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仙台のバーで毎年秋に開催している写真展の作品とキャプションです

スコットランド紀行‐初めての海外ひとり旅 ‐

2022-05-22 00:02:14 | 日記

スコットランドひとり旅 2011年08月08日 
イギリスの北部・スコットランドにやってきている。前々から興味の尽きない所だが、海外旅行経験がほとんどなく、言葉の壁もある私としては二の足を踏んでいた。 
たまたま去年あたりからスコットランドに一人旅した方の体験談を聞く機会があり、ノウハウを教えてもらったので思い切って初めての海外一人旅に出ることにした。楽しみ半分、不安半分。どんな珍道中になることか?(ドキドキ…。(?_?)) 

羽田から15時間かけてエディンバラに到着。入国審査を終えて荷物を受け取ろうと…??私のスーツケースが出てこない。ときどきあるトラブルとは聞いていたが最初から遭遇するとは…。係員に「指差し英会話」の例文を示しながら身振り手振りで必死に訴える。何とか通じて手配してくれたけど、乗り継ぎのパリ空港からの次の便を待ってエディンバラ空港に4時間足止めをくうことになった。


2 旅のテーマ 
まずはエディンバラ空港から西に大西洋側の島をめざす。今回の旅のテーマはスコッチウイスキーの本場を訪ねること。例えばアイラモルトと呼ばれるウイスキーにはきわめて個性的な香り-ピート臭に潮風や海藻が溶け込んだ香り-があり、産地の風土が強烈に反映している。そこで現地を訪ねることにより、スコッチウイスキーを生み出した風土を実感したいという気持ちが私をスコットランドに向かわせた。 
写真はアイラモルトウイスキーの一つ「ボウモア」

 

3 西へ移動 2011年08月09日
アイラ島目指し西へ向かう途中アラン島を経由。ここでブロディック城を見学。西洋の城を初めて直に見たがホントに絵葉書やカレンダーの世界そのもの。日本の城は戦うことを想定して作られているが、こちらのは贅を尽くしたお屋敷って感じ。建物もそうだが庭園がすばらしく手入れされていて美しい。城内の鮮やかな植物を撮影してみた(コボウズオトギリとヨーロピアンフロッグピット?)。

 

 


4 アラン島からキンタイア半島へ 
ブロディック城のあるアラン島にも一つだけウイスキー蒸留所がある。せっかくなのでちょっと寄るつもりで入っていったところファクトリー見学を勧められ、1時間余りかかってしまった(ところが当然のことながら説明はすべて英語で1割位しか解らず終い)。今日はさらに船を乗り継いで西岸のキンタイア半島まで渡らなくてはならない。 
写真はアラン島のアランウイスキー蒸留所。ここはアランの山ふところに抱かれる美しいロケーション。

 


5 宿探し 
案の定予定していた3時の船便は間に合わず、次の5時に乗ろうと港へ向かいフェリーの車列にならんでホッと一息。と…ところが対岸からやってきたフェリーは物凄くちっちゃな船で、な、なんと私の3台前で満車に。次のフェリーは最終の6時半だけ。半島まで渡って今夜7時半から宿探しをしなくてはならない。大丈夫かな? 

2時間半後、私はキンタイアの街のパブの扉をたたいた。カウンターにズラーっと座ったおじさま方が突然の珍客である東洋人を見る。「I'm looking for hotel tonight」。『指差し英会話』片手に私は話すのだった。。 
写真は私の乗れなかった5時のフェリーとやっと乗れた6時半のフェリー(同じ船です)。

 

6 旅人に親切なスコットランドの人々 
 今回の旅も例によって(とはいえ国外では初めてだが)行き当たりばったり風の吹くまま気の向くまま、先々で宿をとりながら回る予定。B&Bやリーズナブルなホテルはスコットランドあちこちに点在している。電話での予約が会話の問題で難しいので直接飛び込んで交渉することにしている(海外に旅慣れた知人の入れ知恵)。 
そういう点では余裕をもって宿泊地に到着したいのだが、なかなか思い通りにはいかない。 

キンタイアのパブのおじさんたちはきわめて親切だった。5キロ先のホテルに電話をかけて予約、値段の交渉までしてくれて、手書きの地図を私にくれた。やれやれ、ホッと一安心。半島の南東部キャラディホテルに宿泊。午後8時半を過ぎてのチェックインだったが、空はまだ明るい。日本の夏の6時半位。スコットランドの夏の日は長い、よかった(^^;)。 
スコットランドの人はちょっと見、控えめな人が多いが、困っていたら親切にサポートしてくれる。私のような一人旅異邦人には行動しやすい国だ。
写真はホテルへ向かうキンタイア半島の田舎道で会った羊たち、夜の8時頃。下の写真はやっとたどり着いたキャラディホテル。

 


7 キャンベルタウンを経由  2011年08月10日
キンタイア半島のほぼ先端がキャンベルタウン。「Spring Bank」の蒸留所のある街だ。ここはアイルランドに最も近い港町で歴史あるたたずまい―まさにイギリスを象徴している街並みに感動。蔵出しウイスキーを一本買って移動する。 
半島を先ほどと反対側に、つまり西岸を1時間ほど北上した町にアイラ島へのフェリー発着場があった。雨の降るなか約2時間かけてアイラ島へ。 
写真は「Spring Bank」蒸留所。販売所で量り売りウイスキーをボトルに詰めてもらっているところ(私もボトルに入れました)


8 いよいよアイラ島へ
ウイスキー好きにとってアイラモルトはとても有名。島には8つの蒸留所があるが、どれも個性的なテイストをもち、すべてが島の自然環境と密接に結びついてそれぞれのテイストを育んでいる。自然の力で発酵・醸造・熟成を行うウイスキーはまさに神秘の力。そんな魔力がアイラ島には宿っている。 
霧の向こうにぼんやりと見えた島影はまさに神々しいベールに包まれていた。島を取り巻く空気感がなぜか‥この一帯のみ独特のウエットさを醸し出している。 
さあ、いよいよアイラに上陸だ。

写真は霧の中にあらわれたアイラの島影。真ん中の写真はアイラ島内にまっすぐ伸びる道。下の写真はアイラ島の風に揺れる小麦の穂。


9 アイラモルトを育むもの(1)   
アイラモルトの特徴は海からの影響を色濃く受けている点にあり、8つの蒸留所はすべて海に関わった所に建てられている。島には外海や湾、入江など変化に富んだエリアがあり、それぞれの地形を生かした蒸留所が存在する。アードベック、ラガヴーリン、ラフロイグは南の海岸線に、ボウモアは中央部湾内東側に、対岸の西側にはブルイックラディ、さらに西海岸から入江を入った湿地帯にキルホーマン、また北東部ジュラ島との海峡沿いにカリラとブナハブンといった具合。どれも地形の特性を生かした素晴らしいロケーションだが、対岸にジュラ島を配した海峡に位置するカリラ蒸留所は、壮大なジュラの山々と潮の流れが一体になったエリアに建てられており感動を禁じ得なかった。 
写真はカリラ蒸留所とラガブーリン蒸留所、ラフロイグ蒸留所の中で日の丸をもってはしゃぐ私。

 


10 アイラモルトを育むもの(2)
ウイスキー作りには澄んだ淡水が欠かせないけれども、加えて塩水や藻類、魚等々の有機物をもつ海を関わらせることでこの島では独特の風味を醸し出しているのだろう。 
島のローカル空港へむかう道路脇に黒い土を掘っくりかえした箇所を見つけた。確証はないがきっとピート層(泥炭)に違いない。冷涼な気候は枯れた植物を腐らせることなく地中に堆積させる。モイストな空気は潮風と混ざり合って土壌を包み込み、やがてピートを醸成させていく。海の香りを含んだピートを燃やし大麦を乾燥させることでアルコール発酵の条件は整う。これぞまさにアイラモルトウイスキーのテイストを決めるポイント。 
アイラに足を運んでアイラモルトを生み出す風土を目の当たりに体感することができた。 
写真は道路脇で見つけたピートらしき土。下の写真は対岸のブルイックラディ蒸留所辺りから見たボウモアタウン(煙突が蒸留所)。

 


11 アイラの夜は街のパブで‥ 
なぜか? 帰りのフェリーの予約が混んでいてアイラ島には一泊しかできなかった。島の中心地ボウモアタウンのボウモアホテルに宿泊。ここは1Fがパブになっている。一夜限りのアイラの夜、当然飲みにいく。 
実は夕方チェックイン後、直ちにむかったボウモア蒸留所でのテイスティングでにすでに3杯ほど飲んでいたので、その酔った勢いでホテル1Fのパブに突撃(この夜初めての外国一人飲みなのでドキドキ)。折りしも大型テレビでスコットランド対デンマークのサッカーを中継しており一緒に応援した。隣のお客さんにスコットランドチームは強いのか?と尋ねると監督が変わったばかりでイマイチらしい(←この会話のやりとりだけで筆談も交えて5分位かかってる)。この試合は2-1でスコットランドの勝ち。 
写真はボウモア蒸留所とボウモアホテルのバーでのひとコマ。

 


12 パブのつづき
島に電気工事でいらしてた方々や休暇で旅行中のご夫婦と辞書を片手にカタコト英会話。日本から来たというと、やっぱり東日本大震災のことは皆さん心配されていた。あと…日本の印象をうかがうと、口々にテクノロジーの国だと言っていた(後日他の街でも同様)。 
持参した日本地図を広げて地震があったエリアや私の住んでいる仙台を説明。SDカードに入れていった津波で被害を受けた街の写真や、私が旅して写した日本の風景などをみていただき何とかコミュニケーションをはかることができた。言葉の壁がある私に皆さん根気よく付き合っていただき感謝。 

アイラ島はウイスキー党には人気の島らしく、観光でいらした方の多くが蒸留所巡りを楽しんでいるようだ。日本人の旅行者も比較的多いと思う。スコットランド滞在中ご同胞を見かけることはほとんどなかったが、この小さな島では2~3回日本語で会話しているグループに出会った。

写真はライトアップされた夜のボウモア蒸留所とボウモアタウンのシンボル「ラウンドチャーチ」。


13 ビュート島の町ロッセーへ 2011年08月12日    
残念なから1泊でアイラを後にし、その後はキンタイア半島の付け根にあるウエストロッホ、続いてビュート島のロッセイと泊まった。 
中でもロッセイは街並みが美しく、可愛らしいお城を中心にした港町だった。ウエストロッホホテルの朝食で隣席にいらしたご婦人がビュート島の方で「ステキなところだから行ってごらん」と言われやって来た次第(予定のない私の旅の気楽さ(^o^))。

写真はビュート島のロッセイ城とトリニティ教会前で遊ぶ子供たち、島内で食べたエビのケチャップ煮。

 

14 ロッセーのパブで
そうそう・・パブではステキなことがあった。ロビンという地元のミュージシャンがギターライブをやっていたのだが、珍客である私が「日本から来た」というと、わざわざ家にいったん帰ってバクパイプをもってきて演奏してくれたのだ。スコッチウイスキーを飲みながらスコットランド民謡に耳を傾けることができるなんて!至福の一夜v(^_^)v。

ビュート島近辺は大西洋がスコットランド西岸と接するエリアで、外洋からの入江が深く内陸部まで入り込んでいる。キンタイアのようにメインランドと繋がっているものは半島となり、ビュートのように水路で切れてしまったものは島となる。奥へいくほど入り江は狭くなり、ビュート島に渡るフェリーは乗船時間僅か5分でまるで川の渡しのようだった。 

翌日はスコットランドのメインランド(ブリテン島)に戻り、第2の都市グラスゴーに向かった。

 

15 グラスゴーへ 2011年08月13日   
今回の旅は島や半島ばかりを巡っていたので、グラスゴーにやってきたときは久々の都会(といっても海外の都市にやってくるのは実は初めて)に不安と期待半々。思いっきり都会の中心部に泊まりたかったのでセントラル駅の近くに車を停めて歩いて宿探し。3軒目のホテルにやっと空きを見つけチェックイン。地方ではどこでも大抵すぐ泊まれたが、やはり都会は大変だった。

下の写真はビュート島へのフェリー乗り場で会ったオランダからいらした高校教師の方々。

 

16 グラスゴーのオーヘントッシャン蒸留所
グラスゴー大聖堂まで散歩して、近郊のオーヘントッシャン蒸留所を訪ねる。ローランドエリアのウイスキー蒸留所としては日本でもポピュラーな存在。製造工程を見学して、オリジナルの原酒を買いたい旨つたえたら、「樽から自分ですくってください」 とのこと。カスクは200mlの小瓶2本で7000円だった。

 

17 グラスゴーについて
スコットランドの二大都市はグラスゴーと首都エディンバラ。今回の旅では最後の3泊はエディンバラで過ごそうと決めていた。ビュート島で次はどうしようか?と考えたとき、やはりグラスゴーに一晩だけでも泊まって、後でエディンバラと二大都市比較してみることにした。 
両都市はよく大阪と京都に例えられる。グラスゴーは商工業で栄え、エディンバラは古都の街。行ってみると納得。私の泊まったグラスゴーのセントラル駅周辺は活気はあるが、正直いって雑然とした感は否めない。ちょうど大阪の梅田界隈に似た雰囲気。ただ日本との違いは、ビルが古く黒ずんでいてそれ自体歴史的なたたずまいをもっていること。きっと日本のように外装補修をしたり、比較的短い期間で建て替えしたりすることがないのだろう。 
写真はグラスゴー市街の歴史的たたずまい

 


18 翌朝の散歩 2011年08月14日  
翌朝に朝食がてら駅周辺を散歩して写真を撮っていると、朝帰りらしい若者二人がケンタッキーフライドチキンの中からガラス越しに手を振ってくれた。昨日の大聖堂への散歩のときも渋滞した車の中から親指を立てグーと合図されてしまった。ここは陽気な若者の多い街だ(単に東洋人の私がキョロキョロして目立つだけかも)。 下の写真はグラスゴー大学。

 


19 エディンバラで宿探し 
ロッセイのパブで飲んだとき「エディンバラは今フェスティバルの最中だから街は混雑しでるよ」と教えられ、早めにエディンバラに到着して宿探しを始めたが、7軒連続で「no vacancies」。中心部に近いエリアをあきらめ、一駅西に行ったヘイマーケット駅周辺に宿が集中してることを事前に調べてていたので、そちらに回ったら3軒目でやっと空き室を見つけたマレーフィールドホテルにチェックイン。 
写真はやっと空き部屋をみつけ宿泊できたMurray Field Hotelと翌朝のイングリッシュブレックファースト。

 

20 レンタカーを返してホッと一息
今日でレンタカーを返して、残り3連泊はバスや徒歩でエディンバラ市内を回る予定なので拠点となる宿は何としても必要。私は必死にホテルを探したのでした。 
日本の海外ホテル予約サイトも携帯に登録してきたが、調べてみるとフェスティバルのせいか、空いているホテルは非常に高いところばかり。概して日本からホテルを取ると価格は高め。まあグレードの良いところが多いこともあるだろうが、今回の旅はすべて現地飛び込みで探したため費用は安くあがった(朝食付きで一泊\5000~8000位)。 
荷物をマレーフィールドホテルに置いて、レンタカーを返却し終わるとホッと肩の荷がおりた気分。さあこれからのんびり街を歩き回わるぞ(車は便利だけど運転の下手な私は疲れる‥)。 
写真はエディンバラ城。


21 二階建ての街 2011年08月15日   
エディンバラの市街地中心部は二階建ての構造になっている。 
エディンバラ城の地形を説明すると、尾根の西先端の最も高くなった所に城が建てられていて、さらに西は断崖絶壁。反対に城の東側には尾根筋がゆるやかに下っており、それに沿って両側は急斜面の谷。谷底を挟んでアップした台地になっている。国立美術館の中世画に城の西崖下が池のようになっているものがあったので、昔は谷が堀か川だったのかもしれない。 
城から東へ伸びる尾根筋と直角に交差するように南北の台地へ何本もの巨大な橋がかけられており、それが街の二階部分を形作っている。つまり尾根筋と橋が街の二階になり谷底が一階。
写真は橋の上から見下ろした写真。

 


22 二階建ての街(2)
橋と言っても両側に沿ってビルがずらーっと並んでいるので、そこが橋であることが一見わからない感じで、ただのストリートに見える。 
よくみるとビルは谷底に建てられていて、例えば20階建てのビルの10階が橋の高さで1階が谷底といった具合。こういうビルが橋に沿ってずらーっと建っている。 
エディンバラ城から東に伸びる2階部分の尾根筋がロイヤルマイルと呼ばれる観光のメインルート。車道兼広場になっていて、ちょうどフェスティバルの大道芸やビジュアルバンド演奏がおこなわれていた。 
こんな構造の街は日本では見たことがなく、興味深い私は、尾根や橋から谷底へ降りたり逆に登ったりを繰り返して街歩きを楽しんでいた。ちなみに1階部分は路地っぽい隠れ家的パブやライブハウス、倉庫になっていた。 
写真は橋の下から見上げた写真。

 


23 観光バス 
エディンバラはスコットランドの首都で日本で言えば京都のような街。中世の建造物が建ち並び、テレビや写真でしか見たことのない私には目に映るものすべてが新鮮で興味深い。1995年に世界文化遺産に指定されている。 
まずは見所を一周りしようと観光バスに。ほぼ10分間隔で出ていて一度チケットを買うと24時間乗り降り自由なのだが、とりあえず全体を知るため1時間かけて1周した。 
この日は晴天に恵まれ、二階建てバスのオープンルーフ席に座りイヤホンで日本語解説を聞きながら風に吹かれているとまさに異郷にいる感覚が強く湧いてくる。 
エディンバラは北東にフォース湾を望む高台に位置しているので、バスが高台(城からの尾根筋-ロイヤルマイル)に上がると石畳の道の遥か向こうに深い青い海が見えた。


24 エディンバラ市内を飛ぶ鳥
不思議なことだが、この街を飛ぶ鳥はなぜあんなに美しいのだろう?石造りのビル群やとんがり帽子の寺院、モスクようなの半円形の屋根によって区切られた空を、翼を広げてスイスイ横切っていくツバメらが、ほんとうに格好よく美しく見えた。何か‥ピタッとはまっているというか絵になるというか‥。 観光バス2Fのオープンルーフ席で何も考えずぼけーっと空を見上げる私。

バスがちょうど1周し終える頃太陽がやっと西に傾いてきた。時刻は午後7時。緯度の高いスコットランドの夏の陽はなかなか沈まない。日没は9時前。本日最後の観光バスがまもなく出発する。私は夕日に包まれた古都エディンバラの街をもう一度見るために最終バスのステップを登った。写真はエディンバラの歴史的たたずまいを美しく飛ぶ鳥と、ウェバリー駅からロイヤルマイルの丘を望む。

 


25 エディンバラ城 2011年08月16日  
スコットランドの夏の天気は安定しない。しかも雨が多い。一日中降り続くというよりも、たいていは時間の経過とともに天気は急変する。日の射していた青空が僅か5分でザーザー降りの雨になったりする。それも一日のうちで何度も変化する猫の目天気。 

ところがエディンバラ城を訪ねた日は朝から晴れ渡る清々しい一日だった。市内で最も高台にある城からは街全体がすべて見渡せる。ニュータウンと呼ばれる比較的新しい(と言っても18世紀にできた)エリアは長方形に区切られた街区が整然と広がっている。切れ目なく続く街並みの遥か先に北海の青波が映える。
写真は城からエディンバラの街を望んだもの。向こうに見える海が北海へとつながるフォース湾

 

26 イングランドとの戦い
エディンバラ城の歴史はイングランドとの攻防を抜きには語れない。スコットランド側の砦となったこの城は何度も破壊と再建を繰り返している。血を流す戦いが繰り広げられた後、スコットランドの女王メアリーはこの城で一人の男の子を生んだ。この子の存在はスコットランド人にとって特別。彼は1603年イングランドとスコットランド両方の王となるジェームズⅠ世だからだ。一時にせよスコットランド出身の王がイングランドも治めることになったのだから誇り高き出来事だろう。 
この夜エディンバラのパブでこの話題に触れた私に「あの国が力ずくで血を流しても奪いとれなかったスコットランド、その王が一滴の血も流さず平和に両国の王になったんだ」と嬉しそうに語ったお客さんの姿があった。 
写真は城内の大砲の前で、なぜか…耳をふさぐ坊や。


27 スコットランドの誉れ
スコットランド人にとっての誇りの象徴が「スコットランドの誉」と呼ばれる三種の神器。代々王となる者に受け継がれてきた冠と剣と笏(シャク-持ち手の付いた棒)である。 
これらは18世紀初頭スコットランドがイングランドと統合された際エディンバラ城の一室に封印されていたが、130年後詩人ウォルター・スコットらによって開封され現在はエディンバラ城見学の目玉となっている。 
展示室入口はさすがに行列ができており、暫く並んで進んだところにガラスケースに入った現物があった。王冠など装飾の度合いはそれほど豪華なものではなく、むしろシックな印象。 
かつて何度もイングランドの侵攻を受け、現在は連合体として統合されてしまったスコットランドの人々にとって、この三種の神器への思い入れは相当強いものなのだろう。ガラスケースの回りを何度もまわって丹念に見ている人々の姿があった。私もつられて(?)二周ほどしてしまった。 
写真は足の長いアコーディオン弾きの方(バックはエジンバラ城)と城壁から眺めたエジンバラのニュータウン(遥かにフォース湾)。

 

 

 

28 路上パフォーマンス
城を出てロイヤルマイルと呼ばれる緩やかな下り坂をぶらぶら歩く。折しもミニタリータトゥフェスティバルが開かれており、路上パフォーマンスや大道芸などがあちこちで催され黒山の人だかりで賑わっていた。 
ロイヤルマイルは歩行者天国ではなく大半は車道になっているのだが、路上でのパフォーマンスには概ね寛容であるようだ。この国では基本的に自己責任という考えが浸透しているせいか、例えば信号機が赤でも守らないでサッサと渡っていく人は日本より圧倒的に多い。そんな訳でフェスティバル会場周辺にもポリスマンらしい人影はほとんど見かけなかった。 
写真はフェスティバルの路上パフォーマンス風景 (生きてますヨ)


29 エディンバラの日本料理店    
エディンバラ城を見学しロイヤルマイル(城からの参道)を戻りがてらぶらぶら歩いていたら日本料理店「TANG'S」を発見。丸い看板に日本語で「ごはん処」と書いてある。この店はガイドブックで知ってはいたが偶然出くわすとは…。ちょうど夕食どきなので寄っていくことにする。 
メニューを開く。ビールを飲もうとみると日本のものだけ。とりあえずアサヒを頼む。食事は寿司や天ぷら、丼物といった定番メニューが並んでいるが、ふと‥手巻き寿司のところをみるとネッシー巻きというのがあるではないか。いわずと知られたネッシーの住む(と伝えられる)ネス湖はスコットランドの北部にある。冗談めかして入れたメニューだろうけど中身の記述を読むと、海老天とキュウリを手巻きにして上にアボカドとトビコのマヨネーズあえを乗っけたものらしい。 
私はオーソドックスにサバの塩焼き定食を注文。食べてみると全くフツウの塩焼きだった、ただひとつ‥赤とうがらしの輪切りがサバにパラパラと乗っかってることを除いては(^_^;)。

 

30 イタリア人の観光客と
まもなく隣席に3人連れのグループが座ってうちの1人の女性と目が合った。とっさに「日本食はお好きですか?」と尋ねると「Yes!」。それから仲良くなっていろんなことを聞かれた。「この店の料理は日本のものと違いがあるか?」とか「日本人は毎日寿司や天ぷらを食べているの?」など…。 
3人はイタリアからフェスティバルのために休暇を取ってやってきた方々だった。今日のフェスティバルで日本人のパフォーマンスを見て感動したと言って写真を見せてくれたけど、全身タイツで日本人かどうかの判別は私にはつかなかった。 
写真は日本食レストラン店内イタリアの方々と。下の写真はタータンチェックの民族衣装を身につけたエディンバラの若者。


31 美術館をはしご 2011年08月17日    
10日間にわたるスコットランドの旅も終わりに近づいてきた。エディンバラ市内もまだたくさん見所が残っているが、とても3日間では回りきれない。最後に美術館を2つ鑑賞し旅を締めくくるとしよう。 

エディンバラ市内に美術館はいくつかあるが、宿から近い現代美術館に向かう。スコットランド出身のモダンアーチストといえばレニー・マッキントッシュが挙げられる。建築や家具のデザインで知られるが、こちらにはその種の作品はなく、彼が晩年フランスに移住してからの絵画作品が多数展示されていた。穏やかな色彩とタッチの風景画にちょっと意外な感じ。マッキントッシュの椅子に代表されるような直線を巧みに取り入れたスタイリッシュな印象が私にはあったが、後年は心境の変化だろうか? 

雨が降ってきたのでタクシーで国立美術館へ移動。こちらは市内中心部、プリンシィズストリートに沿った公園内にある。 
無料の常設展を見たがゴッホ、セザンヌ、モネ…など名だたる画家の作品が壁一面を使って展示されている。ふつう日本の美術館では作品は横一列に並んでいるが、こちらでは上中下と縦に3段が横3列になって並んでいる。収蔵品の豊富さが展示方法に表れているのかもしれないが、日本的な感覚の私としてはもう少し余白を活かすというか、空間のゆとりが欲しい感じ。 
写真はスコットランドの忠犬”ハチ公”と言われるボビーの像。主人の墓に14年間通ったらしい。下の写真はエジンバラの現代美術館。

 

32 最後の夜

明日は日本へ帰るという日の夜、エジンバラのニュータウン ローズストリートでパブを二軒はしご。一見気難しそうに思えるスコッティッシュもお酒が入ると人懐っこい陽気な方々になる。地図を片手にカタコト英語で今回の旅でまわったエリアを説明すると皆さん嬉しそうに聞いてくれる。マックとマギー、デービットとマーチン、そして若いマスターありがとう!

 


33 旅の終わりに今回の旅を振り返る

スコットランドへの憧れは数年前旅客機の機内誌で伊武雅刀がアイラ島を訪問した記事を読んだことから始まった。冷涼とした気候の中で醸成されるスコッチウイスキー。その故郷を訪ねてみたい、という気持ちはそのとき芽生えたが、海外旅の経験はほとんどなく、言葉の壁もある私としてはハードルは高かった。たまたまスコットランドへ最近旅された方に会う機会があったり、海外旅行経験豊富な方々からのアドバイスをいただき今回やっと実現することができた。「案ずるより産むが易し」というが、やってみるとそれなりの情報収集と準備をすれば海外でも楽しく旅ができることを知ってしまった。”しまった”というのはひょっとしたらヤミつきになるかもしれないという可能性を秘めた言葉。ま、先のことはわからないが、これからもしどこか出かけてみたい外国が出てくれば行くかもしれない。 

ここまで私の旅日記絵を読んでくださった皆さん、ありがとうございました。またどこかの国か、日本のどこかで書きますのでそのときはヨロシク(^o^)/~~。 

写真は国立美術館のあるプリンセスストリートガーデンと美術館の企画展ポスター(ちょうどエリザベス女王展やってました。9月から日本展です)。


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