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サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎四部〜(18)

2022-02-04 00:18:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃二
兎神伝

紅兎〜革命編

(18)薬盗

『こ…これは一体…』
平次は、獣湯(けもののゆ)に近づくや、思わず絶句した。
そこには、両手で目を覆って泣き噦る琴絵と小春と小夜の側で、満身創痍の伝七と新五が、灸に文字通り灸を据えられドヤされていた。
『伝七!新五!その傷はどう…』
言いかける平次は、二人の足元に投げ出されているものを見て口をつぐんだ。
風呂敷包みから飛び出す貝殻の薬箱…
谷間の阿片畑…
まさか…
『平次!この馬鹿!』
振り向く灸は、平次の姿を見出すなり、唐突に頬を打った。
『おまえの馬鹿を真似たせいで、この子達、もう少しで命を落とすところだったんだよ!』
『俺の馬鹿を真似たって…』
『惚けるんじゃないよ!ここ最近、あの人が殆ど顔出さないってのに、どうしてあんなに薬を持ってこれるのか、わからないあたしだと思うのかい!この馬鹿!馬鹿!大馬鹿がっ!』
平次は、声を荒げる灸に何度も頬を打たれながら、見る間に顔色を失っていった。
真秀(まほろ)の原料である真秀芥子(まほらけし)は、東洋水山脈の一画、旻朱山脈の限られた地にしか自生しない阿片の一種である。
強い鎮痛効果があり、山の民の間では、古くから麻酔薬として使われていた。
しかし、反面、使い方によっては幻覚作用を及ぼし、激しい中毒症状と禁断症状を齎す為、栽培方法は限られた忍衆の間の極秘とされていた。
無論、本来ならば、平次が手に入れる事は勿論、存在を知る事すら出来るはずはなかった。
それを知る事となったのは五年近く前…
注連縄衆と言う逆徒(さかきやから)を取り締まりに訪れた名を忘れたと言う暗面長(あめんおさ)が、穂供(そなえ)で負った傷の手当てをするのに使うの見てからであった。
ほんの微量、剥離に塗れ、深い裂傷を負った神門(みと)と参道に塗るだけで、出血も激痛も治る軟膏は、さながら魔法の薬であった。
暗面長(あめんおさ)が滞在したのは、一年弱。
その間、彼は逆徒(さかきやらか)を取り締まるだけでなく、社(やしろ)の改革も行った。
兎神子(とみこ)達の処遇が改善され、日常的に行われる拷問のような仕置きもなくなった。
しかし、名無しの暗面長(あめんおさ)が去り、状況は逆戻りし、前よりもひどくなった。
殊に赤兎の琴絵に対する仕打ちが…
平次は、絶えず注ぎ込まれた白穂に混じって血を垂れ流す、琴絵の神門(みと)を見るにつけ、同じ事を思うようになった。
暗面長(あめんおさ)がいつも兎神子(とみこ)達に使っていた、あの薬が欲しいと…
そんな時…
『これ、よく効くぞ。』
琴絵の神門(みと)の傷に、殆ど効かぬ軟膏を塗ってやりながら、涙を堪える平次に、あの人の手が後ろから差し出された。
『こ…これは…』
『真秀(まほろ)と言う、朧や霞の忍達が、鎮痛剤や忍術に使っている薬だ。塗ってやると良い。』
振り向く平次に、愛想の良い笑顔を傾けてきたのが、あの人との出会いであった。
あの人は、その後も度々やってきては、大量に真秀(まほろ)を持ってきてくれていたが…
ここ最近、あの人は姿を見せなくなり、薬は底をつき欠けていた。
思い余った平次は、社(やしろ)の裏手の山林を降った谷間に、阿片の隠畑がある事を知った。
総宮社(ふさつみやしろ)の目を盗み、聖領(ひじりのかなめ)相手に密売する為に開かれた隠畑である。
栽培されているのは、よく似ているが、真秀(まほろ)とは違う美国(うましくに)…
それでも、調合の仕方でほぼ同じ軟膏となる。
谷間一帯を占める広大な畑を前に、平次は思わず唾を呑み込んだ。
隠畑片隅の実と葉を、ほんの籠一杯…いや、籔一杯で、貝殻の薬箱にして軽く百はあの薬を調合できる。
社(やしろ)の兎神子(とみこ)と拔巫女(ぬいみこ)全員が使っても、軽く一月分は調合できる。
それを、社(やしろ)は一時の快楽を貪る為の阿片を造る為に浪費しようとしているのだ。
阿片を煙にして吸うのは…
聖領(ひじりのかなめ)に築かれた占領軍隠砦の兵(つわもの)達であろうか…
それとも、聖領(ひじりのかなめ)の神職(みしき)達であろうか…
茂みに隠れて見つめる平次の前で、警護を務める神漏兵(みもろのつわもの)達が、お溢れの阿片を旨そうに煙にして吸っている。
彼ら一人が、今一瞬にして煙にしている実で、兎神子(とみこ)や拔巫女(ぬいみこ)達の軟膏が軽く十日分調合できる。
しかも、彼らの足元には…
実と混ぜれば鎮痛剤となり、それだけならば湿布にもなる葉が、無造作に打ち捨てられていた。
こうしている間にも、琴絵は数えきれない程の男達に血塗れの参道を貫かれている。
今夜も血と白穂に塗れた傷口の痛みに悶えながら、眠れぬ夜を過ごすのだ…
阿片の煙に酔い痴れる神漏兵(みもろのつわもの)達を前に、握る拳を震わせ歯軋りをしていた平次の中で、何かが切れた。
無意識に懐に忍ばす手に、隠し持つ銭形の手裏剣が触れる。
『ウッ!』
『アッ!』
『ウグッ!』
気づけば、銭形手裏剣を投げ放つ指先で、三人の神漏兵(みもろのつわもの)達が、呻きを漏らして倒れていた。
『だっ…誰だっ!』
『何奴っ!』
『曲者だっ!出あえ…
残りの神漏兵(みもろのつわもの)達が辺りを見回し、狼狽の声をあげて駆け回り出す中…
平次は音もなく彼らの一人の背後に周り、首を締め上げへし折った。
『おまえは…』
『黒兎の平次…』
振り向く神漏兵(みもろのつわもの)達が声を上げるより先に、倒れた神漏兵(みもろのつわもの)の湾曲刀を拾い振り翳す。
相手は四人…
しかし、阿片に酔った兵(つわもの)などカカシに等しく、平次が横切る時には、全員呻きもあげずに倒れ伏した。
平次は、血塗られた湾曲刀を倒れた兵(つわもの)の一人に握らせ、同士討ちを偽装すると、近くの実と葉を夢中で毟りとり、去って行った。
『コトちゃん、脚を拡げて』
『うん。』
盗んだ美国(うましくに)を軟膏に調合し終えると、早速、琴絵に脚を拡げさせ、神門(みと)の傷に目を向けた。
『ウゥゥッ…』
平次は思わず声を漏らして、目を背ける。
まだ十歳にも満たぬ小さな神門(みと)から、その日も血と白穂が溢れ出していた。
まだ、漸く小指が挿るか挿らないかくらいの孔に、何十人のズ太い穂柱が捻り込まれたのであろう。
それも、既に付け根が裂け、一面赤剥けに剥離してる上から、数れぬ程抉られ続けたのが一目でわかる。
『これが…これが…人間のする事なのか…』
必死に涙を堪えて歯軋りする平次は、すかさず軟膏に舌先を伸ばす。
『お兄ちゃん、駄目!そこ、汚いよ!』
『コトちゃんの身体(からだ)で、汚い所なんかあるものか。』
平次は、舐めとった軟膏を、口腔内で唾液と混ぜ合わせると、慌てる琴絵にニッコリ笑いかけ、血と白穂に塗れた神門(みと)に口を近づけた。
『アァァ…アァァ…アァァ…』
唾液の混じった舌先が触れた瞬間、琴絵は全身の力を抜いて喘ぎ出した。
『コトちゃん、気持ち良い?』
『うん。』
『よしよし、今から、もっと気持ち良くして上げるからね。』
平次は言うなり、舌先を更に参道の奥へと挿入させる。
『ウグッ…』
一瞬…
鼻をつく尿臭混じりの白穂の臭いと、舌先に広がる尿と白穂と血の味に息が詰まる。
しかし…
『アァァ…アァァ…アァァ…』
軽やかに顎と腰を上下させ、つま先をピンと伸ばしながら、心地よさげに喘ぐ琴絵の声を聴くと、血と尿と白穂の悪臭と気色悪い味も消し飛んだ。
平次は、憑かれたように、更に丹念に琴絵の参道を弄り、神門(みと)を舐め回していった。
『アァァ…アンッ…アンッ…アァァン…』
顎と腰を浮かせ、更なる喘ぎを漏らす。
真秀(まほろ)の軟膏は、舌先で滲みでる唾液に混ぜながら、舐めて塗るのが、最も鎮痛効果を高めると言う。
しかし、真秀(まほろ)の薬は、傷や患部に当てれば良薬だが、口から取り込めば毒薬となる。
最初のうちは何でもないが、回を重ねるうちに体内に蓄積され、少しずつ血液を汚染させ、内臓を破壊してゆき、死に至る事もあると言う。
しかも、今使っているのは、真秀(まほろ)ではなく美国(うましくに)…
真秀(まほろ)以上に鎮痛効果が高いが、毒性も強いと言う…
それでも…
『アンッ…アンッ…アンッ…アーーーーンッ…』
琴絵の顔から苦悶が消え、心地よさそうな笑みが溢れ出すと、平次は自身の身体(からだ)の事も、命の危険さえ消し飛んだ。
『コトちゃん、気持ち良い?気持ち良い?』
『うん!凄く良い!凄く凄く気持ち良い!』
『よしよし!もっと良くしてやるぞ!もっと、もっと、もっと…』
『アァァーンッ!アンッ!アンッ!アァァーンッ!!!!』
平次は、更に顎と腰を浮かせて声を漏らす琴絵の神門(みと)と参道を、延々と舐め回し続けた。
最初はほんの弾みであった…
次は、今回限りのつもりであった…
しかし、どんなに救い難いほど神門(みと)と参道が傷つき、凄まじい激痛の中にあっても、琴絵は自分だけ薬を塗って貰おうとはしなかった。
仲間の兎神子(とみこ)達にも分けて欲しいと願った。
平次が、どのようにして薬を手に入れて来るのかわからぬまま、想像もつかぬまま、只々、自分と同じように仲間達の痛みも和らげたいと望んだ。
その分…
すぐに薬を切らして、また、激しい股間の激痛にのたうつ琴絵を見ると…
平次は、ただ快楽を貪る為に阿片を吸う神漏兵(みもろのつわもの)達の姿と重ね、いたたまれなくなった。
あの有り余る美国(うましくに)の実は、一時の快楽を貪りたいだけの富裕階層に、法外な値で売り捌かれて終わる。
その金は、琴絵を野獣のような男達の餌食にしている者達の懐を肥やさせて終わる。
しかも、葉に至っては…
売り捌かれもしなければ、一時の快楽を貪る阿片にすらされずに破棄されて終わる。
平次は、何度も何度も隠畑に忍び混んでは、美国(うましくに)の実と葉を盗み続けた。
盗む量も、最初はほんの一掴みか二掴みであったが、次第に籔一杯が籠一杯となり…
最後には、風呂敷に何包みも盗み出すようになった。
回数と量が増えるのに比例して、警護は厳しさを増すようになった。
当初は、警護の兵(つわもの)が摘み食いしている程度にしか思われなかった。
時折、死傷者が出ても、阿片に酔った兵(つわもの)が、喧嘩でもして同士討ちとなったのだろうと思われていた。
しかし、数を重ね、減る量が増えると、様々な憶測が飛び交った。
阿片の栽培も密造も、律令で固く禁じられていた。
見つかれば当人は死罪、家名は断絶され、一家は良くて兎神家(とがみのいえ)、悪くすれば河原者に落とされる。
その上、最も幼い娘や孫娘は、その場で着物を剥ぎ取られ、数多の男達の凌辱を受けた後、敵対する家の産土社(うぶすなつやしろ)に赤兎として兎幣される事になっていた。
だが…
旧帝国の時代が始まって以来…
新たな利権や大国の思惑が、神領(かむのかなめ)にも影響を及ぼすようになり、諸社領(もろつやしろのかなめ)の腐敗と権力抗争を蔓延らせた。
社領間(やしろのかなめのあいだ)でも、勢力と利権の対立が深まり…
全社領(すべてのやしろのかなめ)の長である総宮社(ふさつみやしろ)の権威も失墜し、今や律令の定めも有名無実となりかけていた。
それでも、大義名分の材料とはなる。
違反する利権で財と勢力を成す者を見出す者があれば、それを暴き立てて潰しにかかり、自身のものに掠めようとする者も現れる。
また、権威を失いかけた者は、そうした対立を煽り立てては介入し、回復を図ろうともする。
何処の誰が、いつ間者を送りつけて、いかなる工作を弄して潰しにかかって来るかわからぬ状況にあった。
最初は、昴田組と三波組が交代で末端部隊を警護に充てていたが…
いつも通り、見張りの死角から畑に忍び込む…
何日も前から何度も下見を繰り返していた。
何処から忍び込み、何処から抜け出すかも練り尽くしていた。
計画はいつも通り完璧だと思っていた。
しかし…
警護の目を盗み畑に入り…
生い茂る美国(うましくに)の実と葉を目の前にした時…
軟膏を掬った舌先で、神門(みと)を舐め、参道を弄られた時の、気持ちよさそうに喘ぐ琴絵の顔を思い浮かべた。
『コトちゃん…今夜も楽にしてやるぞ…』
平次は、目を瞑り、瞼の向こうの琴絵の笑顔に、胸の内でそっと囁きかけた。
次の刹那…
プチッと小枝が折れるような音…
しまった!
平次が顔色を変えるより先に、頭上四方に飛び出す鳴子が凄まじい音を立て出した。
『出あえ!出あえ!』
『曲者だ!曲者だ!』
『出あえ!出あえ!』
各地より、吹き鳴らされる呼子に合わせ、警護達の掛け声が響き渡った。
畑の茂みに潜り込み、駆け出そうとする平次の正面に、十字を模る黒兜の兵(つわもの)が一人…
『貴様…』
昴田組の神漏兵(みもろのつわもの)は、紅い兎の面をつけた黒装束を目にするや、湾曲刀を引き抜き迫る。
平次はすかさず銭形手裏剣を投げつけ、昴田兵(すばるたのつわもの)の眉間を割る。
同時に…
『いたぞ!』
『こっちだ!こっちだ!』
『捕らえよ!生捕りにしろ!』
四方より、神漏兵(みもろのつわもの)達が、畑の茂みをかき分けながら、四方から一斉に迫ってきた。
平次は、茂みの海原に潜り進み、各地で神出鬼没に顔を出しては、神漏兵(みもろのつわもの)に銭形手裏剣を投げつけ、眉間や後頭を割る。
『こっちだ!』
『いや、こっちだ!』
『こっちにもいるぞ!』
平次の撹乱は見事に嵌り、神漏兵(みもろのつわもの)達は、右往左往と駆け回っていた。
また一人、平次は銭形手裏剣を投げつけ眉間を割る。
一瞬、姿を見せては確実に仲間を仕留める賊に、神漏兵(みもろのつわもの)達は、次第に焦りを、更には恐怖を募らせてゆく。
しかし…
一向に囲みが緩む気配もなければ、突破口も見出せない平次もまた、疲労と共に焦りを募らせるのは同じであった。
その時…
『ウグッ!』
少し離れた神漏兵(みもろのつわもの)が一人、呻きを上げながら、茂みに沈んでいった。
『えっ?』
平次が思わず驚き振り向くと…
『アウッ!』
『アァァッ!』
また二人、離れた場所で神漏兵(みもろのつわもの)が茂みに沈んで行く。
平次が呆気に取られて見つめていると…
『ウワッ!』
今度は、真後ろで鈍い声がした。
振り向けば、いつの間に接近を許していた神漏兵(みもろのつわもの)が、万力鎖で首を絞め折られて絶命していた。
『平次、こっちだ!』
倒れ伏す神漏兵(みもろのつわもの)の後ろから、姿を表す新手の紅い兎の仮面が、平次に顎をしゃくる。
『伝七!おまえ…』
『良いから、早く来い!』
唖然とする平次の手を握り、伝七が駆け出すと、後ろ彼方でまた二人、神漏兵(みもろのつわもの)が茂みの中に消えた。
やがて追ってを巻いて一息つく平次と伝七の元に、新五も駆けつける。
『伝七!あれ程来るなと言っただろうが!』
思わず声を荒げる平次に…
『俺も来たくはなかったが、伝七がな…』
新五は紅い兎の仮面を外すなり、ムスッとして言った。
『平次も伝七も何考えてやがる。今がどう言う時か、二人ともわかってるだろう。』
身長も高ければ、顔つきも年齢らしからぬ老け顔の新五は、物言いは怒らせつつも、淡々と大人びた口調で言った。
『仕方ねえだろう!あんなお宝を前に、御預けはねえからよ!』
次に紅い兎の面を外す伝七は、人形のような顔一面に、子供じみた戯けた笑みを浮かべると、風呂敷包みいっぱいの美国(うましくに)の実と葉を掲げて見せる。
最後に紅い兎の仮面を外した平次は、二人の顔を見比べながら、暫し考え込むように黙り込んだ。
『平次、約束しろ。馬鹿は今回限りで終わりだ。でなければ、次はもう助けてやらんぞ。』
新五が切長の流し目に平次を見据えて言うと…
『なーに言ってやがる!こんなお宝、放っておく手があるかい!今回は平次一人だったからヘタ打ったけどよ。俺がついてりゃー千人力って奴よ。今度はもっと派手に掻っ攫おうぜ!』
伝七はまた、戯けて言う。
『平次、どうなんだ?約束するのか、しねえのか?』
『何だ、新五は怖えのかよ。だったら、おめえは残ってな。臆病モンのウドの大木なんぞ、いるだけ邪魔だからよ。』
『平次、答えろ。』
新五は、口を尖らせそっぽ向く伝七を無視して、流し目を更に鋭く細めて、平次を睨み据えた。
平次は、尚も無言のまま遠くを見つめる。
しかし…
『平次、おまえがヘタ打って捕われてみろ。コトちゃんがどんな目に合わされると思ってる。』
新五が、相変わらず物言いは怒らせつつも、淡々と大人びた…それでいて、何処か釘を刺すような口調で言葉を締めると…
『わかった…』
平次は、大きく息を一つ吐き、後ろを向いたまま頷いて見せた。
『阿片畑に盗みに入るのは、今回限りだ。』
『おい!そりゃーねえーぜ!あんだけお宝がありゃーよ。コトちゃんだけじゃーねー、千春ちゃんも小夜ちゃんも、灸姉貴も…
社(やしろ)の兎と拔(ぬい)、みんなの痛いのをずっと楽にしてやれるんだぜ!』
伝七は、平次の言葉に納得ゆかぬと言うように、まくしたてると…
『伝七、今回限りだと言ったら、今回限りだ!阿片畑の事は、もう忘れろ!あそこに畑はない!ないんだよ!』
平次は声を荒げて言うと、一瞬目と口を固くつぐんで歯を食いしばった後、二人に振り向きもせず駆け出して行った。
そう…
あの時限り…
あの時限りの筈だったのだ…
なのに…
『平次!聞いてるのかい!おまえが馬鹿な事をしたせいで…伝七と新五は、もう少しで…もう少しで…』
更に巻くしたてながら平次の頬を打ち続ける灸の声は、しかし次第に涙に滲み始めた。
すると…
『やめて!』
それまでひたすら泣いていた琴絵が、感極まったような声を上げるなり立ち上がり、平次のもとへ駆け寄ろうとした。
しかし…
『ウッ!』
琴絵は、股間に走る激痛に呻きをあげ、その場にくずおれた。
『コトちゃん!』
『コトちゃん!』
『コトちゃん!』
灸に捲し立てられ、すっかり項垂れていた平次と伝七と新五が、同時に声を上げる。
『お願い!もう、平次兄ちゃんを打たないで!怒らないで!全部、私の為にした事なの!私がいけないの!いつまでたっても痛がるから!痛いの我慢できないで泣いてるから!私が悪いの!だから…だから…打つなら私を打って!お願い!お願い!』
股間の激痛に立ち上がれぬまま、琴絵が涙声を上げると…
『そうだね…平次は、コトちゃんの為にしたんだもんね…それを…コトちゃんの大事な大事な人をぶったりしてごめんよ、姉ちゃんが悪かったよ。』
側に寄り、琴絵の肩を抱く灸もまた嗚咽を漏らし始めた。
側では、小春と小夜が一層声を上げて泣き出した。
『平次、おまえ、コトちゃんにこんな思いをさせて、どうなんだい?もし、おまえに何かあったら、この子、どうなっちまうと思うんだい?』
灸が、琴絵の肩を抱いて尚も嗚咽混じりに言うと、平次もまた、歯を食いしばり、硬く瞑る目を潤ませ出した。
その時…
『灸さんや、もうそのくらいにしてやって下さいな。平次も、こんなに反省してるじゃないですか。』
何処からとなく、人の良さそうな声が聞こえて来た。
『奥平さん。』
振り向く灸は、忽ち苦いものでも噛んだように顔を顰めて見せた。
『悪いと言えば、この私が悪かったのですよ。こんなに長く顔も出せず、皆さんがお待ちの薬を持ってきて差し上げられなかったのですからね。』
乱れ髪を風に靡かせ、愛想の良い笑みを浮かべながら颯爽と歩いてくる、青い楽土服に身を固めたやさ男…
『だがな、平次。私とも、もう一度約束だ。今回の件は、房枝と一緒にうまくカタをつけてやる。その代わり、あの畑には二度と近づくんじゃないよ。無茶もしない。でないと、誰が一番悲しむのか、忘れない事。良いね。』
『はいっ!奥平さん!』
憧れに満ちた眼差しと笑顔で見つめる平次と相反して、灸は奥平剛三と言う男に、何か心許せぬものを感じていたようである。


兎神伝〜紅兎四部〜(17)

2022-02-04 00:17:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃二
兎神伝

紅兎〜革命編其乃二〜

(17)抜駆

既に体力は限界を超えていた。
視界は霞み、意識は遠のいている。
何処からか聞こえてくる金属音…
握る十手越しに、激しく打ち付ける衝撃…
また二つ、肩と脇に焼けるような痛みが走る。
此処まで走る間、一体、どれだけの刃を身に受けたのだろう。
手足がまだ、身体(からだ)の一部を成しているのが不思議な程だ。
振り翳された湾曲刀を十手に受ける伝七に、別の神漏兵(みもろのつわもの)が襲い掛かる。
ビュッ!
反射敵に伝七の投げ放つ万力鎖の錘が、新手の頭蓋を柘榴の如く打ち砕く。
呻きもあげずに倒れる神漏兵(みもろのつわもの)の骸を飛び越え、次の神漏兵(みもろのつわもの)が湾曲刀を振り翳す。
伝七は、十手に受けた刃を弾き飛ばしざま、次の神漏兵(みもろのつわもの)の懐に潜り込み、その鳩尾に十手を突き刺した。
『ウグッ!』
伝七は、鈍い呻きをあげて倒れる神漏兵(みもろのつわもの)を顧みもせず、また駆け出した。
山の獣道は未だ終わりが見えず、目指す鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)は遥か遠い。
執拗な神漏兵(みもろのつわもの)の追跡の手が緩む様子もなく、新手の黒い三連星が、伝七に襲い掛かって来た。
このまま切られてしまおうか…
ふと、破裂しそうな心臓の苦しさと、全身に帯びた焼けるような刃傷の痛みの開放されたい誘惑に駆られる。
このまま切られて死ねば全て終わる…
先の見えぬ逃走も…
時折、天領(あめのかなめ)の勅使に身をやつした革命戦士に連れ出され、誰とも知れぬ者を暗殺させられる修羅の日々も…
何より…
『おまえ、何処で何を悪さしてきたんだ?』
『それとも、こう言う嗜好でもあるのか?』
『クククク…この全身の傷が、また堪らんな。』
全身の仕置きの傷に混じり、無数に刻まれた刀傷や槍傷に目をぎらつかせ、撫で回し舐め回すのは…
黒兎の身体(からだ)を求めて訪れる、男色趣味の穂供(そなえ)参拝達…
彼らの穂柱を咥えさせられ、尻の裏参道を貫かれる日々も、もう終わる。
だが…
更に霞む視界の彼方に、あの日、茂みに隠れて疼くまる琴絵の姿が浮かんで来る。
『やっぱり、もう薬が切れていたんだね。』
駆けつける伝七に、琴絵は答える代わりに、近くの雑草を掴んで必死に歯を食いしばった。
腫れ上がった股間の神門(みと)と尻の裏神門(うらみと)から、白穂混じりに血が滴り落ちている。
こんな時でも、身体(からだ)を隠す事を徹底的に禁じられている琴絵は、手で押さえようとはしない。
『何で言わないんだ。』
伝七は、琴絵の側に駆け寄るなり、最後に残された自分の分の薬を塗ってやった。
『伝七兄ちゃん…』
『いつも言っているだろう。俺達の前では、痛い時には痛いと言って良い、泣きたい時は泣いて良いんだよ。』
即効性のあるあの薬に痛みが引くと、琴絵はムッツリ黙りこんで涙ぐんだ。
『おまえは、俺達の妹じゃないか。我慢なんてしなくて良いんだ。』
『でも…私が泣いたら、平次兄ちゃんが…』
『平次がどうした。あいつには、特に甘えて良いんだよ。あいつは、単に兄貴なだけでなくて、おまえの男だろう。』
『でも…でも…』
『でも、どうしたんだ?』
『私が泣いたら、平次兄ちゃん、危ない事をしようとするから…』
『危ない事だと?』
伝七はまた、反射的に迫り来る黒い三連星の最初の一撃を十手で交わし、次の一撃に横蹴りを食らわせ、返す十手で三撃目の眉間を貫く。
伝七は、絶命した神漏兵(みもろのつわもの)の眉間から十手を抜き、未だ息のある二人に身構えると…
『平次、こんな所まで来て何をしてる。』
また別の真夜中…
密かに社(やしろ)を抜け出す平次の姿が、霞む視界の彼方に浮かび上がる。
『こ…これは…』
漸く立ち止まる平次が、何も答えず見つめる先には、広大な畑が広がっていた。
『真秀(まほろ)…』
伝七が絶句して言うと…
『正確には違う。』
平次は、畑をジッと見つめたまま、ぼそりと答えた。
『よく似ているが、美国(うましくに)だ。』
『美国(うましくに)?』
『真秀(まほろ)より鎮痛効果が高いが、麻薬性も強い。使い方を誤れば、切れた時の禁断症状が激しく、中毒性も強い。最後には廃人となって死に至る。』
『フッ…社(やしろ)は、こいつを天領(あめのかなめ)や異国(ことつくに)に売り捌いて、また、儲けようってんだな…』
『だが…葉っぱの解毒作用も真秀(まほろ)より強い。暗面長(あめんおさ)様に教えて貰った方法で調合すれば…貧しい領民(かなめのたみ)の打ち捨てられた病人達がどれ程救われるか…』
『違うだろう。コトちゃんの御神門(おみと)と参道に塗ってやりてえんだろう。』
伝七が揶揄うように言うと、平次は答える代わりに顔を赤くした。
『よしっ!掻っ攫ってやろうぜ!』
言うより早く飛び出そうとする伝七を…
『待てっ!周囲をよく見ろ!』
平次に肩を押さえられ、改めて見渡すと、十字の黒兜に、黒い甲冑と紫の帷子…
『チッ!昴田組か!呑気に阿片煙草を噴かせてる奴もいるぜ!領内(かなめのうち)には、風邪薬一つ買えず、末期の悪腫や肺病にのたうち回ってる病人がゴロゴロいるってのによ!』
伝七は、思わず唾を吐き捨て、歯軋りをした。
『伝七、帰るぞ。』
『平次、指を咥え眺めておしめえなのか?目の前に…こんなに…こんなかのほんの一握りでも持ち帰れば、一月はコトちゃんの痛みを消してやれるんだぜ。だのに…』
『良いから、帰るんだ!』
伝七の腕を掴み、引き摺るように歩き出す平次は、しかし炎の如く燃立つ眼差しで、いつまでも阿片畑を見つめていた。
わかってるよ…
俺達を巻き込まず、一人でやろうとしてたんだろう…
かっこつけやがって…
伝七は、更に駆けつける新手の湾曲刀を十手と万力鎖で交わしながら、軽く口元を引き攣らせる。
いつも、一人だけ良い格好しやがって…
だから…
だから…
出し抜いてやろうとしたのに…
このザマか…
そして、思いは残した新五に向けられる。
新五…
最後まで反対していたのに…
平次の事も二人で止めようと言っていたのに…
結局、ついて来やがって…
来るなと言ったのについて来やがって…
馬鹿野郎…
革命を前にして…
どうしてくれるんだよ…
あいつの為にも…
やはり…
漸く、まだ死ぬわけに行かぬと結論づけた伝七の右太腿に激痛が走る。
神漏兵(みもろのつわもの)の湾曲刀の刃が血に濡れる。
更に左にも同じ激痛。
最早、ここまでか…
伝七は、最後の気力を振り絞って、生捕りにかかる二人の内、一人の眉間を万力鎖の錘で砕き、もう一人の喉を十手で貫くと…
引き抜く十手の切っ先を、自身の胸に向けようとした。
その時…
『グワッ!』
『ギャーッ!』
『グゥッ…』
闇夜を切り裂く一陣の煌めきが、瞬時に三人の神漏兵(みもろのつわもの)達に血飛沫を上げさせた。
『さ…左門…先生…』
月光の如く冷たく冴える切長の眼差しが、正眼に構えて次の神漏兵(みもろのつわもの)達に身構える姿を見たのを最後に、伝七の意識は遂に消えた。


兎神伝〜紅兎四部〜(16)

2022-02-04 00:16:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃二
兎神伝

紅兎〜革命編其乃二〜

(16)三巴

『三つ、二つ、一つ…』
上下交互…
空に二の字を描くように振り翳す、伝七の万力鎖は、遂に風を切る音だけ響かせ、その姿を消す程に速度を早めた。
次の刹那…
『デャーーーーーーッ!!!!!』
気合いの声と共に、昴田組神漏兵(すばるたくみみもろのつわもの)達に向けて、錘が投げ放たれた。
凄まじい勢いで、大きく左右に飛び交う万力鎖は、かすめた者を切り裂く剃刀の如き突風を起こす。
神漏兵(みもろのうわもの)数人は、刃の突風に首筋を切り裂かれ、更に数人が弾丸の如き威力を持った錘に鋼鉄の兜ごと頭蓋を粉砕された。
辛うじて交わした神漏兵(みもろのつわもの)達に向かって、万力鎖は斜め一文字に振り翳され…
伝七は錘を引き戻すと、今度は弧を描かせ、竜巻の如き突風を起こさせながら、正面垂直に投げ放つ。
万力鎖が空を舞う度に、無数の神漏兵(みもろのつわもの)達が、突風に裂かれ、弾丸と化した錘に粉砕された。
神漏兵(みもろのつわもの)達も、既に黒い三連星の構えも布陣も崩され、後退りを始める。
『北神龍王拳鎖術奥義波動砲発射拳…星雲鎖、角鎖、円鎖…か…』
昴田組神漏兵(すばるたくみみもろのつわもの)達の後方で、ジッと成り行きを見守っていた、小太りした小男…
昴田組組頭の絲志郎連(いとしろうのむらじ)が、うっそりと言うと…
『北神流鬼道拳術の開祖、鬼北十三(おきたじゅうぞう)が編み出し、一の弟子にして二代目の鬼代進(きだいすすむ)が得意技として、神羅主征刃(みらすせいじん)流屈指の使い手、出諏訪双刀(ですわそうとう)を倒したと言う伝説の…
最近、阿片畑を荒らす鼠を追ってきたつもりだったが…
鼠は鼠でも、とんでもない鼠を釣り上げたようだな。』
十字型の灰色兜、灰色の鎧に腕当てと脛当て、青紫の帷子をつけた巨漢…
三波組組頭(みつなみぐみくみがしら)の伸介連(のぶすけのむらじ)は、口元を軽く引き攣らせて言った。
『それに、あの仮面…やはり、噂の紅兎は実在したと言う事か…』
絲志郎連は何も答えず前に進み出し…
『絲志郎、一人で片付けるなよ。俺にも楽しみを残しておけよ。』
ニヤけて言う伸介連(のぶすけのむらじ)を無視して、更に万力鎖を振り回して身構える伝七に向かって行った。
『伝七、もう良いだろう。』
新五は、更に万力鎖を放とうする伝七の肩に手を乗せると、軽く顎をしゃくって見せた。
『そうだな。早く行かねえと、朝までに調合して、コトちゃんに塗ってやれねえからな。』
頷く伝七は、右手に十手を構えたまま、万力鎖を懐に仕舞い込み、引きの体制を取り始めた。
次の刹那…
『昴田の…』
『絲志郎…』
突然、目の前に現れた姿に、伝七と新五は、仮面の下で蒼白になった。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、相変わらず無言無表情のまま、ゆっくりと湾曲刀を引き抜くと、正面と左右交互に、クルクルと回し始めた。
最初は緩やかに…
次第に風車の如く速度を速めてゆく。
『行けっ、伝七!』
新五は、再び万力鎖に手を伸ばす伝七を後ろにやると、合気の構えを取り始めた。
『馬鹿を言うな!俺達は、一心の志を分つ…』
『そんな事を言ってる場合か!周囲を見てみろ!』
伝七は、言われるままに辺りを見回し、更に色を失う。
昴田組神漏兵(すばるたくみみもろのつわもの)達が、凄まじい勢いで、再び黒い三連星の布陣を敷き始めている。
『おまえは、コトちゃんへの想いに囚われて、ヘタを打ったんだよ。』
『新五…』
『左門さんに繋ぎを取れ!今は一心がどうとか言うより、革命を潰えさせぬ事が優先だ!それと…』
新五は、言うなり懐に仕舞い込む風呂敷包みを伝七に差し出した。
『おめえの可愛い妹に、薬もな…』
『すまねえ!』
伝七は、風呂敷包みを受け取るなり、迫りくる神漏兵(みもろのつわもの)達を突っ切るように駆け出した。
新五は、絲志郎連(いとしろうのむらじ)の動きを見据えたまま、微動だにせず合気の構えを取り続けた。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)もまた、正面と左右を交互にして、風車の如く湾曲刀を回転させながら、微動だにせず新五を睨みすえる。
二人睨み合う事、既に一寸四分…
その間にも、黒い三連星の布陣を敷きなおした昴田組は、新五との間合いを詰めてゆく。
『やはり…俺を生捕りにする気だな…』
新五は心の中で呟きつつ…
右脇を詰める三連星に、地面の礫を蹴り付けた。
最初の三連星が動く。
新五は、下段から湾曲刀を振り上げる神漏兵(みもろのつわもの)の腕を捻り上げると、次に中段から突きつけてくる二人目の喉笛を掴んで脛骨を折り…
すかさず左逆手に十手を引き抜くや、上段から振り下ろさんとする三人目の脇を突き刺し、そのまま真一文字に腹を切り裂いた。
『グゥッ!』
三人目が飛び散る内臓を抑えながら前のめりに倒れるのと同時に、新五は最初に腕を練り上げた一人目を、絲志郎連(いとしろうのむらじ)に向けて投げつけた。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、眉一つ動かさず、まだ息のある投げつけられた部下を冷徹に切り裂くと、そのまま湾曲刀の刃を新五に向ける。
『今だ!』
新五は、切り付ける絲志郎連(いとしろう)の腕を捉えるべく合気の構え…
しかし…
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、切り付けるかに見せた湾曲刀を引くや、新五の鳩尾に蹴りを入れた。
『ウグッ…』
呻きを上げてくず折れる新五の頬に、更なる蹴り…
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、立ちあがろうとする新五の肩を袈裟懸けに切り、更に立ちあがろうとすると、逆袈裟に脇を切った。
皮一枚の差で巧みに急所を外されながら、新五は次第に全身を切り裂かれて血塗れになって行った。
多量の失血から、朦朧となる意識の中…
肩膝ついて、必死に両手に抜いた十手を身構える新五は、生捕るべく迫る三連星の一人目の鳩尾を左逆手に持つ十手で突き刺し…
右手の十手で二人目の眉間を貫き…
最後の力を振り絞って、三人目の胸と腹を二振りの十手で突き刺し持ち上げるや…
『テャーーーーーーーー!!!!』
凄まじい奇声を発して、絲志郎連(いとしろうのむらじ)に投げつけた。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、またも冷徹に息のある部下を真っ二つに切り裂く。
この一瞬の隙をつき…
『最早、ここまでか…』
新五は覚悟を決めると、最後の気力を振り絞り、両手の十手で自らの胸を突こうとした。
その時…
何処からとなく、無数の苦無が昴田組の上に雨の如く降り注ぐ。
『ウゥゥッ…』
『グゥッ…』
『アァァッ…』
周囲でバタバタと部下達がくず折れる中…
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、クルクル回す湾曲刀で、軽く苦内を弾き返した。
すると…
『チャァーーーーーッ!!!!!』
凄まじい奇声と同時に、風を切る飛び蹴りが、絲志郎連(いとしろうのむらじ)の顔面を狙う。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)が軽々交わすや、今度は紺の細袴に黒脚絆と黒足袋の蹴りがその顎を狙う。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)が、またも軽々と交わしながら湾曲刀を切り上げると…
紺装束の長身細身な忍は、後転して交わすや、左拳を大きく前面に出し、右手刀を頬脇に引いて身構えた。
周囲では、暗闇から湧き出る忍達と、昴田組の死闘が始まっている。
『チョーーーーーッ!!!!!』
紺装束の長身の忍は、奇声と共に、両脇から迫る二組の三連星の一人目の喉笛を手刀で突き、二人目の脛骨を叩き折ると…
『チャーーーーーーーーッ!!!!』
と、更に凄まじい声を上げて、三人目の胸板を横蹴りで、四人目の顔面を拳で粉砕し…
『アターーーーッ!!!!』
五人目と六人目は、纏めて回し飛び蹴りで、脛骨を砕いた。
『柴田の優作…鱶原総社(ふかはらのふさつやしろ)の七曲組(ななまがりぐみ)が何故…』
新五は、思わず目を丸くして、紺装束の長身の忍を見つめていると…
『俺が呼んだ。』
不意に何者かの声がすると、新五は近くの草叢に引っ張り込まれた。
『奥平さ…』
新五は、叢の影でその顔を見るなり声をあげようとすると…
『シッ!』
新五を引っ張り込んだ青装束の男は、唇に人差し指を当てた。
『シャーーーーーーッ!!!!』
紺装束の長身の忍は、両手を大きく広げ、空に大きく円を描く掌を、前に突き出しながらゆっくりと握り締めてゆき…
両手に一本ずつ突き出す人差し指に、全身の気を集中させていった。
絲志郎連(いとしろうのむらじ)は、相変わらず無言無表情のまま、正面左右と交互に湾曲刀を回転させながら、頬と顎が削げ、狼の如き目をした忍の顔を、ジッと見据え続ける。
互いに睨み合いう事一寸五分…
紺装束に長身の忍…柴田の優作は、一瞬だけ、絲志郎連(いとしろうのむらじ)の心臓部に隙を見出した。
優作は右口元を引き攣らせて笑みを浮かべると…
『チョェーーーーーーーーーッ!』
と言う奇声と共に、右頬近くまで惹きつけた、右手人差し指を、一寸の隙に向けて突き入れようとした。
次の刹那…
優作の左手脇腹に激痛が走る。
思わず当てた掌には、ベットリとドス黒い血が拭われた。
『何じゃい、こりゃーーーーーー!!!!』
優作は、叫びながら振り向くと…
背後から二尺の牙狼棒を突き入れた三波組頭(みつなみくみがしら)の伸介(のぶすけのむらじ)が、頬の弛んだ顔をニヤけさせていた。
周囲では、優作の配下達が、次々と新手の三波組の襲撃を受けて倒れている。
『三波組(みつなみぐみ)…だと…話が違う…話が違うぞ…』
愕然とした眼差しを向ける優作の脇を、伸介連(のぶすけのむらじ)は牙狼棒先端の鋭い無数の棘で更に抉る。
『おのれ…図り…やがった…な…』
優作は、血塗れの手を伸ばし、凄まじい形相で伸介連(のぶすけのむらじ)を睨み据えたまま肩肘をつき…
やがて、前のめりに倒れ込んだ。
『紅兎の次に、今度は鱶腹軍団の七曲組…こいつは臭うな。』
伸介連(のぶすけのむらじ)は、呟きながら優作の頸動脈に手を当てる。
『此奴、まだ息がある。捕らえて吐かせるかな…』
すると…
『やめておけ。』
それまで一言も発しなかった絲志郎連(いとしろうのむらじ)が、不意に伸介連(のぶすけのむらじ)の肩に手を乗せて言った。
『我が社領(やしろのかなめ)は、神領(かむのかなめ)中を敵に回してるにも等しい…
長年に亘る、親社(おやしろ)様の強引な祭事(まつりごと)のせいでな…』
『だからこそ、何処のどいつが、何を企み仕掛けようとしてるのか吐かせるのよ。』
伸介連(のぶすけのむらじ)は言いながら、舌舐めずりをした。
真相を突き止めると言うよりは…
この屈強の忍を痛めつける事を楽しみにしているらしい…
しかし…
『だからこそ、此奴は此処に放置する。
迂闊に鱶腹の手の者を抱え込めば、それこそ敵の思う壺かも知れぬ。
今宵は何もなかった…何も無かったのだ。』
『チッ!久しぶりに楽しめると思ったものを…
また、社(やしろ)の拔(ぬい)や兎共を責めてやるか。』
伸介連(のぶすけのむらじ)は、尚も未練ありげに虫の息の優作を眺めやる伸介連(のぶすけのむらじ)をよそに、倒れた配下の骸も回収せず、引き上げの合図を送った。

兎神伝〜紅兎四部〜(15)

2022-02-04 00:15:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃二
兎神伝

紅兎〜革命編其乃二〜

(15)不器

闇夜の獣道を、紅い兎の仮面が二つ駆けて行く。
既に一刻…
追っての追跡が緩む気配はない。
また一振り、追っての一人が湾曲刀を振り翳す。
十字型の頭巾のような黒兜、黒い鎧や紫の帷子…
昴田組神漏兵(すばるたくみみもろのつわもの)…
紅い兎の仮面の一つは、神漏兵(みもろのつわもの)の湾曲刀を振り翳す手を捉えると、そのまま斬り込む方角に投げ飛ばした。
数件先の岩石に激突し、兜と頭蓋骨の砕け散る音が響き渡る。
『おのれ!』
また一人、神漏兵(みもろのつわもの)が切り付けると、紅い兎の仮面は、またもその腕と胸ぐらを掴み、斬り込む方角の地面に叩きつけ…
更に迫り来る二人の切り付ける腕を捻り上げ、一人は投げ飛ばし、一人は地面に叩きつけると、その場に立ち止まり、後ろに振り返った。
『新五!何してる!』
紅い兎の仮面のもう一つは、激しい金属音を立てて、先の尖った十手で応戦しながら声をあげる。
『伝七、行けっ!』
立ち止まる紅い兎の仮面は、指関節を鳴らして合気の構えを取りながら、叫び返す。
『馬鹿な!お前だけ置いて行けるか!』
と…
もう一つの紅い兎の仮面に、三人の神漏兵(みもろのつわもの)が同時に向かってきた。
下段、中段、上段に構えた兵(つわもの)三人が一体となって切り掛かる戦法…
昴田組が得意とする黒い三連星の攻撃を、紅い兎の仮面は軽やかな動きで巧みに交わす。
黒い紋付の羽織を着込み、蝶の舞にも似た動きをする紅い兎の仮面…
黒紋蝶の伝七は、黒い羽織の袖を羽根の如くひらひらさせて空高く飛び上がると、蜻蛉を切りながら、三連星の一人に蹴りを食らわせた。
更に迫り来る一人の眉間を投げ放つ万力鎖の錘で割り、鎖はそのまま、もう一人の首にまきついて行く。
『北神流鬼道拳術(ほくしんりゅうきどうけんじゅつ)か!』
叫ぶ最初の一人は、何処からとなく、コマの如くクルクルと投げ飛ばされた神漏兵(みもろのつわもの)が直撃して絶命した。
『新五!』
伝七は、最後の一人の首を締め上げる鎖に、一層力を込めながら振り向くと…
身の丈、六尺三寸…
一見細身に見えるが、迫り来る重装な甲冑を着込む屈強な神漏兵(みもろのつわもの)二人の胸ぐらを掴み、軽々持ち上げ、投げ飛ばす…
コマ形の新五は、既に十人の神漏兵(みもろのつわもの)達に囲まれていた。
首に鎖を巻かれていた神漏兵(みもろのつわもの)が、抗うのを止め、まっすぐ伝七に向かって来る。
伝七は、すかさず十手を突き入れ、神漏兵(みもろのつわもの)の眉間を貫いた。
『何してる!早く、行かんか!』
新五が、更に一人の神漏兵(みもろのつわもの)を組み伏せ、喉笛を掴んで頸骨をへし折ると…
『行けるわけねえだろう!一心の志を忘れたのか!俺達は、生死も分かつ同心だろうが!』
伝七は、新五に迫る神漏兵(みもろのつわもの)の一人に鎖を投げ放ち、もう一人の首を十手で叩き折った。
『完全包囲…って、奴だな…』
伝七が、万力鎖をクルクル回して身構えながら、ニヤけて言うと…
『馬鹿野郎!二人一緒に、ここでくたばってどうするよ!そもそも、俺は反対した筈だ!昴田組が管轄する阿片畑を狙うなんざ、自殺行為だとな!』
新五は、怒鳴り返しながら、合気の構えをとった。
『仕方ねえだろう。コトちゃんの御神門(おみと)に塗ってやる薬が、足らねえーんだからよ。
あいつが、仲間の白兎や会った事もねえ拔(ぬい)達に塗ってやる為に、死ぬ程痛いのを必死に耐えてるのを見ると…俺はな…』
『ケッ!また、コトちゃんかよ!おめえは、コトちゃんの事となると見境がつかねーんだな。
小春ちゃんって人がいるってのによ!』
『小春ちゃんは俺の女、コトちゃんは俺の妹…どっちも泣かせられねー。
ついでに言やー、おめえはどっちにとっても大事な兄貴よ。おめえが死ねば、二人とも泣く。だから、おめーも死なさねー。』
『だったら…こんな面倒に巻き込むんじゃねえーよ!』
『巻き込まれたのは、おめえの勝手。俺は、邪魔だからついてくるなと言った筈だ。』
二人が延々と言い合っているうちにも、昴田組の神漏兵(みもろのつわもの)達は、十重二十重に周囲を取り囲み、ぐるぐる回りながら、間合いを詰めてくる。
しかも…
三人一組ずつ、黒い三連星の構えをとりながら…
そして…
三人一組の連星が、更に三つ一組みの三連星の布陣をとりながら、緩やかに二人に迫って来る。
何処から攻めたものだろう…
一人を狙えばば、後の二人が…
一組を狙えば、別の二組が…
なまじ武芸に長けて、相手が次に仕掛ける一手が読める故に、身動きとれぬ二人は、次第に紅い兎の仮面の下で脂汗を流し始めた。
最も…
それは、神漏兵(みもろのつわもの)達も同じ事…
阿片畑で既に十数の犠牲を出し…
ここまで追い続ける最中、二十近くの神漏兵(みもろのつわもの)達が追ってが返り討ちに合っている。
相手は二人…
これだけの人数と厳重な陣で取り囲めば、必ずや討ち取れるだろう。
しかし…
最初の一撃を加える者…
最初に仕掛ける一組は、必ずや命を失う。
最初の一人…
最初の一組となる覚悟を決められる者はまだいない。
それに…
彼等はまだ知らない…
仮面の中身は、未だ十四の少年だと言う事を…
『で、もって…女と妹と両手に花の色男さんよ、この状況をどうしてくれんだよ。二人を泣かせねー以前に、俺が泣きてーぜ。』
『まあ、任せておけって…』
尚も悪態つく新五に、伝七は仮面の下でニンマリ笑うと…
『奥平さん直伝の北神龍王拳奥義、波動砲発射拳を見せてやるぜ…
十、九つ、八つ、七つ、六つ…』
数を真逆に数えながら、空に二の字を描くように、万力鎖をゆっくりと…
次第に速度を上げて、振り翳し始めた。
鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)裏手の山奥に行くと、人知れず湧き出る温泉がある。
通常、その温泉に人は近づかない。
この付近には、古に封印された物の怪が暮らし、彼等が浸かるからだと言う。
故に、妖湯(ばけもののゆ)と呼ばれているが…
山の民達は、獣湯(けもののゆ)と呼ぶ。
要するに、山林に暮らす獣達が、何故か湯に浸かる事を覚え、此処にやってきて危険だから、人は近づかないのである。
しかし、此処に敢えて訪れる人影が二つあった。
『さあ、ついたよ。』
平次は、長い山道を背負ってきた全裸の少女に言うと、ゆっくり降ろしてやった。
少女は、湯の近くの草地に座ると、ごく自然に両手を後ろの地面につかせ、脚を広げて見せる。
赤兎として兎幣される事が決まった時から、絶えずこうして相手に全身が見えるようにするよう、厳しく仕込まれてきたからである。
『可哀想に…今日もこんなに…』
平次は、少女の身体(からだ)を見渡すなり、思わず涙声で言った。
その日も、何処で何をされて来たのか…
白穂と唾液と尿の入り混じったような、鼻をつく臭いを漂わせる少女は、全身傷だらけであった。
特に…
白穂と血にベタつく神門(みと)のワレメは悲惨な有様であった。
外側の大神門(おおみと)も、九つにして既にはみ出す内側の小神門(こみと)も真っ赤に腫れ上がり、ワレメの付け根はパックリ裂けていた。
恐る恐る中を見てみれば…
参道の肉壁は、一面赤剥けに剥離している。
しかも、そこが真っ赤に染まっているのは、出血しているからだけではない。
相手をした男達に、どんな逆鱗に触れたのか…
粗塩と唐辛子を、練り辛子とワサビで混ぜ合わせたものを塗りたくられたせいでもある。
『辛かったろう…痛かったろう…可哀想に…可哀想に…』
平次がとうとう感極まったように声を滲ませると…
『ううん、平気。だって、終われば平次兄ちゃんとまた、此処に来れるもん。真秀(まほろ)に来れるんだもん。』
少女は、苦痛に引き攣りそうな顔に、必死の笑みを浮かべて言った。
しかし…
『今、綺麗にしてやるからな。』
平次もまた、今にも溢れ出そうな涙を必死に堪えながら、懐紙で神門(みと)を拭ってやろうとした刹那…
『ウゥゥッ!』
琴絵は、思わず顔を剃らせて呻きをあげた。
『す…すまん!コトちゃん、痛かったか?』
慌てる平次に…
『だ…大丈夫…痛く…な…』
琴絵はまた、引き攣る笑みを浮かべて見せるが…『ウゥゥッ!ウゥゥッ!ウゥゥッ!』
平次は懐紙を揉み解し、文字通り腫れ物に触れるように、最大限そっと拭ってやりながらも、琴絵は始終苦悶に顔を引き攣らせ、呻き続けた。
そして…
『アァァァァーーーーーーッ!!!!』
平次が神門(みと)を洗ってやるべく、湯をかけた刹那…
遂に堪えきれず、琴絵は身を仰け反らせて叫び声をあげた。
『コ…コトちゃん…』
平次もまた、股間の苦悶に悶える琴絵を前に、どうしたものかと途方に暮れていると…
『平次兄ちゃん!何してるのさ!』
後ろから、男勝りな少女の声が、平次を咎め立てた。
『こ…小春ちゃん…』
振り向くなり、平次は思わず縮み上がる。
『全く…あんた、何年、女を扱ってるのさ!女は心も身体(からだ)も繊細に出来てんだよ!だのに…惚れた女の傷ついた身体(からだ)一つまともに扱えないなんて!だから、あんたは、白兎達に相手にされないっての!』
小春と呼ばれた、平次より一つ年下の少女は、ツンと顔を背けて言うなり、平次を押し退けて、琴絵に近づいた。
『可哀想に…ロクでなしどもに散々な目に遭わされて…惚れた男にも酷い事されたのね…よしよし…』
小春は、琴絵の側に寄るなり、平次に対するのとは打って変わって優しく言うと、優しく抱きしめ…
『そんな…小春姉ちゃん…私…』
『良いの良いの…辛かったね、痛かったね…お姉ちゃんの側にいる時はね、うんと泣いて良いんだよ。思い切り泣いて良いだよ。』
言いつつ、琴絵より先に、オイオイと声を上げて泣き出した。
『そんな…私、辛くないわ。お兄ちゃんやお姉ちゃん達が優しくしてくれるから、辛くない。だから、泣かないで…』
『まあ!何て優しい子なんでしょう。こんな優しい子が、どうして、平次兄ちゃん何て唐変木に惚れたんだろう…うちの伝七兄ちゃんだって、あんなに思っているのに…』
『だって…伝七兄ちゃんは、小春姉ちゃんの事で頭がいっぱいなんですもの…私みたいに臭くて汚い子…』
『まあ…まあ…まあ…この子ったら、そんな…伝七兄ちゃんが、私に夢中だなんて、何て物分かりがよくて、お利口さんなんだろう。でもね、コトちゃんは、一つも汚くもなければ臭くもないわ。本当、可愛い子よ。だのに、平次兄ちゃんのロクでなしは…』
小春は、側ですっかり肩を窄めて項垂れてる平次を他所に、緋袴を脱ぎ捨てるや、白衣の裾をはだけさせ、剥き出した肌襦袢を切り裂いた。
『小春姉ちゃん…それ…』
『コトちゃん、これは柔らかい絹だからね。拭っても痛くないからね。』
『でも…でも…それ、小春姉ちゃんのお父さんとお母さんが…』
忽ち、今度は琴絵の方が涙目になるのも構わず、小春は肌襦袢の切れ端を、軽く湯に浸して冷ますと、琴絵の神門(みと)を優しく拭い出した。
成る程…
絹でできていると言う肌襦袢の切れ端で拭われるのは、柔らかくて、痛くないばかりか、心地よい。
しかし…
小春が兎幣される時…
殆ど全財産を叩いて、両親が買い求めてくれたと言う肌襦袢だと知ってるだけに、琴絵は拭われている間中、泣き続けていた。
小春もまた、そんな琴絵を見て、何て優しい子だと、またも泣き泣き…
しかし、こんな優しい子に、肝心の男は何て役立たずなと、くどくど、平次に聞こえよがしな文句を言いながら、傷だらけの神門(みと)を拭ってやる。
『伝七…おまえはまた、何て女を…』
この小春にベタ惚れな仲間を思いつつ、平次は思わずため息をつく。
正直…
平次は小春が苦手であった。
黒兎の役目は、白兎の田打相手となる事。
早い話が、男に抱かれる練習台になる事なのだが…
小春は、十で兎幣された時から、その道は平次より遥かに長けていて…
扱いが粗雑だの、抱き方がなってないの、参道におさまるべきものがちゃんとなってないの…
言いたい放題言われた挙句…
穂柱が小さいの、萎びてるの、稲毛が薄いの、少ないの…
当時、漸く穂柱の皮が剥けかけたばかりの平次に、男の誇りをズタズタにする事を言いまくったものである。
その時の事が未だにシコリとなって、彼女が側に来るだけで、萎縮してしまうのだ。
しかし…
『ほらっ!平次兄ちゃん、どいた!どいた!』
小春に輪をかけて苦手な少女が、そこに駆けつけた。
『小春姉ちゃん!川の水、汲んできたよ!柔らかい川の水をね!社(やしろ)の井戸水は硬くて、傷を洗うにはキツイからね!』
と…
満タンに組み上げたデカイ桶を四つに、空桶を四つぶら下げた棒を軽々担ぎ、最近、新五と出来上がった、二つ年下の小夜が駆けつけて来た。
『まあまあ、ご苦労さん!小夜ちゃん、相変わらず気が効くねー!』
『だーって、男の平次兄ちゃん、全然ダメなんだもん!相変わらず、熱いまんまのお湯で洗おうとしたでしょう!』
『そうなのよ!そうなのよ!こんな傷だらけの神門(みと)を冷ましもしない湯で洗おうとして、ほら!』
『まあ!コトちゃん、熱かったでしょう!可哀想に!』
と…
小夜は、吊るしあげた目を平次に向けるなり…
『平次兄ちゃん!何度言えばわかるの!女の子の大事なところはね!何でもなくても、敏感なの!お兄ちゃんの穂柱だって、同じでしょう!何だったら、今すぐ出しなさい!私、熱湯ぶっかけてあげるから!』
『あ…いや、その…小夜ちゃん、その…』
『全く…その上、コトちゃんの神門(みと)はほら!ロクでなし達に酷い事されて、こんなに傷ついてるじゃない!それを…』
と…
人差し指を大きく振り立てながら、延々と説教を始め出した。
小夜は、兎幣されて早々…
琴絵の扱いで、小春に散々やり込められている平次を見て、平次を完全に舐め切るようになった。
更に、男として、惚れた女である琴絵の扱いが、まるでなってないのを見て、放っておけないと思うようになり…
ついでに言えば、男は何でもデカくて強くなければならんと…
彼女自身、長身な少女であるだけに、それは信念にも等しく…
青白い顔したやさ男で、自分よりも背が低い平次を、年上の男とは見られず、何処か弟感覚で見てしまってもいる。
と…
更に更にそこへ…
完全に萎縮する平次にとどめをさすように…
『オラッオラッ!どいたどいたっ!』
と、痩せぎすで小柄な少女が濁声張り上げ、平次の尻を蹴飛ばし押し退けた。
『あんた達!何、もたもたしてるんだい!早く、コトちゃんを洗っておやり!
早く綺麗にして、湯に入れてやらないと可哀想じゃないか!』
濁声の少女は、琴絵の側に寄るなり言うと…
『ほらっ!コトちゃんの身体(からだ)、こんなに冷たくなっちまって…可哀想に…
小春!小夜!無駄口きく暇があったら、一編、素っ裸で一日お過ごし!この子、どんなに寒い思いして過ごしてると思ってるんだい!その上…こんな…』
荒っぽい物言いとは裏腹に、手際よく湯と水を混ぜ合わせて程よい温度にするや、優しく琴絵の身体(からだ)を洗い出した。
彼女の名は灸。
鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)では、一番の古株で、赤兎だった平次の姉…小牧とは親友だった少女である。
しかし…
平次は、いつも笑顔で優しかった姉の事は今でも慕っているのとは逆に、灸の事は苦手を通り越して正直怖い。
琴絵がそこにいなければ、彼女が来た途端に逃げ出していたであろう。
灸の濁声は、まだ響く。
『ほらっ!小春!コトちゃんの背中洗っておやり!』
『小夜!あんたはコトちゃんの神門(みと)に手を出さなくてよろしい!平次と同じくらい粗雑だかれね!それより、湯にもっと水足して!こんなんで傷だらけの神門(みと)を洗ったら可哀想だろう!』
小春と小夜も、平次には強く出られても、灸には弱く…
『はいっ!』
『はいっ!お姉ちゃん!』
と、ひたすら顎で動かされ続けている。
そして…
『やいっ!平次っ!何、ぼさっと突っ立てんだよ!水が足りない!水が!さっさと汲んで来な!』
最早、身の置き所などとっくに失った平次に目を留めるなり、灸は怒鳴り飛ばした。
『あっ…は…はいっ!』
忽ち縮み上がる平次は、直立不動で返事をすると…
『ほらっ!佐七も一緒に行っておやり!こいつは、傷を洗うのに良い水がわからないからね!あんたは、人魚の佐七…水にだけは詳しいだろう!』
『あいよー、姉貴!』
と、それまでそこにいた事すら誰も気づかなかった、小さな少年が悪戯っ子な笑みを浮かべて姿を現した。
『さあ、平次!行こうぜ!』
『なっ…行こうぜ、平次って…』
平次は、忽ちムッとした顔をするが…
『ほら、行くよ!』
小さな少年が、それまで灸に担がされていた十個もの空桶を当然の如く押しつけてき…
『さっさと、とお行き!』
灸にもう一睨みされると、重い足取りで小さな少年の後をついて行った。
『うーん…この辺りの水も硬いな…』
『この水もキツ過ぎて傷を洗うのはちょっと…』
川沿いを歩き、時々立ち止まって手を突っ込んでは、また歩き出す佐七の姿を見続ける事、小半刻…
平次の苛立ちは、次第に頂点に達する。
佐七は平次より三つ年下の十一歳…
小柄な彼は、琴絵と同い年に見えなくもない。
にも関わらず、平次に対等どこらか、始終、上目線で声をかけてくる。
『ほら、平次!ぐずぐずすんなよ!』
『さあ!早く歩いた歩いた!』
佐七は、黒兎に兎幣されて早々、何故かいち早く灸を慕って、始終、側をまとわりつつくようになった。
当初、灸はそんな佐七を疎ましく思い、邪険に扱っていたのだが…
毎晩、素っ裸になって寝床に転がり込んではオネショをして泣き出す佐七の世話を焼くうちに、情がわき、可愛がるようになった。
そうなると…
皆から姉御として一目置かれている灸の弟分気取りに、仲間の黒兎達の間で大きな顔をするようになった。
虎の威を借る狐…
力有る者の後ろ盾で威張り散らす者を生理的に嫌う平次は、佐七が大嫌いだったのだが…
佐七は何故か、妙に平次を気に入り、何かと言っては側に置き、引っ張り回したがっていた。
『平次、何ちんたら水組んでるんだ!早くしないと日が暮れちまうぜ!』
灸への遠慮から、いつも大人しく従っていた平次だが…
目ぼしい川を見つけては、平次一人に水を汲ませ…
組んだ水は、平次一人に担がせ…
見れば…
人魚の佐七とはよく言った者で、さっきから一人、川で泳ぎ回っている。
しかも、汗だくで十杯目の水を汲みかけた時、何処からとなく良い香りがしてきた。
何だ?
と、振り向けば…
こっ…
こっ…
こいつ…
平次の顔は、赤血がのぼるのを通り越して蒼白となり…
額には今にも切れてしまいそうな程に、青筋がたってきた。
何と、そこでは…
いつのまに捕ってきたのか、呑気に鼻歌を歌いながら、川魚を焼き出している。
もうダメだ…
もう我慢ならん…
佐七め!
佐七め!
佐七め!
『佐七、てめえーっ!さっきから大人しく言う事聞いてやってれば良い気になりやがって!ちょっと、こっちに…』
遂に堪忍袋も尾が切れかけた平次が怒鳴りかけた時…
『あいよ、食いな。』
佐七は、焼きたての川魚を二匹、両手に持って平次に差し出した。
『食いなって…』
『腹、空かせてるんだろう。』
平次は、返事をする代わりに腹を鳴らせた。
思い出せば、もう何日、まともにものを口にしてないのだろう。
兎神子(とみこ)達は、基本、食事は最低限のものしか与えられない。
逃亡や反抗する気力を奪う目的が一つと…
太って見栄えを悪くさせないのが一つ…
しかし、何よりも、飢えさせていた方が、穂供(そなえ)で穂柱を咥えた時、吸い付きが良くなるからだと言う。
特に、赤兎に至っては、口の中に放たれる白穂を食事代わりにされる時もあった。
仲間の幼い兎神子(とみこ)達は、いつも腹を空かせて泣いていた。
平次は、それを黙って見ていられず、ついつい、自分の分を全て、彼ら彼女達に与えてしまうのである。
『おまえも、少しは食いな。でないと…』
『でないと、何だ。』
『コトちゃんも、食えないじゃないか。』
『えっ?食えないって…コトちゃんは、灸姉や、小春ちゃん、小夜ちゃん達に食わせて貰ってるからって、俺に…』
『わかってねえな。そう言わねえと、みんな人にくれてやって、最後に残った一口まで、コトちゃんに食わせようとするから、そう言ってるだけだよ。
コトちゃん…灸姉貴達がいくら食わせようとしても、平次が食わねえから要らねえって、食おうとしねえんだよ。
わかったら、さっさと食いな。』
佐七はそう言うと、出てくる憎まれ口とは裏腹に、片目瞬きをして見せた。
『チッ!』
平次は軽く舌打ちすると、引ったくるように焼き魚を取って食べ始めた。
一旦、食い物を口にして仕舞えば、止まらない。
平次は、あっという間に、皮も骨も残さず食べ尽くす。
すると…
『もっと食いなよ。』
と、佐七は更に二匹差し出し…
気づけば、十匹近く平らげていた。
と…
『姉ちゃん達とコトちゃんに、こいつを見せたら、喜んでくれるかな…』
佐七は、魚籠いっぱいの川魚を見つめながら、悪戯っ子の笑みを浮かべていた。
『まず、姉ちゃん達とコトちゃん達に食わせてやったら…ちっとずつでも、社(やしろ)で待ってる奴にも分けてやらないとな…
一心の志だもんな、平次。』
『佐七、おめえ…』
この時になって、平次はふと思う。
そう言えば…
佐七は、平次に食べさせるだけで、自分ではまだ一匹も口にしてないな…と…
『平次は良いな。姉ちゃん達に好かれててさ…』
佐七は、魚籠を眺めるだけ眺めると、それをひょいと肩に掛けながら、ポツリと言った。
『えっ、俺が?』
『なーんだ、知らねえのか?みんな、平次の事が大好きなんだぜ。最初の田打の時、本当は平次に参道を開いて欲しかったんだ。でも、平次の穂柱がまるっきし勃たなくて…結局、神職(みしき)や神漏(みもろ)のクソ野郎に参道を開かされて泣いてたんだってよ。
今じゃあ、小春姉貴は伝七兄貴に、小夜姉貴は新五兄貴に、でもって、急姉貴は俺に夢中だけどな。』
そんな馬鹿なと、平次は思う。
いつも、てんでガキ扱いしてくる灸や小春や小夜が、自分の事が好きだった何て…
本当は、自分に参道を開いて欲しがっていただなんて…
『みんな不器だよな。平次も姉貴達も、みんな不器だよな。
でも、俺は好きだぜ、そう言う不器な平次や姉貴達がな。』
佐七はそう言うと、また悪戯っ子な笑みを満面に浮かべ、平次に背を向けて一気に駆け出して行った。
『わあ、すっかり綺麗になったねー。』
『やっぱり、こうやって身体(からだ)を流し終えれば、コトちゃんは美人さんだねー。』
『そんな、私なんて…小春姉ちゃんや小夜姉ちゃんの方が…』
『なーに、言ってるのよ。私達が美人なのは、今更言われなくてもわかってるけどさ…
コトちゃんは、本当、美人さんよ。こうやって綺麗に洗い流せば、女の私達でも、惚れ惚れしちゃうわ。』
『そうそう。平次兄ちゃん、また、穂柱をピーンッとオッ勃たせるよ、綺麗に流し終えたコトちゃんを見たらね。』
『本当…あんなちっこいキノコがさ、コトちゃんの身体(からだ)を見た時だけ、大根さんになるんだもんね。』
身体(からだ)を洗い終えた琴絵を見て、小春と小夜が口々言うと、琴絵は恥ずかしそうに笑いながら、ふと温泉の湯に目を留める。
獣湯(けもののゆ)は、石清水のように透き通り、水面に洗い上がった琴絵の姿を映し出していた。
肩まで垂れ下がった髪の射干玉が、ほっそり色白な肌に冴えている。
瞳は円で顎は細く、それでいて、赤みがかった頬の上辺りは仄かにふっくら丸みを帯びている。
小さな口元には、笑うと大きな笑くぼができる。
今日も、可愛いよ…って、言ってくれるだろうか…
みんなに美人だと言われるのも嬉しいけど…
平次に頬擦りされながら、可愛いと言われるのが一番嬉しい。
それから…
琴絵に着物を着せてやれない代わりに、自分も裸になる平次の腕に抱かれて、一時の安らかな眠りにつく。
その時…
まだ、乳房のない真っ平な胸と小さな乳首を撫でさせながら、すっかり膨らんだ穂柱を揉んでやる。
その時、次第に高鳴る鼓動と息遣いは、やがて、琴絵の小さな掌いっぱいに白穂が放たれると穏やかになり…
気づけば、安らかな寝息に変わる。
琴絵は、心地よさそうな平次の寝顔に口付けをして、暖かな胸板を枕に眠りにつくのが、一日の一番の楽しみであった。
でも、最近…
もっと違う事を望むようにもなりかけている。
小春は伝七と…
小夜は新五と…
すっかり出来上がった姿を見ると…
本当は…
本当は…
その時…
『小春、小夜、佐七の奴、うまいこと、平次の奴を遠くまで引き離したよー。』
暫しの間、その場を離れていた灸が駆け戻ってくるなり、したり顔に笑って言った。
『よーーーーしっ!』
『あのチビ、なかなかやるじゃない!』
小春と小夜は、思わず手を打った。
『これで、平次兄ちゃん見られず、最後の残りをコトちゃんに…』
『そうそう…コトちゃんの為に使い果たすのを見せたら…平次兄ちゃん、ヤバイ事をしそうだからね…』
『最後の残り?平次兄ちゃんがヤバい事?』
琴絵が、二人の会話を聞きながら小首を傾げていると…
『コトちゃん、もう一度、脚を拡げて見て。』
『あの薬を、塗ってあげるからさ。』
言うよりも早く、小春は琴絵の脚を拡げさせ、小夜は懐から何やら取り出そうとし始めた。
『えっ…あの…それ…』
琴絵は、差し出された薬を見るなり、思わず声を上ずらせた。
『知ってるよ。コトちゃん、もう一月も薬塗るの我慢してるんだろう。
平次の奴が、一年近く前から面倒見てやってる拔(ぬい)達の為にさ。おまえは、本当に良い子だね、優しい子だね。』
灸が何度も頷きながら感心して言うと…
『でも、痛かったよね、辛かったよね…』
『本当は、もっとたくさん薬を残してあげたかったんだけどね…兎幣されたばかりのチビ達も、毎日、あのクソ野郎達に神門(みと)を引き裂かれ、参道を抉られて、ビービー泣いていたからね…これっぽっちしか…ごめんね…ごめんね…』
小春はメソメソと、小夜は感極まったように号泣して言った。
『小夜、何してるんだい!早く、塗っておやり!』
『はい、灸姉ちゃん。』
灸に怒鳴り促されると、小夜は尚も泣きながら、琴絵の腫れ上がった神門(みと)に、薬を掬った指先を伸ばし始めた。
『駄目よ!だって…お姉ちゃん達だって…』
首を振り、声を震わせて言いつつ、琴絵は小夜の指先の薬に目をやり、生唾を呑み込む。
今も、立って歩くのも辛い程、股間に激痛が走っている。
それが、ほんの一時であっても、この薬を塗られれば消えてなくなる…
ばかりか、夢のような心地よさも味わえる…
それでも…
『駄目よ…駄目…駄目…お姉ちゃんだって痛くて辛いのに…私だけ…だって…一心だもん…嬉しい事も辛い事も…みんなで分け合う…一心だもん…』
琴絵が必死に脚を閉じ、涙声で言うと…
『馬鹿におしでないよ。私達はね、もう散々鍛え抜かれてるんだ。あんな、ジジイの萎びたもん、百や二百、食らったって、蚊が刺したほども感じないさね。』
灸は鼻を鳴らして笑って言い…
『私達もよ。私はもう十三、小夜ちゃんは十二の大人よ。胸も膨らんでれば、御祭神だってちゃんと目覚めた大人何だからね。』
『それにね…私には、新五兄ちゃんがいる。新五兄ちゃんに抱いて貰ったら、こんな薬塗るより、よっぽど気持ち良くなれるんだからね。』
小春と小夜も、涙を拭いながら、笑って言った。
『コトちゃんもさ…今夜一晩だけでも楽になって、平次の奴を参道に通して、パンパンに腫れ上がった穂柱を楽にしておやり。』
『灸姉ちゃん…』
『コトちゃんだって、本当はもう、掌なんかじゃなくて、御祭神で受け止めてやりたいんだろう?平次の御白穂さんをさ…』
灸の言葉に、琴絵は頬を赤くして頷いた。
『さあ!そうと決まれば、薬を塗って傷の痛みを楽にして…』
『湯に浸かって暖まった身体(からだ)で、平次兄ちゃんに抱いて貰おうね。』
小春は琴絵の肩をもう一度抱き、小夜は漸く開かれた股間に薬を掬った指先を伸ばす。
すると…
『だったら、それっぽっちじゃ足りねーな。』
『コトちゃんは、一月も我慢したんだ。その分、たっぷり塗ってやろうぜ。』
声と同時に、後ろから大きな風呂敷包みが投げ落とされた。
『伝七兄ちゃん!』
『新五兄ちゃん!』
小春と小夜が同時に振り向くと、そこには、満身創痍の伝七と新五が互いに肩を支え合って立っていた。

兎神伝〜紅兎四部〜(14)

2022-02-04 00:14:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃二
兎神伝

紅兎〜革命編其乃二〜

(14)明日

真秀(まほろ)…
綺麗な場所…
好きな人と良い事をする場所…
どんな所なのだろう…
何をするのだろう…
あの人と…
志津は、貝殻の薬箱を眺めながら、同じ事を思い続けていた。
あの人と出会った、いつもの場所…
境内裏の片隅で…
今日も、三波連(みつなみのむらじ)親子に死ぬ程弄ばれた。
三波連(みつなみのむらじ)親子だけではない…
今は、拔巫女(ぬいみこ)の身体(からだ)を求めて訪れる、社領(やしろのかなめ)中の鱶背和邇雨家(ふかせわにさめのいえ)の男達の相手をさせられていた。
血と白穂の乾く間のない股間は、今日もズキズキと疼いている。
連日、数多の男達の前で着物を剥ぎ取られ、肌を晒される事だけは、少しずつ慣れ始めている。
それでも…
やはり、完全に羞恥が消える事はなく、志津は辺りを見回し確かめる。
誰かが見ている気配はない…
志津は、何度も何度も注意深く確かめると、漸く緋袴を降ろし、裾よけと腰布を捲り上げた。
血と白穂に塗れた股間を拭う…
白穂はすぐに拭いきっても、参道から流れ出る血はなかなか止まらない。
それでも、最初の頃よりは早く出血が治ると、発芽の兆しすらない神門(みと)のワレメは、まっさらな姿を晒す。
未だ、ヒリヒリと痛むそこに、ひんやりとした風があたるのが心地良い…
『平次さん…』
志津は、貝殻の薬箱を見つめながら、剥き出しの股間に手を伸ばす。
あの人を想いながら、そこを指先で弄ると、あの薬を塗った時と同じ効用があると知ってから、毎日そうするのが習慣となった。
『アッ…アッ…アッ…アッ…』
最初は、そっと指先で神門(みと)のワレメを弄りながら、遠慮がちに漏らす声は…
『アンッ…アンッ…アンッ…アンッ…』
次第に、参道の内側が湿り出し、むず痒いような心地良い疼きが広がり出すと、次第に大きくなってゆく。
『アンッ!アンッ!アンッ!アンッ!』
これを始めた当初こそは、誰かに見られるのを恐れて、始終、遠慮がちにそこを弄りながら、極力声を抑えていたが…
『アーンッ!アンッ!アンッ!アンッ!アーンッ!』
誰もいない事、こない事が分かると、日に日に声も大きくなり、動きも派手になってきた。
『アンッ!アンッ!アーンッ!アンッ!アンッ!アーンッ!』
志津は、青草繁る地面に寝そべると、緋袴も裾よけや腰布をすっかり脱ぎ捨てて、神門(みと)のワレメを弄り回しながら、何度も腰を跳ね上げた。
やがて、腹の奥底から暖かいもの…
いや、今は、熱いと言った方が良いものが込み上げてくる。
同時に、真っ白になりゆく視界の先から、爽やかな笑顔を傾けるあの人が近づいて来る。
『平次さん…』
志津が、薄れゆく意識の中で呼びかけると、あの人は両腕を広げて待ち受ける。
志津は、その腕の中に思い切り飛び込んで行き…
次の刹那…
『アァァァァーッ!』
思い切り腰を跳ねあげた状態で、金縛りにあったように制止する。
しかし…
『アッ…』
我に返った志津は、思い切り赤面した。
神門(みと)が漏らしたようにぐしょ濡れになる事はもう知っている。
だからこそ、緋袴も、裾よけや腰布も脱ぎ捨てているのだが…
この日は…
本当に、噴水が噴き出すように放尿してしまったのだ。
志津は、不安気に当たりをキョロキョロ見回し、誰もいない事を知ると、安堵したように、懐紙で尿塗れになった神門(みと)のワレメを拭った。
どうしよう…
こんな所を見られてしまったら…
平次さんに、嫌われてしまうかな…
志津は、神門(みと)のワレメを濡らす尿を拭いながら、目を瞑る。
瞼の奥の平次は、そんな志津を慰めるように、一層、爽やかな笑みを浮かべて見せた。
『平次さん…』
志津もまた、瞼の少年に笑みを返すと、また、地面に寝そべって、股間を指先で弄り出す。
志津の身体(からだ)を求めて訪れる男達にそうされるのは、とても恥ずかしくて、怖くて、痛いのに…
彼を思いながらそうしていると…
何故か、気持ち良く、安らかになり…
宙に浮かび上がるような心は、とても自由になり、決して出る事の許されぬ社(やしろ)の外、遥か彼方まで飛んで行けそうな気がして来る。
あの人と行く美しい場所とは、どんな所なのかしら…
あの人とする良い事って、どんな事なのだろう…志津はまた、同じ事を思いながら、もう片方の手で、まだ腕を逆さにしたような小さな乳房を弄り出す。
何故か、股間だけではなく、胸にもムズムズとした疼きを感じ始めてきたからである。
『アァァ…アァァ…アァァ…』
乳房を揉み、神門(みと)のワレメを弄りながら、再び喘ぎ声を漏らし出す。
『アンッ…アンッ…アンッ…』
次第に全身が火照らせ、参道の奥を潤ませながら、また、あの人に思いを馳せる。
『アンッ…アンッ…アァァ…平次さん…』
あの人に、お会いしたい…
あの人と、お会いして…
あの人と、素敵な場所に行きたい…
それで…
あの人と…
しかし…
あの人とする良い事…
あの人とする楽しい事…
どのような事をするのだろう…
どのようにして過ごすのだろう…
ただ、脳裏の笑顔だけが眩しく、そこから先がどうしても思い浮かばず考え込んでいると…
『これ…』
少しずつ帯紐を緩ませ、襟がはだけ、今やすっかり剥き出された小さな乳房を揉む手に、何かが触れた。
それは、懐深く閉まっていた小さな錦の巾着に入れられたもの…
『御弾(おはじき)…』
志津は、神門(みと)のワレメを弄る指先の動きを止めぬまま、薄紅に紅潮させた顔の前に巾着をぶら下げると、ニッコリ笑った。
思い出されるのは、家で大切にされてきた日々…
毎日のように、父や母、兄達や姉達と御弾(おはじき)をして遊んだ時の事…
あの綺麗な硝子玉を指先で弾くと、胸の中でも何かが弾けるような気がして、とても楽しかった…
志津は、家族と遊ぶ中でも、御弾(おはじき)が一番好きであった。
志津の脳裏の中で、笑顔だけが眩しかったあの人が、漸く次の動きを見せ始める。
社(やしろ)に奉幣される事に決まった時、両親が特別に買い求めてくれた御弾(おはじき)…
まだ、一度も誰とも遊んだ事のない御弾(おはじき)を、あの人の指先が初めて弾いて見せる。
側では、志津が手を合わせ、目を輝かせながら、弾かれた硝子玉の行先を見つめる。
硝子玉は、見事に狙いの玉に当てて、心地よい音を立てる。
思わず志津があの人の顔を見上げると、あの人も輝くような眼差しで見つめ返す。
あの弾かれた硝子玉と当てられた硝子玉のように、二人の眼差しも重なり合う。
次第に高鳴る鼓動の音…
その時…
『あっ、君は…』
不意に、聞き覚えのある声が、耳の奥底に響いて来た。
『あっ、貴方は…』
志津は、身体(からだ)を起こして声の主を見返すと、忽ち胸の奥底が熱くなるのを覚えた。
そこに立っていたのは、もう一度会いたいと、ずっと待ち焦がれていた少年の姿だったからである。
再会する互いの目を見つめ合う二人の間に、沈黙の時が止まる。
それが、どれ程の時であったのかはわからない。
一瞬であったのか…
四半時近く過ぎていたのか…
ただ、志津は永遠にも思われた時の中…
あれだけまちこがれた少年を前に、何を話し、どう声をかけて良いか分からず、只々、胸だけが熱くなり、鼓動だけが高鳴り続けた。
最初に口を開いたのは、少年の方であった。
『アッ…』
少年は、改めて志津の姿に目を留めると、思わず声をあげ、慌てて顔を背けた。
『すまん!』
『えっ?』
漸く金縛りが解けたように我に返った志津もまた、顔を真っ赤に、片手で胸を抱き、片手で股間を抑えると、慌てて後ろを向いて蹲った。
白衣こそ羽織っているものの…
帯紐は落ち、前は完全にはだけ、緋袴どころか裾よけも腰布もつけてない志津は、殆ど丸裸同然である事に、今更気づいたからである。
『本当に、すまん…』
少年は、顔を背けたまま、申し訳なさそうにもう一度言うと、そのまま駆け出して行こうとした。
『あっ…待って…』
志津は、何とか白衣の前だけは重ねて身体(からだ)を大いに隠すと、慌てて少年を呼び止めた。
『あ…あの…あの…』
志津は、何とか後ろを向いたまま立ち止まる少年の背中を前に、暫し口籠らせると…
『この前は、ありがとうございました…あの…本当に…みんな、喜んでました。』
『みんな?あの薬、仲間達にも分けてやったのか?』
少年は鸚鵡返しに呟くと、漸く少し顔をこちらに振り向けた。
『はい!みんな、あの薬はよく効くって…痛みが引くだけでなくて…何か、とても心地良くなって…懐かしいお父様やお兄様と過ごした時の事が思い出されるって…』
『でも…それじゃあ、あれっぽっちの薬、すぐに無くなってしまっただろう…』
『はい。でも…その…みんなも、とても痛がっていたから…痛くて辛いのは、同じですから。』
志津が、尚も口籠らせて言いかけると…
『一心の志だ!』
少年は、忽ち目を輝かせて声を上げると、志津の方を振り返った。
『一心の…志?』
志津が鸚鵡返しに首を傾げると…
『そうだよ!僅かなものでも独り占めせず、みんなで分かち合う志だよ!そうか!そうか!君には一心の志がある!僕達と同じ心を持つ同心何だ!』
少年は更に声をあげると、志津の身体(からだ)をがっしりと抱きしめた。
『それで…その…今日も痛むのか?その…』
やがて、志津が着物を着直し、二人は大木を挟んで背中合わせに腰掛けると、少年は遠慮がちに口籠らせて尋ねた。
『いいえ…今日は…拔幣されてもう一月、そろそろ慣れて来ました…』
『でも…俺の仲間の兎達で、君よりだいぶ大きくなった子でも、終わった後、痛がって泣き止まぬ子もいる。まして、君はそんな小さな身体(からだ)で、その…まだ、神門(みと)に発芽すら…』
『それでも、私は十二…もう、御祭神様も御目覚めになられました。それに…』
『それに…?』
『痛みを鎮める術を知りました。』
『痛みを鎮める術?』
『えっと、あの…あの…』
志津はそこまで言いかけると、先程まで一人でしていた事を思い出し、頬を真っ赤に俯いた。
少年は、志津の方に振り向けた顔を一瞬傾げて見せたが、志津が恥ずかしそうに俯いたまま口を閉ざすのを見ると、それ以上聞こうとはせず…
『これ、持ってお行き…』
少年は、また、あの薬の入った貝殻の薬箱を差し出した。
『あ…ありがとうございます!これでまた、みんなが喜びます!』
志津が貝殻の薬箱を抱きしめて言うと…
『君は、本当に、根っからの同心なんだね。どんな時も、片時も仲間達の事を忘れない…』
少年は、如何にも感心したと言うように、何度も何度も頷いた。
そして…
『だって…みんな、私が拔幣されてばかりの頃から優しく、仲良くしてくださり…今では、姉妹と同じですもの…』
『成る程、君達は姉妹か…それを言うなら、俺達兎も、兄妹姉弟(きょうだい)だからな…
だのに…すまん…』
『えっ?』
『そうと知っていれば、もっも薬を持ってきてやったのに…今日は、君がいる事すら知らなかったから…』
『そんな…これ一つだけでも、大事に使えば、三日はみんなの痛みが治まります。』
『三日だなんて…君達は、今、何人いるの?一人に一箱と言いたいけど…薬じたいが、今は少ししかない。それでも、三人で一箱ずつくらいなら、もって来てあげられる。そうすれば…十日…いや、半月くらいは持つだろう。』
『えっ!それでは…』
『明日もおいで!俺、此処で待っているから!』
少年が大木越しに背中を向けたまま言うと…
『わあっ!本当にございますか!』
志津は、忽ち目を輝かせて、少年の方を振り返った。
『明日だけじゃない。薬は月一で手に入る。そうしたら…できるだけ、一人に一箱用意してあげよう。』
平次もまた振り返って言う言葉に、志津は更に胸をときめかせる。
また、少年と会えるのだ。
明日も…
これから先も…
月に一度、同じ日に…
『あの…』
志津は、少年が立ち去ろうとすると、今一度、呼び止め…
『私は、志津。』
『俺は…』
『平次さん!』
少年が名乗るよりも早く、その名を口にした。
すると…
『俺の名を知ってるのか?』
『あーっ!やはり、貴方は冨美姉様の仰られてらした、平次さんでらしたのね!』
『冨美…さん…』
『はい!冨美姉様、仰られてました。平次さんは、生まれて初めて、お父様やお兄様達以外で、心暖まる男の方であられたと…』
『そうか…冨美さんがそのように…』
平次は、冨美の名を耳にして、一瞬、悲しげに表情を曇らせて俯いたが…
『平次さん、どうなされたのですか?』
『いや、何でもない。それで、冨美さんは今どうして?元気でいるのか?』
『はい。とても優しくて、親切で…私達、いつも良くして頂いています。』
『そうか、それは良かった。』
志津が満面の笑みで話すのを聞くと、また、あの爽やかな笑みを浮かべて大きく頷いた。
『それじゃあ、明日また此処で…』
『はい!』
平次が去って行くと、志津はやや暫くの間、その場に立ち尽くし、彼が消えた方を見つめていた。
胸元にまた、手を忍ばせる。
先のように、幼い乳房を弄る為ではない。
疼きは、とっくに治まっていた。
むしろ、あの薬を塗った時、彼の笑顔を思い出して神門(みと)のワレメを弄った時と同じ暖かなものが込み上げて来るのを感じる。
ただ、いつものように腹の奥底からではなく、胸の奥深くから…
それは、鼓動の響きと共に、次第に全身へと広がって行く。
ふと、また、懐にしまった小さな巾着袋に手が触れる。
結局、御弾(おはじき)はしなかったなと、思う。
でも、良いのだ…
今日できなくても…
明日も訪れれば…
一月後はずっと先まで訪れる。
明日…
今まで、思いを馳せてみた事など一度もない。
明日の訪れが怖かったから…
明日に待ち受けるものと言えば、欲情した眼差しの前で着物を剥ぎ取られ…
剥き出しに晒された小さな身体(からだ)を貪ろうと、群がり迫る野獣のような男達…
明日など来なければ良いと思っていた…
永遠に…
でも…
今は違う。
明日は、あの人と御弾(おはじき)をしよう…
錦の巾着を高く掲げて見つめるとと、脳裏の奥で、彼が弾く硝子玉が志津の硝子玉を射止めて、心地良い響きを立てる。
早く来ないかな…
明日が…
早く会いたいな…
あの人に…
彼と交わした小さな約束が、明日へと、遥か未来へと、心を誘ってくれるのを感じていた。