カンバセーションのサイトに掲載されていたマリーザの翻訳文を先日発見。
(先日というても、だいぶ前。。)
多様性こそが共存の鍵だと信じている私にとっては、
とても心地の良い話だったな。ということでメモ残しです。
詳しいプロフィールもあります♪
::::: conversation | マリーザ・モンチ ブラジルを代表する魅惑の歌姫 | Marisa Monte
----ここから転載----
A Brazilian Singer Finds That Many Musical Styles Are Just The Right One
多彩な音楽スタイルが最高の音楽スタイルだと発見したブラジル人シンガー
マリーザ・モンチ 文:Larry Rohter リオ・デ・ジャネイロ発
カルメン・ミランダ(Carmen Miranda)からエリス・レジーナ(Elis Regina)、そしてガル・コスタ(Gal Costa)まで、ブラジルは長きに渡って、多くの天才女性シンガーを育んできた伝統を誇る。マリーザ・モンチ(Marisa Monte)はその由緒ある伝統を継承する天才女性シンガーの一人だが、彼女のユニークな点は、伝統や暗黙のルールが自身の表現や活動の妨げになると感じた時、そっとさりげなく、ルールを破ることをためらわない。
歌を通して楽曲を人々に届けるというブラジリアン・ポップ・ミュージック界における女性シンガーの典型的な役割に加え、マリーザ・モンチ(39歳)はコンポーザー、レコード・プロデューサー、バンドリーダー、そしてビジネスウーマンという役割も担う。モンチのキャリア、レパートリー、そして音源に関して、彼女自身がすべてコントロールしている。そんな彼女は、単一の音楽スタイルのみに縛られたくないという強い信念を持っている。
「ジャンルを前提に音楽をとらえたことはないわ。私自身でさえ、自分の音楽がどのジャンルに当てはまるのか、説明するのが難しいくらいよ。他人にしても、私の音楽がポップに当てはまるのかそうではないのか、よく分からない、といった印象ね。どちらにしても、ジャンルやレッテルといったものは長続きしないと思うわ。だって、すべての理論を打ち破ることぐらい、私にとってはいつでも簡単なことなのよ」とモンチは、最近、行ったインタビューで答えている。
3年間ほど、第一線から自ら身を引いていたモンチは、最近、表舞台に再び姿を現した。しかも、派手に。ニュー・アルバムを2枚、同時発売したのだ。1枚はポップ・テイスト溢れるアルバム、もう1枚はモンチがこよなく愛するサンパへのオマージュを込めたアルバムである。両作品とも、エンハンスドCD(CDエキストラ)仕様となっている。さらに、現在、新譜2作品を引っ提げてのワールド・ツアーを行っており、火曜日にニューヨークのビーコン・シアターでのライヴも控えている。
新譜でギター、ウクレレ、ベース、木琴、そしてオートハープをも自ら弾きこなすモンチにとって、メインの楽器はやはり、声である。玉が転がるように滑らかに流れる彼女の声は、楽器の上を滑り、はためき、スキップし、その繊細さでリスナーをリラックスさせ、耳と心を癒す。
「マリーザは世界で最も完璧な声の持ち主の一人だ。優しく頬を撫で、同時に行く手にあるものをすべて吹き飛ばしてしまう風のような声だ」と、ブラジル人パーカッショニスト/ヴォーカリスト/コンポーザーのカルリーニョス・ブラウン(Carlinhos Brown)は言う。ブラウンは、モンチが頻繁にコラボレートする作曲のパートナーでもある。
マリア・カラス(Maria Callas)の大ファンだったモンチは、もともとオペラ歌手を目指した。その夢を追い、オペラの本場、イタリアに渡ったのだが、心変わりが生じてベニスの小さなバーやクラブでブラジリアン・ポップ・ミュージックを歌うようになった。
「マリーザは当時、まだ弱冠19才の若さだったのだが、ブラジル音楽に精通しており、常に自然体でありながらも強い印象を残すカリスマ性に富んでいた。彼女は最初から意思がはっきりしていた。その意思とは、コンテンポラリー・ポップ・ミュージックと伝統的サンバの両方を同時に極めること」と、作曲家/音楽評論家/プロデューサー/小説家のネルソン・モッタ(Nelson Motta)は言う。モッタはベニスの片隅で歌うモンチを発掘し、モンチのキャリアの初期において、彼女を指導し、彼女の才能を引き出した人物である。
リオで生まれたモンチは、サンバを愛する両親のもとで、中流階級の家庭に育った。リオで最も有名なサンバ・スクール(グループ)の一つであり、リオのカーニバルの常連でもあるポルテーラ(Portela)を、モンチの両親は頻繁に訪れてはサンパに酔いしれていた。そうした両親の影響で、モンチはサンバであれ、ジャズであれ、アフリカにルーツをおき、アフリカのリズムを持つ音楽に対して深い尊敬と愛情を抱くようになった。
「EMIと契約を交わした時、一番最初にしたことはEMIのアーカイヴを調べることだった。EMIはブラジルで最も歴史あるレコード会社で、カルメン・ミランダ、ピシンギーニャ(Pixinguinha)、ドリヴァル・カイミ(Dorival Caymmi)などの古い音源が揃っているから、EMIのアーカイヴに保存されている音源で私が聴いてみたいものをリストアップして、その音源をカセットにコピーしてもらったの。カセットを手に入れるまでは何ヶ月もかかったわ。それでも、もっと聴きたくなって、さらに調べて、さらにカセットのコピーを頼みまくっていたわ」とモンチは当時を振り返る。
ブラジルで1989年にリリースされたモンチのファースト・アルバムはネルソン・モッタがプロデュースを手掛け、カルメン・ミランダの「サウス・アメリカン・ウェイ(South American Way)」や、クルト・ワイル(Kurt Weill)、ムタンチス(Os Mutantes)、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)などといったコンポーザーによる曲も収録した。ステージ上でもカルメン・ミランダからの影響は色濃く反映されている。モンチのドラマチックな身振りや、ひらひらとはためく丈の長いアンサンブル、ジプシー風のスカーフやアクセサリーなどといった衣装に、ミランダへの尊敬と憧れの念が表現されている。
「カルメン・ミランダが大好きなの。とにかく最も偉大な歌手だと思うわ」と、モンチは言う。だが、同時に、「彼女は輝かしいキャリアを守るために、私生活においてたくさんの犠牲を払ったせいで、人間として真の幸せを感じるための心のリズムが聞こえなくなってしまったの」と、アーティストと呼ばれる者に対する教訓としてミランダの華やかなキャリアの影に潜む悲劇をも指摘した。
ブラジルのルーツに深い誇りを持つモンチだが、彼女はニューヨークの前衛音楽シーンとも親交が深い。1990年代前半から頻繁にアート・リンゼイ(Arto Lindsay)とコラボレートし、さらにローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)、デイヴィッド・バーン(David Byrne)、マーク・リボー(Mark Ribot)、バーニー・ウォーレル(Bernie Worrell)、そして新譜のうちの1枚である『私の中の無限(Infinito Particular)』に収録されている2曲でストリングスとホーンのアレンジを手掛けたフィリップ・グラス(Phillip Glass)などといった面々ともコラボレートを行ってきている。
「フィリップはブラジリアン音楽が大好きで、ブラジル人の友人をたくさん持っているのよ。それに、ポルトガル語も少し話すし、私の音楽や活動をとても良く理解してくれている人。1994年にも一度、アレンジをしてもらったことがあったけど、その出来栄えにとにかく圧倒されたわ。今回、ライヴでのカルテット用にアレンジが必要になった時、フィリップに真っ先に相談してみたら、快く力を貸してくれたの」とモンチは言う。
ブラジル育ちのアメリカ人ギタリスト、アート・リンゼイは、これまでモンチの作品やステージを多くプロデュース、そしてエンジニアリングしてきている。「彼女のテイストはとても幅広いが、同時にメインストリーム寄りだと言えるかもしれない。彼女の成功の鍵となっているのは、そのポピュラー・センスと誠実さ、そしてどのジャンルにおいてもベストにこだわり、極めようとする姿勢」と、リンゼイは言う。
モンチにとってこれまで商業的に最も大きな成功をおさめた作品は、カルリーニョス・ブラウンとアルナルド・アントゥネス(Arnaldo Antunes)とモンチの3人で組んでリリースした『トリバリスタス(Os Tribalistas)』だった。もともとは地味なホーム・レコーディングとして作られたこの作品は、150万枚以上のセールスを記録する大ヒット作となった。「長年、ソロとして活動してきた私にとって、何か大きなものの一部となって、気の合う仲間と考えや思いを共有し、一人だけ前面に押し出されなくてもいい環境を望んでいたの。私一人じゃない、と思うだけで、どんなに気楽に楽しくできたことか」とモンチは言う。
『トリバリスタス』のレコーディングが終盤に差し掛かった頃、モンチの妊娠が発覚した。彼女は息子と過ごすために、しばらくの間、世間の目から遠ざかった。その息子も、来月で4歳になる。
新譜には、息子と過ごしていた活動休止期間でモンチが吸収した音楽の影響が垣間見れる。それまでの彼女のサウンドをより拡張し、よりモダンな印象を与えるエレクトロニックスが駆使されている。新譜の2作品とも、様々なエフェクトで加工されたヴォーカルと楽器のサウンドをフィーチャーし、「ペルナンブーコ牧歌主義(Pernambucobucolismo)」という曲ではマルチ・トラックに重ねられたモンチのヴォーカルがまるでエレキ・ギターのようにも聞こえる。
「私は音なら何でもいじってみるのが好きなの。存在しない新たな楽器の音を作り出すこともできるし、伝統楽器に新たなトーンを与えることだってできてしまうのよ。それに、純粋な生音とデジタル加工された音がミックスされたサウンドはすごくクールなの」とモンチは言う。
新譜のうち、サンバをフィーチャーしたアルバム、『私のまわりの宇宙(Universo ao Meu Redor)』は、最近、ラテン・グラミー賞を受賞したのだが、この作品はジャンルの壁を打ち壊す革新的な作品である。収録曲の中には1940年代まで遡る古い曲があるにもかかわらず、モンチが選んだ共同プロデューサーは、ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)、ベック(Beck)、ジャック・ジョンソン(Jack Johnson)などを手掛けたマリオ・カルダート(Mario Caldato)だった。
「きっとマリオなら、より実験的に、よりサイケデリックに、そして楽器のサウンドにより自由を与える欲望を理解してくれると思えたの。伝統的なサンバでは使わない楽器をあえて使って、ドラム・アンド・ベースやコンテンポラリー・ポップが大好きな現代人が作ったサンバのようなサウンドを作りたかったの」とモンチは言う。
新譜の2作品がブラジル国内で好調なセールスを続け、さらに海外での評価もうなぎのぼりとなっている中、モンチは好きなことに自由に挑戦できる環境を手に入れた。彼女が、今、最もやりたいと思っていることは、「音楽を通して、世界とコミュニケートする新たな形態」を探求し、発見することだと言う。モンチのサウンドがさらなる変貌を遂げるであろうという前兆だ。
「マリーザは好奇心旺盛だから、急に方向転換する傾向があるかもしれない。だが、彼女は鋭いセンスで自発的に動き、自分自身のキャリアを築き上げている。その信念だけはずっと変わらないね」とリンゼイは言う。
― The New York Times, Tuesday, November 14, 2006
(先日というても、だいぶ前。。)
多様性こそが共存の鍵だと信じている私にとっては、
とても心地の良い話だったな。ということでメモ残しです。
詳しいプロフィールもあります♪
::::: conversation | マリーザ・モンチ ブラジルを代表する魅惑の歌姫 | Marisa Monte
----ここから転載----
A Brazilian Singer Finds That Many Musical Styles Are Just The Right One
多彩な音楽スタイルが最高の音楽スタイルだと発見したブラジル人シンガー
マリーザ・モンチ 文:Larry Rohter リオ・デ・ジャネイロ発
カルメン・ミランダ(Carmen Miranda)からエリス・レジーナ(Elis Regina)、そしてガル・コスタ(Gal Costa)まで、ブラジルは長きに渡って、多くの天才女性シンガーを育んできた伝統を誇る。マリーザ・モンチ(Marisa Monte)はその由緒ある伝統を継承する天才女性シンガーの一人だが、彼女のユニークな点は、伝統や暗黙のルールが自身の表現や活動の妨げになると感じた時、そっとさりげなく、ルールを破ることをためらわない。
歌を通して楽曲を人々に届けるというブラジリアン・ポップ・ミュージック界における女性シンガーの典型的な役割に加え、マリーザ・モンチ(39歳)はコンポーザー、レコード・プロデューサー、バンドリーダー、そしてビジネスウーマンという役割も担う。モンチのキャリア、レパートリー、そして音源に関して、彼女自身がすべてコントロールしている。そんな彼女は、単一の音楽スタイルのみに縛られたくないという強い信念を持っている。
「ジャンルを前提に音楽をとらえたことはないわ。私自身でさえ、自分の音楽がどのジャンルに当てはまるのか、説明するのが難しいくらいよ。他人にしても、私の音楽がポップに当てはまるのかそうではないのか、よく分からない、といった印象ね。どちらにしても、ジャンルやレッテルといったものは長続きしないと思うわ。だって、すべての理論を打ち破ることぐらい、私にとってはいつでも簡単なことなのよ」とモンチは、最近、行ったインタビューで答えている。
3年間ほど、第一線から自ら身を引いていたモンチは、最近、表舞台に再び姿を現した。しかも、派手に。ニュー・アルバムを2枚、同時発売したのだ。1枚はポップ・テイスト溢れるアルバム、もう1枚はモンチがこよなく愛するサンパへのオマージュを込めたアルバムである。両作品とも、エンハンスドCD(CDエキストラ)仕様となっている。さらに、現在、新譜2作品を引っ提げてのワールド・ツアーを行っており、火曜日にニューヨークのビーコン・シアターでのライヴも控えている。
新譜でギター、ウクレレ、ベース、木琴、そしてオートハープをも自ら弾きこなすモンチにとって、メインの楽器はやはり、声である。玉が転がるように滑らかに流れる彼女の声は、楽器の上を滑り、はためき、スキップし、その繊細さでリスナーをリラックスさせ、耳と心を癒す。
「マリーザは世界で最も完璧な声の持ち主の一人だ。優しく頬を撫で、同時に行く手にあるものをすべて吹き飛ばしてしまう風のような声だ」と、ブラジル人パーカッショニスト/ヴォーカリスト/コンポーザーのカルリーニョス・ブラウン(Carlinhos Brown)は言う。ブラウンは、モンチが頻繁にコラボレートする作曲のパートナーでもある。
マリア・カラス(Maria Callas)の大ファンだったモンチは、もともとオペラ歌手を目指した。その夢を追い、オペラの本場、イタリアに渡ったのだが、心変わりが生じてベニスの小さなバーやクラブでブラジリアン・ポップ・ミュージックを歌うようになった。
「マリーザは当時、まだ弱冠19才の若さだったのだが、ブラジル音楽に精通しており、常に自然体でありながらも強い印象を残すカリスマ性に富んでいた。彼女は最初から意思がはっきりしていた。その意思とは、コンテンポラリー・ポップ・ミュージックと伝統的サンバの両方を同時に極めること」と、作曲家/音楽評論家/プロデューサー/小説家のネルソン・モッタ(Nelson Motta)は言う。モッタはベニスの片隅で歌うモンチを発掘し、モンチのキャリアの初期において、彼女を指導し、彼女の才能を引き出した人物である。
リオで生まれたモンチは、サンバを愛する両親のもとで、中流階級の家庭に育った。リオで最も有名なサンバ・スクール(グループ)の一つであり、リオのカーニバルの常連でもあるポルテーラ(Portela)を、モンチの両親は頻繁に訪れてはサンパに酔いしれていた。そうした両親の影響で、モンチはサンバであれ、ジャズであれ、アフリカにルーツをおき、アフリカのリズムを持つ音楽に対して深い尊敬と愛情を抱くようになった。
「EMIと契約を交わした時、一番最初にしたことはEMIのアーカイヴを調べることだった。EMIはブラジルで最も歴史あるレコード会社で、カルメン・ミランダ、ピシンギーニャ(Pixinguinha)、ドリヴァル・カイミ(Dorival Caymmi)などの古い音源が揃っているから、EMIのアーカイヴに保存されている音源で私が聴いてみたいものをリストアップして、その音源をカセットにコピーしてもらったの。カセットを手に入れるまでは何ヶ月もかかったわ。それでも、もっと聴きたくなって、さらに調べて、さらにカセットのコピーを頼みまくっていたわ」とモンチは当時を振り返る。
ブラジルで1989年にリリースされたモンチのファースト・アルバムはネルソン・モッタがプロデュースを手掛け、カルメン・ミランダの「サウス・アメリカン・ウェイ(South American Way)」や、クルト・ワイル(Kurt Weill)、ムタンチス(Os Mutantes)、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)などといったコンポーザーによる曲も収録した。ステージ上でもカルメン・ミランダからの影響は色濃く反映されている。モンチのドラマチックな身振りや、ひらひらとはためく丈の長いアンサンブル、ジプシー風のスカーフやアクセサリーなどといった衣装に、ミランダへの尊敬と憧れの念が表現されている。
「カルメン・ミランダが大好きなの。とにかく最も偉大な歌手だと思うわ」と、モンチは言う。だが、同時に、「彼女は輝かしいキャリアを守るために、私生活においてたくさんの犠牲を払ったせいで、人間として真の幸せを感じるための心のリズムが聞こえなくなってしまったの」と、アーティストと呼ばれる者に対する教訓としてミランダの華やかなキャリアの影に潜む悲劇をも指摘した。
ブラジルのルーツに深い誇りを持つモンチだが、彼女はニューヨークの前衛音楽シーンとも親交が深い。1990年代前半から頻繁にアート・リンゼイ(Arto Lindsay)とコラボレートし、さらにローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)、デイヴィッド・バーン(David Byrne)、マーク・リボー(Mark Ribot)、バーニー・ウォーレル(Bernie Worrell)、そして新譜のうちの1枚である『私の中の無限(Infinito Particular)』に収録されている2曲でストリングスとホーンのアレンジを手掛けたフィリップ・グラス(Phillip Glass)などといった面々ともコラボレートを行ってきている。
「フィリップはブラジリアン音楽が大好きで、ブラジル人の友人をたくさん持っているのよ。それに、ポルトガル語も少し話すし、私の音楽や活動をとても良く理解してくれている人。1994年にも一度、アレンジをしてもらったことがあったけど、その出来栄えにとにかく圧倒されたわ。今回、ライヴでのカルテット用にアレンジが必要になった時、フィリップに真っ先に相談してみたら、快く力を貸してくれたの」とモンチは言う。
ブラジル育ちのアメリカ人ギタリスト、アート・リンゼイは、これまでモンチの作品やステージを多くプロデュース、そしてエンジニアリングしてきている。「彼女のテイストはとても幅広いが、同時にメインストリーム寄りだと言えるかもしれない。彼女の成功の鍵となっているのは、そのポピュラー・センスと誠実さ、そしてどのジャンルにおいてもベストにこだわり、極めようとする姿勢」と、リンゼイは言う。
モンチにとってこれまで商業的に最も大きな成功をおさめた作品は、カルリーニョス・ブラウンとアルナルド・アントゥネス(Arnaldo Antunes)とモンチの3人で組んでリリースした『トリバリスタス(Os Tribalistas)』だった。もともとは地味なホーム・レコーディングとして作られたこの作品は、150万枚以上のセールスを記録する大ヒット作となった。「長年、ソロとして活動してきた私にとって、何か大きなものの一部となって、気の合う仲間と考えや思いを共有し、一人だけ前面に押し出されなくてもいい環境を望んでいたの。私一人じゃない、と思うだけで、どんなに気楽に楽しくできたことか」とモンチは言う。
『トリバリスタス』のレコーディングが終盤に差し掛かった頃、モンチの妊娠が発覚した。彼女は息子と過ごすために、しばらくの間、世間の目から遠ざかった。その息子も、来月で4歳になる。
新譜には、息子と過ごしていた活動休止期間でモンチが吸収した音楽の影響が垣間見れる。それまでの彼女のサウンドをより拡張し、よりモダンな印象を与えるエレクトロニックスが駆使されている。新譜の2作品とも、様々なエフェクトで加工されたヴォーカルと楽器のサウンドをフィーチャーし、「ペルナンブーコ牧歌主義(Pernambucobucolismo)」という曲ではマルチ・トラックに重ねられたモンチのヴォーカルがまるでエレキ・ギターのようにも聞こえる。
「私は音なら何でもいじってみるのが好きなの。存在しない新たな楽器の音を作り出すこともできるし、伝統楽器に新たなトーンを与えることだってできてしまうのよ。それに、純粋な生音とデジタル加工された音がミックスされたサウンドはすごくクールなの」とモンチは言う。
新譜のうち、サンバをフィーチャーしたアルバム、『私のまわりの宇宙(Universo ao Meu Redor)』は、最近、ラテン・グラミー賞を受賞したのだが、この作品はジャンルの壁を打ち壊す革新的な作品である。収録曲の中には1940年代まで遡る古い曲があるにもかかわらず、モンチが選んだ共同プロデューサーは、ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)、ベック(Beck)、ジャック・ジョンソン(Jack Johnson)などを手掛けたマリオ・カルダート(Mario Caldato)だった。
「きっとマリオなら、より実験的に、よりサイケデリックに、そして楽器のサウンドにより自由を与える欲望を理解してくれると思えたの。伝統的なサンバでは使わない楽器をあえて使って、ドラム・アンド・ベースやコンテンポラリー・ポップが大好きな現代人が作ったサンバのようなサウンドを作りたかったの」とモンチは言う。
新譜の2作品がブラジル国内で好調なセールスを続け、さらに海外での評価もうなぎのぼりとなっている中、モンチは好きなことに自由に挑戦できる環境を手に入れた。彼女が、今、最もやりたいと思っていることは、「音楽を通して、世界とコミュニケートする新たな形態」を探求し、発見することだと言う。モンチのサウンドがさらなる変貌を遂げるであろうという前兆だ。
「マリーザは好奇心旺盛だから、急に方向転換する傾向があるかもしれない。だが、彼女は鋭いセンスで自発的に動き、自分自身のキャリアを築き上げている。その信念だけはずっと変わらないね」とリンゼイは言う。
― The New York Times, Tuesday, November 14, 2006
チケット取れてよかったですね !!!!! いぇーい!
29日というと初日のほうですよね?ウチらは30日の最終日です。できればどっちも行きたかったんですが。。初日の感想、聞かせてくださいね~曲目とかちょいとかわるんでしょうね。いやぁ楽しみですね!
mixiのほうはお気になさらず、、わたしなんか足跡つけっぱなし野郎ですよ。というか足跡付け専門、と云った方が正しいやも、、、あいすいません。。。。
アンコールが終わっても、鳴り止まないマリーザコール!!!また、日本に来て欲しいなあ。
コンサートの後援が、ブラジル大使館なので、黒塗りの外ナンバーの車が、コンサート会場に横付けされてましたね~~。
昔の曲も何曲も歌ってくれましたね。マリーザのギターもカッチョ良かった!
チケットは、まだ、余裕があったようですね。
翌日のも売っていました。
私は、今月の横浜アリーナのYMOじゃなくて、まあ、メンバーは、細野さん、教授、幸宏さんのチケットを逃しました。dvdになってから、、観よう。。。
むかしの大好きな曲もやってくれたし、大満足です。
「これで最後の曲になります」と彼女が云ったときは、みんな「えーーー!!!?」みたいな(笑)
あまりに皆がリアルに残念がったせいか
「また来るから、、」って。。
うーん、大期待です。
今度来日が実現し、名古屋公演があるようだったら、
ぜったいに行きたいと思ってます♪
(ブラジル人7割で、東京とはまた違った
盛り上がりがあったようです。)
アンコールの最後に、我慢できなくなって、
写真とりました(笑。。近いうちアップしますね~