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いつも最高 in Fukuoka

「今日は最高」「明日はもっと最高」の気持ちを胸に、玄界灘を眼前にした福岡を中心に魅力を紹介。「いつも最高の福岡」。

母校 明治学園中学校への通学路の今 その1

2020年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

昭和28年(1953)3月八幡市立枝光小学校を卒業した私は、戸畑市にある「私立 明治学園中学校」に進学しました。学校の詳しいことは別の機会に紹介いたしますが、当学園のホームページの沿革によると、歴史は古く明治43年(1910)に明治専門学校(現 九州工業大学)の附属尋常小学校として今ある戸畑の街に開校しました。戦後昭和22年(1947)に学制改革により「明治学園小学校」となり、あわせて「明治学園中学校」を併設したとあります。ということで私は中学校7回生となります。

 さて、今回はこの中学校への通学経路の今の様子を何回かに分けて写真で紹介しようと思います。私は枝光が実家なので、当時の「西鉄電車枝光線」の路面電車に乗り「浅生通り(あそうどおり)」で下車。ここから学校までのおよそ1.5㎞の道のりを徒歩で30分かけて通学しました。道筋は同じですが沿線の景色は随分と変わりました。なにしろ65年余の月日が経っていますから。今ではこの通学路はバス路線になっています。ここからほぼ東に向かって歩きます。次いで戸畑市役所前。古い茶色の建物が見えますが、これは昭和8年(1933)に戸畑市役所として建築され、この建物を左手に見ながら歩きました。現在は市立図書館になっています。またこの一角はユネスコ文化遺産にもなった「戸畑祇園大山笠」の競演会場で、既設の観覧席があります。中学生当時はこの観覧席はありませんでした。今年の祇園祭はコロナ禍で中止です。先ずは中学校への通学経路の今その1はここまで。

名前は懐かしい浅生通り

昔の西鉄の路面電車通りは今では広い自動車道に(今でもこの通りを「電車通り」とよぶ人も)前方は牧山地区、枝光はあの丘の向こう

浅生の交差点から「幸町」方向を望む。先を左折すると「若戸大橋」につながります。

かっての戸畑市役所、今では市立戸畑図書館

戸畑祇園大山笠の提灯山笠競演の観覧席。当時はありませんでした。

 

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