地道な一歩 

詩やエッセイなど文章を作っています。

(エッセイ)

2014-07-25 19:11:21 | 日記
「100円玉」  作:よし


昭和49年の100円玉がポケットの財布の中から顔を出した。

ぼくはこの100円玉の何番目の持ち主かな。

この100円玉は、今までに一体何人の人の手を渡ってきたのかな。

100人かな。1000人かな。それとも10000人かな。

ぼくが、記念すべき10000番目の持ち主だとうれしいな。

そんなわけないか。

それにしてもこの100円玉はどういう使い方をしてきたのかな。

もしかすると、どこかのお母さんが、子どもにお菓子を買ってあげるために、その子ども

に手渡したのかもしれない。

他にもいろいろな歴史を持っているはずなんだ。ある時は、ジュースと引き換えに自動販

売機の中に投入され、数週間を自動販売機の中で過ごしたり、ある時はコンビニで使われ、

レジの中で数時間待機したり、ある時は不注意で地面に落とされたり、ある時はオレンジ

ジュースをかけられたり、ある時は封筒の中に他の小銭と一緒になったりもする。いろん

な出会いもあるんだ。だけどお金は一生のほとんどを真っ暗なところで過ごす。つまり財

布の中やレジの中だ。だからぼくはかわいそうなので、天気のいい日に彼らを日向に並べ

て置いたりする。けれど、お金は言う。「そんなことするもんじゃないよ。人目につくと

ころにお金を置いておくものじゃない。」でも、光に照らされ、お金は輝いている。お金

は、ああ言ってはいるけれど、まんざらでもないみたいだ。

お金は使うとなくなるというけれども。厳密にはなくなってはいない。使うと持ち主が変

わるだけだ。お金の効果も一度使うとなくなるという訳ではない。何度使っても100円

として生き続ける。そして100円といえども、10回使われると1000円分の働きを

し、100回使われると、10000円分。1000回使われると100000円分の働

きをしたことになる。それはともかくとして、この昭和49年の100円玉は、ぼくより

多くの歴史を見てきている。大先輩なのだ。それでも、ぼくはこの100円玉を使う時が

来る。そのときぼくは別れをつげる。”100円玉よ、またね。”

100円玉も言う。”それじゃ、またね。”

ぼくは、昭和49年の100円玉という「歴史の金貨1枚」を何に使うか迷っている。

「そして、100円玉はよく知っている。100円玉は100円玉でしかないことを。」

僕も少し謙虚に生きよう。そう思った。

(エッセイ)

2014-07-14 17:22:23 | 日記
「ゼロ円」  作:よし


ぼくは、外へ出た。

すると太陽の日差しがとても暖かかった。

でもこの気持ちいい日差しは、ゼロ円。お金はかかりません。

近くの木には、小鳥がピヨピヨかわいい声で鳴いていた。

この小鳥のかわいい鳴き声もゼロ円。お金はかかりません。

なんだか得した気分になってきた。

外はときどきとても気持ちのいい風が吹いている。

この風を浴びるのも、やはりゼロ円。

世の中見渡すと、ゼロ円がいっぱい。

もし、値段を付けたらいくらぐらいになるだろう。

小鳥の鳴き声500円、気持ちいいそよ風2000円

暖かい日差し10分で10000円くらいかな。

でも今の時代お金はかかりません。とっても得した気分だな。

ぼくは空に向かって言いました。”太陽ありがとう”

そして、太陽は答えました。

「どういたしまして。お代は入りません。そのかわりあなたのそばで困っている人がいたら、

助けてあげて下さいね」と。