照・テル・ぼうず

つれづれ日記

スーパーウーマン

2010-11-23 | 日記

日本を離れて久しい主人はドライブしているときにきまって口ずさむのが唱歌・・・ふるさと、みかんの花咲く丘、に始まって尽きることなく歌い続ける。先日シカゴの日本の食材のショッピングに出かけたときもいつもと同じように調子よく歌っていた。その中で、“垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ焚き火だ落ち畑・・・”と歌い始め、“しもやけおててがもうかゆい。”と聞いたとき私の手が急にかゆいような気がした。

というのも小学生の頃の私は 冬になればきまってしもやけで手がはれ上がり紫色になり、最後のほうには手がくずれるような痛ましい状態になった。そのことを私の体が覚えていて なんとなく反応したのである。その頃の担任の先生は、“Kさんはしもやけだから、雑巾がけをしなくてもいいから”と学級のみんなの前で言ってくれていたほどだ。手だけではなく足もしもやけでいつもの靴より1サイズは大きいものでないと入らないくらい腫れ上がった。そんなにひどかったしもやけが成長していくにしたがっていつの間にかしなくなった。

私たちが小さい頃祖母は 冬ともなれば替えの下着一式をコタツに入れて暖めておいてくれた。だから着替えるときに寒さを感じない・・・今から思えばなんて過保護。そうなんです、私たち二姉妹は超過保護に育ったのでした。祖母は至れり尽くせりしてくれる人で何不自由なく育ったので、何かがなかったりして困ったりなどというようなことがなかったような気がします。祖母の家事はいつも完璧であったような気がします。洗濯したものはほとんどがアイロンをかけられていました。面白いのは祖父の夏のコットンの下着(パンツとシャツの両方)には薄い糊をし、アイロンがかけられていました。それが当然だと思っていたので、私も結婚当初は同じようにしました。でもこれがなかなかどうして時間を食ってしまうので 家事に追われて何もできないと泣いたことがありました。それで、そこまでする必要ないからと主人にいわれて今はしなくなったのです。今振り返ってみると祖母が家事のことで文句を言ったり、いやな顔をしたのを見たことがないのです。スーパーウーマンだったのかな、私たちのおばあちゃんは?



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2 コメント

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納得 (ろめお)
2011-01-03 18:54:00
確かに冬になったら身体に入れてシャツなど温めてくれていました(大昔のこと)
また、下着もアイロンをかけてくれてました(大昔のこと)
おばーちゃんがやってくれていたんだね。納得
僕はそこまでしなくていいと言ってないけど(笑)
さとみーなは、スーパーウーマン現役だよ
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おおきありがと (さとみーな)
2011-01-03 23:02:46
ろめお

 私はおばあちゃんほどできてなくてかろうじて主婦してるという感じなんだよ・・・実は。でもお褒めに預かり、おおきありがと
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