ポールクルーグマンの「ミクロ経済学」という本が面白い。
経済学の教科書なのだが、実例として、自分の身の回りで頻繁に起こるような出来事を取り上げており、ふとした拍子に「あ、いま自分がやっていることは、あの教科書の内容でいうと、こういう風に説明できるな」と、自然に頭の中で浮かんでくる。とてもわかりやすい上に、面白い。
で、ありながら脱線するわけでもなく、基本的なことからきっちりと教えてくれる。良い教科書ってのは、こういう本のことを言うんだろうな、と思う。
どこぞの誰かが言っていたが
「知識というのは、単なる情報の寄せ集めではなく、体系化されたもののこと」だそうな。
情報というのは無限に存在する。例えば、物の値段。一つ百円かもしれないし、二gで九千ドル、富士山の山頂では木の葉三枚で買えるかもしれないし、あるいは引き取ることで逆に三万円もらえるかもしれない。
値段を暗記するのは、場合によっては有益かもしれないが、世の中に存在する、物の値段全てを暗記するのは明らかに不合理で、不可能なことだ。
しかし、「どのようにして物の値段は決まるのか」という法則がわかれば、すべての物の値段を一々暗記することなく、その物がいくらぐらいするのか、ということが推測できるようになる。
上の定義で言うとつまり、世界(宇宙でもいい)の一面を、特定の原理や法則を用いて記述したものが、知識なんだろう。
こういう考え方は、還元主義だといって批判される向きもあるが(その批判にも一定の説得力があることはあるが)、だいたいは正しいと、個人的には思う。
というか、そもそも、今ある知識というのは、だいたいでしか正しくないものだとも思う。
「ミクロ経済学」に書いてあったが、「経済学者たちは、一見それぞれの意見が全く異なるように見えたとしても、経済学における基本的な法則や原理ではほぼ合意している。ただし、その大枠での知識を、どう現実に当てはめるか、また自身がどういう立場を取るか、というような部分で意見が合わなくなる」そうな。
時々、ノーベル経済学賞を受賞したような頭のいいアホが、投資会社やらなんやらを立ち上げては潰し、我々愚民の嘲笑を買っている。
経済学の知識が示すのはあくまで経済学からみた世界の一面であって、たとえば生物学による一面からみれば、また違った結果が出るのかもしれない。
世界の全てを同時に記述できるような知識というのは、今のところ存在しない。アカシックレコードとかいう夢あふれるペテンは別にして。
それでも、無限に存在する情報を、人間の手に負える形に変形して、それに従うとだいたい正しい結果が出る、というのは面白いもんだと思うし、そもそも知識を究めようとする人たちの目標は、世界全体をできる限り単純な形であらわす事であるはず。
だから「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」であったように、
ときには、細分化された知識が統合されて、より大きな知識体系になることもある。そういうことを知ると、ますます世の中が面白くなってくる。
僕の立場はやじうまのようなものであって、世界中の頭の良い人たちが頑張って研究した成果を、酒飲みながら「すげーすげー」といいかげんに読み飛ばしているだけなのだが。
百年前なら、こんな道楽は、ごく限られた金持ちにしか許されなかったはずだ。今の知識は百年前よりはるかに深化しているし、ど素人にでもわかりやすく面白い入門書も出版され、なによりAmazonがある。
そうを考えると、現代というのは良い時代だと思う。
経済学の教科書なのだが、実例として、自分の身の回りで頻繁に起こるような出来事を取り上げており、ふとした拍子に「あ、いま自分がやっていることは、あの教科書の内容でいうと、こういう風に説明できるな」と、自然に頭の中で浮かんでくる。とてもわかりやすい上に、面白い。
で、ありながら脱線するわけでもなく、基本的なことからきっちりと教えてくれる。良い教科書ってのは、こういう本のことを言うんだろうな、と思う。
どこぞの誰かが言っていたが
「知識というのは、単なる情報の寄せ集めではなく、体系化されたもののこと」だそうな。
情報というのは無限に存在する。例えば、物の値段。一つ百円かもしれないし、二gで九千ドル、富士山の山頂では木の葉三枚で買えるかもしれないし、あるいは引き取ることで逆に三万円もらえるかもしれない。
値段を暗記するのは、場合によっては有益かもしれないが、世の中に存在する、物の値段全てを暗記するのは明らかに不合理で、不可能なことだ。
しかし、「どのようにして物の値段は決まるのか」という法則がわかれば、すべての物の値段を一々暗記することなく、その物がいくらぐらいするのか、ということが推測できるようになる。
上の定義で言うとつまり、世界(宇宙でもいい)の一面を、特定の原理や法則を用いて記述したものが、知識なんだろう。
こういう考え方は、還元主義だといって批判される向きもあるが(その批判にも一定の説得力があることはあるが)、だいたいは正しいと、個人的には思う。
というか、そもそも、今ある知識というのは、だいたいでしか正しくないものだとも思う。
「ミクロ経済学」に書いてあったが、「経済学者たちは、一見それぞれの意見が全く異なるように見えたとしても、経済学における基本的な法則や原理ではほぼ合意している。ただし、その大枠での知識を、どう現実に当てはめるか、また自身がどういう立場を取るか、というような部分で意見が合わなくなる」そうな。
時々、ノーベル経済学賞を受賞したような頭のいいアホが、投資会社やらなんやらを立ち上げては潰し、我々愚民の嘲笑を買っている。
経済学の知識が示すのはあくまで経済学からみた世界の一面であって、たとえば生物学による一面からみれば、また違った結果が出るのかもしれない。
世界の全てを同時に記述できるような知識というのは、今のところ存在しない。アカシックレコードとかいう夢あふれるペテンは別にして。
それでも、無限に存在する情報を、人間の手に負える形に変形して、それに従うとだいたい正しい結果が出る、というのは面白いもんだと思うし、そもそも知識を究めようとする人たちの目標は、世界全体をできる限り単純な形であらわす事であるはず。
だから「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」であったように、
ときには、細分化された知識が統合されて、より大きな知識体系になることもある。そういうことを知ると、ますます世の中が面白くなってくる。
僕の立場はやじうまのようなものであって、世界中の頭の良い人たちが頑張って研究した成果を、酒飲みながら「すげーすげー」といいかげんに読み飛ばしているだけなのだが。
百年前なら、こんな道楽は、ごく限られた金持ちにしか許されなかったはずだ。今の知識は百年前よりはるかに深化しているし、ど素人にでもわかりやすく面白い入門書も出版され、なによりAmazonがある。
そうを考えると、現代というのは良い時代だと思う。