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アポロメディア ~日々の生活と意見~
日々の出来事を記録することで、その意味を再確認し、今後の行動の指針を探っていきます。
 




浅草の仲見世の裏手の道を通って伝法院通りまで来たのですが、これ以上先には行けません。


浅草寺の本堂はまだまだ先にあります。


ここからはわずかに浅草寺の五重塔が見えるだけです。


そこで、伝法院通りを六区の方へぶらぶらと歩いて行きました。

行列のできている店が何軒かあり、そのうちのひとつで「メンチカツ」を買って食べました。
ここはテレビ番組でも紹介されたとのことで、ジューシーでおいしいメンチカツでした。


途中の風景です。

浅草公会堂には1月2日初日の新春浅草歌舞伎の幟が並んでいました。

路上では江戸風のまんじゅう売りが商売をしていました。

立ち食いのラーメン屋もにぎわっていました。

こんな面白い店もありました。「たわし」の専門店です。


この付近の地図です。



鎮護堂の入口があったので寄っていくことにしました。




ここは「おたぬきさま」ともよばれて親しまれているそうです。


解説によると、浅草寺に住みついた狸(タヌキ)の乱行を鎮めるために建てたお堂だそうです。


タヌキを祀っているお堂ということで、境内には「幇間塚碑」もありました。
幇間(ほうかん)のことを「たぬき」とも呼んだことから、幇間有志によって幇間物故者を供養するために碑を建立したのだそうです。


幇間とは芸者を呼んで楽しむ宴席で場を盛り上げる男芸者のことで「たいこもち」ともよばれます。


そういえば、みやげ物屋の店頭にはこんなものが並んでいました。


他にも境内には大きなイチョウの木があって、これにもいわれがありそうです。


案内板には「鎮護堂の神木・公孫樹」と書いてありました。公孫樹とはイチョウの木の別名で「孫の代に実がなる樹」という意味です。
このイチョウの木は、樹齢が四、五百年で、昭和20年3月10日の東京大空襲のときに猛火から鎮護堂を守ったのだそうです。


その隣には水子地蔵尊がありました。

昭和53年(1978)に建立され、毎月24日午前10時に水子供養法要が行われているそうです。

地蔵菩薩は「子供の守り神」として信じられており、まわりにいるのはお地蔵さまの慈悲の心にすがる水子ということなのでしょう。


手水鉢(人気の泉)

この手水鉢(ちょうずばち)は、明治13年(1880年)に市川一門により奉納されたと書いてあります。
鎮護堂の別名である「おたぬきさま」の「たぬき」を「他を抜く」というふうに捉えて学芸成就のご利益があると役者や芸能人にも信仰されこの手水鉢も人気の泉と呼ばれ親しまれているそうです。

そういえば、商店や飲食店の店頭にタヌキの置物があるのは競合に勝って「商売繁盛」を願っているということなのですね。


鎮護堂からも東京スカイツリーが見えました。



今年は東京スカイツリーも開業し、浅草界隈にも観光客がたくさんやってくるだろうと思います。

江戸情緒が残る浅草界隈は、安くておいしい食べ物もたくさんあるので、日本中、世界中の観光客に楽しんでもらいたいと思います。



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