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アポロメディア ~日々の生活と意見~
日々の出来事を記録することで、その意味を再確認し、今後の行動の指針を探っていきます。
 




アメリカ山公園に隣接して横浜外国人墓地があります。

解説によると、幕末の1854年にペリーが開国交渉のため再来日した際に、黒船艦隊の一隻ミシシッピー号の乗組員ロバート・ウィリアムズ二等水兵(24歳)が墜死し、ペリーの要求した「海の見える地」という条件にもあうこの地に埋葬したことが、外人墓地ができるきっかけとなったそうです。

ウィリアムズ二等水兵の遺体はその後、伊豆下田の玉泉寺に移されましたが、日本で亡くなる外国人も増え続けることとなり本格的に外国人専用の墓域を定めることになったのだそうです。

当初は日本人墓地の一角を外国人専用の墓域と定めて埋葬していたのが、その後日本人墓地が移転し外国人専用墓地となり1864年(元治元年)には横浜居留地覚書き書が幕府とアメリカ・イギリス・フランス・オランダの各国公使との間で締結され、墓域も高台に新たに一区域が設けられ、1866年(慶応2年)横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書の締結後ほぼ現在の墓域まで拡張されたとのことです。

横浜外国人墓地公式サイトによるとこの墓地は国有でその広さは5,600坪(約18,500平方メートル)。

これを政府から諸外国公館(各国領事団)に貸し出しているのだそうです。

墓地の管理は財団法人が行っており、横浜市や神奈川県などの地方自治体や国の財政的な支援はないようです。

そのため、財政的に多くを寄付に頼っているようです。

一般のお寺などは、檀家などが折々にお布施などをしますが、ここの墓地に埋葬されている人の子孫は遠い異国にいるのでしょうからそういう訳にはいかないのでしょう。

当日は墓地内に立ち入れなかったので隣接する道路から墓地内の写真も撮影したのですが、後でオフィシャルサイトを確認したところ墓地内の撮影は原則禁止とありますので、入口付近の様子だけ掲載します。(墓地内写真はこちら





この墓地は横浜市が一望できる高台にあり、図らずも異国に地で亡くなった人々の霊を慰めるには最適な場所だと思いました。

日本の墓地ではなかなか感じられない独特の雰囲気を感じました。




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