ノグチサトキ

アマチュア・ミュージシャン    

「魂」と「肉体」と

2024-04-27 | 自分史

以下、見ようによっては、

時代錯誤甚だしい、偏見じみた

人間の尊厳を軽視するかの如き解釈

 

との指摘を受けそうであるが、

それはそれで、真摯に承るとして、

これは、あくまで私、一個人の存在、

「私」の場合としての捉え方である旨

始めに断っておきたく思う・・・。

 

そもそも、

「私」とは、いったい何者なのか

事実、いつの間にやら、

知らぬ間に存在していた

有り難い話だが、私の意思ではない

 

では、私を存在させたものは何か

私とは、この肉体の単なる使用者であるのか

 

であるならば、通常使用できなくなった今

使用者としての役目、果たさぬ私は、

その役目を託したもの

(仮に「魂」とする)からすれば、

失格、或いは、見捨てられつつある状態にある

ということであろうか

 

いづれにしても、常々の使用方法に

何らかのミスがあったから、

結果として、この状態となったのは否めない

 

自覚している

 

使用者であるならば、反省と共に、

責任を取らねばならない、かとも思う

 

現実論として、がん細胞とは、

誰かが貼付けたものでも、

擦り付けたものでもなく

私の体が、自ら造り出したもの

 

ともあれ、では、責任を取る方法とは、

如何なることか

 

この機に及んでは、遅すぎるのかも知れぬが、

この肉体が、少しでも長く使える様

反省の元、魂に請い、許しを得て

労わり、励まし、耐え忍ぶこと

 

かと思う

 

これまでの考え方、捉え方、

価値観、行動様式を根底から覆し、

一から、やり直すつもりにて

 

魂にしてみれば、ことあるごと、

何度も、気付かせようとしてきたが、

気付こうとしなかった私

 

これで、ようやく気付いたか、

との感、あるのかと思う

 

振り返れば、魂を疎かにしてきたこと、

思い当たるふし、多々ありき

 

これを機に、魂と向き合い、結びつき、

あらためて、理解を得たいと、切に思う

 

人は、

どこから来てどこへ行くのか

知る由もないが、

まだ、当面、どこへも行きたくはないし

逝くつもりは、無い

日毎、想いは募り…。

などと、訳の解らぬこと書きながら笑

我に返れば、ギターつま弾く私です

世間は、今日から三連休

つづく


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