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アポロメディア ~日々の生活と意見~
日々の出来事を記録することで、その意味を再確認し、今後の行動の指針を探っていきます。
 




パリに着いた翌日は、世界遺産のモンサンミッシェル(モン・サン=ミシェル)への日帰りツアーでした。

解説によると、モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)とはパリの西方、フランス西海岸のサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院で、モン・サン=ミシェルという名前は「聖・ミカエルの山」という意味だそうです。

1979年に「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

フランスに旅行した人に「モンサンミッシェルはとても良かった」と聞いていたので、どんなところなのか訪れるのを大変楽しみにしていました。

当日の集合時間は午前7:30と遠出のわりには普通の出発時間でした。


パリ市内のホテルを出た直後です。
東京ではすっかり明るくなっている時間ですが、パリではまだ辺りは薄暗い状況。


時刻は午前8:35、ようやく日の出となりました。
パリ付近の緯度は日本周辺では樺太の真ん中あたりよりもやや南といったところなので、その分、日の出の時間が遅いのでしょう。


郊外の住宅でしょうか。

なぜか、形が似ています。分譲住宅にしても同じディベロッパーが開発したんでしょうか。


モンサンミッシェルに向かうノルマンディ高速道路を走っています。
時刻は午前8:38頃で外気温は摂氏2度。
フランスでは「冬の天気の良い日は特に寒い」といわれているそうですが、この日は風もなく穏やかな天候で始まりました。
どうか、このまま一日中晴れていてくれることを願っていました。(実際、夜になってパリ市内に戻る頃には小雨が降り出してきましたが、モンサンミッシェルにいる間は大変よい天気が続いてくれました。とてもラッキーでした。)


パリを出発しておよそ1時間が経過し、初めて工業的な雰囲気のある街が現れました。
恐らくマント=ラ=ジョリーでしょう。

見えている川はセーヌ川ですが、建物が川面にそのままの姿で写っていて、まるで池のように静かです。

モンサンミッシェルへはパリからカーンまでは高速のA13号線を、カーンからはE401号線を走行しています。
グーグルマップで見るとマント=ラ=ジョリーはA13号線の途中に位置しています。(モンサンミッシェルは「A」というマークがついたところです。)

解説によれば、マント=ラ=ジョリーはイル・ド・フランス(フランスの首都圏)とノルマンディーの国境となる重要な水路と土地であるため、商業や貿易の土地として発達し軍事的な要衝でもあったようです。

日本でいえば多摩川の先の川崎、時間的には箱根の先の三島あたりにあたる街ということでしょうか。

ちなみに、パリからモンサンミッシェルまでは、直線距離では300km弱、だいたい東京ー名古屋くらいの位置です。
但し、モンサンミッシェルまでの高速道路が直線距離上になく、いったんルーアン方面に向かいカーンを経由して行くので、名古屋よりももう少し先の、少し遠いかもしれませんが伊勢神宮への日帰りバス旅行といった感じでしょうか。

マント=ラ=ジョリーを過ぎてしばらくしたところで、トイレ休憩となりました。


まだ太陽は地平線付近にとどまっています。(午前8:59頃)


遠くに見える並木は土地の境界線なのでしょうか。あるいは道路なのかもしれません。


この辺り一帯は、ずっと牧草地が広がっています。


ところどころに農家と思われる屋敷がポツン、ポツンと現れます。


絵になるような趣のある建物もあります。




バスはノルマンディ高速道路をひた走ります。(午前9:17頃、A13号線)


車は止まっていますが、どこに人がいるのかまったく分かりません。



途中、セーヌ川を横切りました。ここはルーアン付近です。(午前9:28頃)


ここからルーアンに行く道(A139号線)に分岐します。

ルーアンにはクロード・モネの作品に登場する『ルーアン大聖堂』があります。ここはジャンヌ・ダルクが火刑に処された場所なんだそうです。

私たちのバスは、そのまま道なりに、ルアーブル/カーン方面(A13号線)に進みます。(午前9:32頃)


グーグルマップで見るとこんな感じです。
ルーアンは「A」というマークがついたところです。左下に「Autoroute de normandie」と書かれている道が私たちが走行しているノルマンディ高速道路です。
地図の中央付近やや下にあるオワセルという場所の近くでセーヌ川と交差していることが分かります。


初めて動物を見かけました。この時期、食べる草も少なく、運動のために明るくなってから畜舎から出してもらえるのでしょう。



途中、立木に丸くなった部分がいくつもある風景をよく見かけましたが、いったいあれは何でしょうか。




添乗員の方から聞いた話では、ヤドリギだということです。


さらに進んで行くと港湾都市ル・アーブル方面へ分岐する道(A131号線)が出てきました。(午前9:51頃)


ル・アーブルは有名なクロード・モネの出身地で、フランス印象派の絵画展に行くとよく聞く名前でしたがパリからこんなに離れたところだったのかとあらためて実感しました。

A13号線というのは、地図で見るとパリとカーンを結んでいるようですが、カーンという街はこの地域(バス=ノルマンディー)の中心地で、第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦の後に激戦地となり、聖堂と病院を残し灰燼と帰したところなんだそうです。

ノルマンディ上陸作戦をテーマにした「史上最大の作戦」という映画があり、連合国軍が上陸に成功したところまでを描いていますが、その後もナチス・ドイツ軍との熾烈な戦いは続いていたということなんですね。

ル・アーブルへの分岐地点が午前9:51頃、モンサンミッシェルに到着したのが午前12:30頃なので、ここからさらに2時間半以上の道中となります。

モンサンミッシェルへの道は遠いものだとつくづく思いました。

ここから目的地に到着するまでに車中で撮影した写真の中からいくつか紹介します。

午前10:38頃


午前10:40頃




午前11:17頃


午前11:19頃


この辺りまで来ると車もあまり走っていません。(午前11:47頃)


沿線を観察していると、太い木をあまり見かけません。よく見ると、木の切り株が見えます。
大木は牧畜には邪魔なので切り倒してしまうのでしょうか。


そろそろちらほらと民家が見えてきました。(午前11:51頃)


午前12:07頃


ようやく今日の目的地モンサンミッシェルに近づいてきました。

天気も上々で期待感が高まってきます。

午前12:08頃


ついにはるかかなたにモンサンミッシェル修道院の姿をとらえました。(午前12:08頃)
小さくてよく見えませんが中央部の突起がそれです。


拡大してみるとよく分かります。


いよいよ一般道に降りてきました。(午前12:20頃)


モンサンミッシェル修道院はこの街を抜けた先にあります。(午前12:21頃)


不思議なことに街に人影がありません。皆、昼食をとっているのでしょうか。(午前12:22頃)


午前12:23頃


午前12:24頃


ようやく街を抜け出て、広々としたところに出ました。

見えました。見えました。待望のモンサンミッシェルの全景です。遮るものが何もありません。








バスの運転手が気を利かせて、途中の道路で止まってくれました。ハイシーズンではとてもできないそうです。


現地に立って、この目で見ると感動的です。しかも、バスに長時間ゆられてのことなのでなおさらという感じです。
まだバスなど無かった時代に、パリから歩いて巡礼に来た人はいっそう感動したことでしょう。(もっとも、パリにはもっとすごい寺院がたくさんあるのでそうとも言えないかもかもしれませんが。)


とにかく私は感動しました。来てよかったと。

皆、思い思いに記念撮影した後、すぐ先の駐車場に移動してバスを降りることになりました。


この後、いよいよモンサンミッシェル修道院の見学になるのですが、この先の状況は、「その2:門前町(グランド・リュー)の様子」として別に投稿いたします。

参考までに、モンサンミッシェルのある場所(グーグルマップより)を紹介すると、

パリからの位置はこんな感じ。


モンサンミッシェル寺院が面しているサン・マロ湾付近の様子(同上)


同拡大図(同上)




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