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水天宮の祭神って

2005-03-03 23:57:37 | 東京散歩
 東京都中央区日本橋蛎殻町にある水天宮に行ってきました。
 水天宮は安産の神様として有名で、本日も安産祈願にお参りに来る妊婦さんや夫婦が大勢居たんですよ。
 もぉホント、参拝者の9割は妊婦さん・・・。
 噂に聞いていたが、ホントに安産・子授けの神様としてめちゃくちゃ繁盛してるなぁ・・・
 と思ったら、どうやら本日は「戌の日」で、安産祈祷の受付っていうのをやっていたからなんですねぇ・・・。
 ホント、場違いな人が、場違いな日に来ちゃった感じしたので、写真撮ってものの2分ほどで撤収いたしました。

 さて、水天宮は安産・子授けの神様として有名なのですが、そもそも何で安産・子授けの神様なのか????って疑問に思ったので祭神について調べてみました。

 水天宮のはじまりというのは
 水天宮の発祥は、今から700年前にさかのぼります。
 平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、ついに壇ノ浦(山口県下関市)の合戦で、源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれ、母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。時に1185年、安徳天皇8歳のことでした。
 お仕えしていた官女の按察使局(あぜちのつぼね)は、ひとり源氏の追っ手を逃れ、九州は筑後川に辿り着きました。局も壇ノ浦で共に入水しようとしたのですが、二位の尼に止められ、お前は生きて、われらの霊を慰めよ、との命を受けたのでした。
 局は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送りました。これが今に続く水天宮の起源と伝えられています。
 その後、有馬忠頼公により、現在の久留米市瀬下町に7000坪の敷地が寄進され、豪壮な社殿が造られました。
 安徳天皇は御年わずか8歳で、犠牲となって海中に沈まれましたが、万民を救う尊い神慮によるとされ、大きな信仰を集めました。

 で、祭神は「天之御中主神」
 と、「安徳天皇」「二位の尼」らしいです。

 まぁ水天宮の起源が上記の所以ならば、「安徳天皇」は分かるとしても、とてもじゃないが安産とは関係なさそう。不幸な死に方してるから御霊信仰の類いなら分かるが、安産はねェだろ。

 で??天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)って何よ???
 そもそもこの水天宮の起源と安産って調べたら繋がってなくて、何も関係ないのか???
 いや、きっとこの「天之御中主神」っていう神様が関係してるに違いない・・・。
 ってことで天之御中主神について調べてみました。

 天之御中主神・・・・造化三神の一柱(神世七代の一神)。
 古事記によると「天と地がはじめて別れたときに、高天原に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神が生まれた。天之御中主神は天の中心にある最高の神であり、高御産巣日神は天地を生成する神、神産巣日神は万物を生み出す霊力を持った神である・・・。

 と書いてあります。
 何か宇宙の根源神であるような書き方されててスゴい神様のように思われるけど、でも、結局、言い方変えたら
 とりあえず古事記書くのに創世記を数行書く上でちゃちゃっと神様出しときますか・・・・
 その程度の扱いの神様でしょ・・・・観念的な神って存在だし

 で?????
 何で安産よ?????????

 調べたけど分からなかったので、情報お待ちしております(^_^;

 水天宮の場所はココです。


 ※追記=その後、S先生からメールを頂き、水天宮が安産の神様として有名になったのは

 昔、水天宮の社殿の前の鈴を鳴らすための「鈴の緒(さらし)」のお下がりを貰った妊婦が、そのさらしを腹帯にして安産を祈ったら、とても楽な安産が出来たそうで、その話を聞いた人々の間で評判になり、妊婦たちが競って水天宮の「鈴の緒」のお下がりを欲しがったのが始まりとか・・・
 他愛もない偶然の出来事が、縁起担ぎのきっかけになったみたいで、祭神には関係ないみたいでもありますね。

 という情報を頂きました。感謝!!!