哀愁しんでれら観賞してから数日経ち、浮かんできた思いをぽつぽつと。
様々な仕掛けがされているという哀愁しんでれら。私はそれほど映画を見てきていないので(年に2、3本程度)他の映画と比べてどーこーは言えないのですが、それでも感じた事がありました。
物語は登場人物が様々な愛に振り回されあのラストシーンに到達してしまうわけですが、ただ観ているだけのつもりだった観客の私も見事に監督の仕掛けにかかってしまいました。それを思いつくままに書いていきます。
まずは「共感」です。
共感、いい言葉です。「相手の立場になって考えてみましょう」と幼い時から他人に共感する事は正しい事だと教えられてきていますし、突然街中で「このヒットの要因は?」とインタビューされても「共感を呼んだからだと思います」と言っておけば大体問題ないです。
でも、この哀愁しんでれらのラストシーン、もしそれだけを見せられたらきっと激しい拒否反応と嫌悪感がわき出たと思うのですが、彼らの物語を一緒に生きた後に私が感じたのは静けさと切なさと哀しみだけでした。
このまま(警察等来ることなく)彼らの幸せな時間が続いて欲しいと思いました。
なんてこったい!
私はちょうどヒカリサイズの子供のいる母親です。子供達が大量に殺されている場面!
普段だったらあり得ない反応です。でも彼らと一緒に、気がついたらとても高い断崖絶壁にたどり着いていました。
遊園地でメリーゴーランドに乗っていたらいつの間にかあれ?ジェットコースター?え?高いんですけど!え?バンジージャンプ?紐ついてなくない?
くらいのだまし討ちです。あの黒豆監督…
(もちろん、全く受け入れられないラストだったって方もいると思います。評価の星をマイナスにしたいって人見ました)
どうやら「共感」にはあまり善悪の区別はないのだなとしみじみ思った次第です。歴史上に何度も現れる大衆を操る悪い奴(英雄とも言うかもしれないけど)はこの「共感」を上手く使ったんだろうなと。別に監督が悪い奴だとは言ってませんw
渡瀬監督の描かれる4コマ漫画やインタビュー、舞台挨拶から伝わってくるお人柄は穏やかでいつもニコニコされていてとても好感の持てる方です。
でも、太鳳ちゃんを4回目にして獲得したり、自ら見つけてきたインスタグラマーのCOCOちゃんを最初から取るつもりで子役オーディションにかけるあたり、ご自分の感覚を決して疑わない強い意志を感じます。ちなみに圭さんの、相手役が太鳳ちゃんだと教えられたら台本読まずに即決したエピソード大好きですw
そんな監督が計算しつくして張った共感の罠。この罠の餌となる圭さんの毒針が仕込まれた甘い笑顔はわかっていても丸呑みです😆
冒頭の教室でドレス、机の上をハイヒールで歩く太鳳ちゃん。ん?と思った時には既に罠に爪先くらいは突っ込んでます。
初回は何もわからず無防備にかかってしまいましたが、次回見るときにはこの共感の罠を探しながら手を突っ込んでみたいと思っています。(結局)