまるえつこの声が、今までエフェクト強かったのが、今回は生声に近い。
一歩引いてるようで、時にエモーショナルな、
全くもってワタクシ好みな声です(もちトムヨークもそう)

1,2年に1回あるかないかの衝撃度で、
やっぱ芸術って素晴らしいなあ、というeuphoriaと言える位の幸福感に浸っております。
街行く人々がみんなパラレルパラレル呟きだしたら楽しいなあ(おい)