
≪3月8日ソワレ 第一幕≫
この舞台は「いつの間にか始まっている」と友人が言ったことがある。
第一幕も、第二幕もそうだ。ブラックバードが舞台にのぼり、下手の椅子に腰かけると、まだひそやかな囁きの残る客席をよそに、気配を消したロジャーが下手袖から静かに現れた。
沈黙の語り部は、自身も観客のように暗い舞台を眺めている。ブラックバード(=青葉さん)の優しく歌う『はばたくように』とともに、舞台上に寝間着のジェーンが現れ、ドレス姿のエリザベス、メアリー、そして盛装のエドワードが、無言で横切って行く。
これはロジャーの脳裏に蘇る回想なのだろうか。一幕の終わりに独り残された彼は鳥に語りかける。
「人の心は変わり、国の形もまた変わる…望むと望まざるとに関わらず…
お前はそれを見ていたのか?そこで、ずっと・・・」
彼の口調は、物言わぬ鳥に答えを求めているかのように空虚であり、逆に観察者としてしか存在しえない自嘲ともとれた。
ブラックバードは答えない。鳥にも言葉があると思う、とかつて教え子に対して朗らかに語った学者の横顔は、今や光を失い、くすんだ憂いに満ちている。一幕ラストを境に、ロジャーの声も立ち居振る舞いも、「棲が違う」と遠慮を自らに強いつつも抑えた想いを秘めたものに深く深く、沈降していく。あれほど一幕で闊達な笑い声をあげていたというのに、第二幕では微笑みさえ封印してしまったかのようだ。
ここの劇伴『嘆きのドレス』でメインに使われている弦、そこに加わるロジャーの独白と、ひっそりと響くブラックバードの歌声が、またラストの「絵」をこの上なく美しく彩っている。
第二幕のオーヴァーチュアが終わり、新婚のジェーンは寝室で物憂げな表情のまま横たわる。その姿を見届け、ロジャーは静かに消える。代わって登場するもう一人の姿。
……だ と い う の に !
ここまで抑えに抑えた無言劇、意味深かつスノビッシュな白井さん演出を、ぜえええええんんぶ!「ぶっ壊していく」(笑)とんでもないヤツ!(注:褒めてます!)それが成河さんのギルフォード!
あの「全てが微妙な出来具合だった(苦笑)」初日から、彼の芝居はシナリオ的な意外性も含めて文字通り、観る者の度肝を抜くあざやかな存在感で、私の中では初日のMVPがメアリーで、敢闘賞がギルフォードだったのだ。(注:主役の二人は採点対象除外ということで!)
笑いを取れる部分も含めこの手のキャラが他にいない分、のびのびと演じているギルフォードは観ていて実に楽しい。第一幕では最初の戴冠式の貴族たちに紛れ、次はラストの結婚式でしか出てこないから?その分のエネルギーを後半の一時間半に惜しみなくぶつけてくる思い切りの良さ。重いストーリーの中で、乳母のエレン(=銀粉蝶さん)とともに数少ないコメディータッチの芝居で我々の気分を軽くしてくれる存在だ。
お調子者で苦労知らず、絵に描いたような軽薄さが、ジェーンの四角四面で面白味のない堅物っぷりと対比するおかしさ、それでいて世間を語る言葉の端々に「コイツ、いい加減に見えるけど意外に理屈は通っているなw」と思わず頷いて、観客も苦笑い。
ギルフォード「父の命令で仕方なく結婚した?そりゃお互い様ってもんだ!でも、親が決めたとはいえ結婚したんだ、それなりの覚悟が要るのは当たり前だろ?!」
ジェーン(驚いて)「えっ…覚悟?!」
ギルフォード「そおおおおおうだよ!!!!!お・じょ・う・さ・ま!!!」
公爵令嬢とはいえ女子であったジェーンと違い、「ダドリー家の男子」として相応の政治的教育も受けてきたであろうギルフォードの言葉は、なかなかに深い。一幕でメアリーがロジャーに尋ねた「覚悟」、エリザベスがジェーンに突き付けた「自覚のなさ」を、形を変えて「まさかのギルフォードが!」(笑)リフレインするのである。これもまた、コメディながら奥のある、そして今後の展開を暗示する場面だろう。
農民の反乱について「お前は知るはずもないだろう」とギルフォードに嘲笑われ「知識としては存じております」と負けん気200%で言い返すジェーン。(その時の私の心情→「イラァ…ッ」 (-_-#)) ふふ、そりゃ少しくらいは「世間知らずの女の子」にイラッとすることもありますよ。でも、中二だと思えば腹も立たないw (そこか?)
いろいろ思うところはあっても、この場面を通じてのギルフォードの見事なインパクト、前回よりも周囲が振り切れた演技を見せている分?変に浮いたりせず、拍手ものだった。この勢いが、ジェーンの感情を引き出し、父親のジョン・ダドリーの凄みを増している。(ところで、メイクの雰囲気を公演期間の途中で少し変えたのではないかな?)
二幕のギルフォードの見せ場は、「激しい」お芝居で挙げるならば、やはりジェーンの即位を前にしての、父親との激突シーンだろう。田山ダドリー、本気で息子を部屋の壁に叩きつける勢い(セットの壁が揺らぐ!)、容赦なく突き飛ばし、蹴り、殴ろうとする。一幕のDV親父ヘンリーと双璧の恐ろしい迫力。でもギルフォードも足の震えや床に這う細かい芝居を駆使して迫真の場面にしている。二人の台詞も、親子関係というものを改めて考えさせられる。
↑このシーンを怯えきって見つめるジェーンの心に「この人も私と同じなんだ」という、連帯感にも似た愛情が湧き上がったであろうこともよくわかる。今まで「夫」「家族」として看做すことを拒絶していたようにも見えるジェーンだが、このシーンを境に、何かあったら「エレン!」と乳母のところに駆け寄っていたのが、ちゃんとギルフォードに頼ろうとする姿を見せ始めるのだから。
甲乙つけがたいが、ロンドン塔内で「僕は妻と!彼女とともにいる!あいつと…親父と一緒に死ぬのは嫌だ!」と最後までジェーンの名を叫びながら連行されるシーンは、これまた胸を打つ。二幕最初の情けないスカしたお坊ちゃんが、よくぞここまで…というシナリオ的なお得感もさりながら、あの時ジェーンに向かって口にした「覚悟」を、ギルフォードもまた自らに求めていたのだろう。断頭台での別れの言葉よりも、私はこのシーンに至るまでの(一人残る、と宣言してジェーンとともに囚われる)ギルフォードの芝居の方が好きだ。
逆に「日常の一シーン」での演技、この夜の公演で光ったのは「エレンとの関係性の深化」――乳母と新婚の夫、何かとやりづらい二人(性格も合わなさそうだし?笑)…そして二幕、路上で拾った少女ローズを「うちに小間使いとして置いてやってくれ」と悪びれたふうもなく連れてくる場面。(ローズの愛名ミラさん、舞台慣れしない雰囲気が逆に合ってて可愛い…)「ホラ、俺っていいことしただろ?な?なっ?」と得意満面なあたりが、何だか捨て猫を拾って来た少年のようだ。
当然、お母さん(違!)のエレンは怒る…というか怒りを通り越して呆れかえる。なぜならローズは「俺が買おうとした売春婦」だと、ギルフォードは臆面もなく言い放ったからだ。←余談だがここのギルフォードは、かなりかわいい。
エレン「ダメです!新婚夫婦のお屋敷に売春婦を小間使いとして雇い入れるだなんて!非常識にもほどがあります!」(怒ってギルフォードの方にツカツカと歩み寄る。ローズ、怯えてギルフォードの背中に隠れる)
ギルフォード(エレンの剣幕に押されながら)「こいつは売春婦だって言ったけど、まだ体は売ってない。そうだよな?」
ローズ(びくびくと)「はい…わたし、まだ体、売ってない!」
ジェーン(ローズに)「えっ…でも…この人、あなたを買おうとした男なのよ?!」
ギルフォード「だから、聞けよ!道端で客引いてるの見かけてさ。あんまりビクビクしてるから、聞いたら初めてだって言うじゃないか。だったら!体売らずにウチに来て働いたらいい!って連れて来たんだよ!ほら」(と、ローズを前に出す)「『ここに置いて下さい』って言うんだ」
ローズ(涙声で)「あの…ここに置いて下さい…私をここに、置いてください!」(ジェーンとエレン、唖然とする。)
ここで絵的に面白かったのが、ギルフォードよりもエレンとローズのほうが背が高く、長身の女ふたりに挟まれる格好になった彼が「精いっぱい?そっくりかえって」エレンに反論するところ!まさしく悪戯坊主。
ギルフォードは少女が親を亡くした経緯を語り、エレンの顔にもある種の理解と憐みの色が広がっていく。「ね?いいだろ?」と言うように、エレンに目配せして許可を願うギルフォード。女主人の手前、渋い顔のエレンだが、ギルフォードの「意外な一面」に触れたと思ったのだろうか、最初の剣幕は消えている。
ダドリー卿とジェーンの両親の来訪が告げられ、舞台は大きな転換点を迎えるが、この時ローズに「奥に行っていなさい」と言うことで最終的に引き取りOKを出したエレンと、その様子を見送ってから嬉しそうにエレンに頷くギルフォードの「心の通った」表情は、観ているこちらもほのぼのと暖かな気分になる。あくまでもジェーンの背後で行われているやり取りなので、ここはジェーンの視界には入っていないのだが、目立たぬながら登場人物の心の機微が伝わる場面だと思った。これも、初日や二回目では感じ取れなかった、芝居の深化だと思う。
この二人のアイコンタクトと表情の変化を掴んだ状態で、ラスト近くのロンドン塔でエレンがギルフォードについて語る場面を観ると、これまた印象が全然違うことに気付くだろう。
メインキャストだけでなく、すべての登場人物の台詞や所作、表情に意味があり、全てがつながり、見事なアンサンブルを奏でている。
それが、この3月8日夜公演だった。
* * *
(5/5追記 CS放映録画視聴後、当日の記憶と第二幕全般の感想を追って書いてみます)
この場面を境に、女王となることを「受け入れざるを得なくなった」ジェーンの不安と葛藤をよそに、ノーザンバランド公爵ジョン・ダドリー、サフォーク公爵夫妻(ジェーンの両親)、ギルフォードと父ジョンとの激突…さまざまな周囲の思惑が描かれ、そして「正当な地位を奪い返す」野望に燃えるメアリーと破局を回避しようと奔走するロジャー…一気に物語は動き出す。第二幕の後半30分でようやく?という感もなくもなかったが、この日はそれまでの人物たちの思惑や動きにかなり「近い位置で」観ていたせいか、あるいはこちらの「慣れ」なのか、芝居のエネルギーと勢いそのままに感情をのせていくことができた。
民心を得られない女王ジェーンの即位、いやジョン・ダドリーの傀儡政権の本質を見抜いていたメアリーは、素早く行動に打って出る。ロンドンを脱出して挙兵の準備を進める彼女のもとに、ロジャーが現れる。(※上川ロジャーと田畑メアリー、この二人の戦わせる芝居は、初日から私の心をつかんで離さなかったし、最後まで変わらず私の最も愛する場面場面であったことを付記しておく。)
「ジェーンが王位について5日経ちました…5日。議会には貴女を支持する声が多い。聞くところでは、近々兵を率いて蜂起するつもりと…」
ロジャーの問いかけを「ハッ、いったいどこでそんな噂を?」と余裕のせせら笑いでメアリーはかわす。だが「噂ではありません!市民は皆貴女を女王として待ち望んでいる…!」ロジャーは激しい口調で反駁する。
貴女は勝つ。
間違いなく勝つ。
そして…正当な地位を取り戻す。
この言葉を聞いた時のメアリーの顔が、力強さとしたたかさに満ち溢れていて、私はたまらなく好きだった。ロジャーに言われなくても、そんなことは自分が一番わかっている、とでも言いたげな顔。イングランド王とスペイン王女の間に生を享け、生まれた時から「王となるべく」教育を受けてきた彼女にとって、それは「必然」であったにちがいないのだから。
しかし、ロジャーの声に含まれたある響きに、メアリーは「だったら?だったらどうだというの?」と苛立たしげに振り返る。ロジャーは「ジェーンは嵌められただけです、どうか蜂起だけは思いとどまって欲しい」と懇願する。そんな甘いことが通じるわけがない、とお互い分かっていそうなものだが、ここではメアリーのほうが(男であるロジャーよりも)はるかに毅然とした、ある種の「覚悟」を持って事態を見ているのがわかる。
ロンドンを取り戻す時が来た、と戦意に高揚したメアリーの表情は美しい。そして強い。ロジャーを一顧だにせず深紅のドレスの裾を翻すその姿こそ、まさしく「女王」と呼ぶにふさわしい…ブラッディー・メアリー、と歴史に名を轟かせた、後のメアリー1世が「そこにいた」。
ここでメアリーのキャラクターを象徴するような名台詞、「人は生まれながらにして棲というものが決まっておりますのよ。政治家は政治家同士、音楽家は音楽家同士、それぞれに棲を作って交われば良い。他人の場所に無遠慮に踏み込もうとすれば、相応の報いを受けることを覚悟しなければなりません」を思い出す。ロジャーにその覚悟があるか、と問いかけた厳しい眼差しも。女王になることを受け入れたジェーンの「覚悟」とは別に、メアリーの胸にあるこの壮絶なまでの「矜持と誇り」―― ジェーンにはきっと、一生辿り着けない境地だろう ―― が、脳裏にフラッシュバックした。
ロジャーにもそれは痛いほどわかっていたはずだ。わかっていたからこそ、こうしてメアリーに会いに来たのだ。
彼女を翻意させることなど、それこそ「神」にしかできないであろうと、わかっていたはずなのに――。
☆
戦いはあっけなく決着がつき、勝利を手にしたメアリーのもとに現れたロジャーは言った。
「あなたの神に縋りに来ました」、と。ジェーンとギルフォードの命だけは助けてほしい、それだけの願い。
↑ ところで、初日のモソモソとしたウォンバット状態から、上川ロジャーの動きもだいぶキレが出てきて、メアリーの前に裾を払って跪く所作の美しさはさすがwと溜息が出そうになった。こんな男を眼の前に跪かせたら、さぞやいい気分だろう…と。いやいや、実際メアリーも「お祝いに参りました、陛下」と阿るように言上するロジャーに、一瞬だが意外そうな眼差しを向けている。
それでも!!!メアリーは揺らがない。ジェーンの存在そのものが彼女の王権の安定を脅かすと知っているからだ。ロジャーの心に寄り添いながらも、私はこの場面のメアリーの判断が正しいとしか思えなかった。
「反乱を収めるのに何が必要?慈悲かしら?政治はそんな生易しいものじゃない!」
顔色を失うロジャーに「ジェーンが生きている限り、第二、第三の反乱分子がきっと現れる。反乱の目を絶やすには、あの子の首が必要なのです!」と断じるメアリー。おそらく、この瞬間まで彼女のことを「教え子の一人」だとある意味「甘く見ていた」ロジャーの激しい動揺が、「メアリー…いや、陛下!」という台詞に集約されている、と思った。
「おっしゃっていることは…おっしゃっておられることは、よくわかります…!しかし!」
「ならば下がりなさいっ!」
この場面、この台詞。3/8の記憶を手繰り寄せると、それまでも十分にインパクトがあったが、この日はそれまでの芝居の変化率とも相まって、ザワリと血が騒ぐ、ゾクゾクするような殺気に満ちていた。芝居はすべてアンサンブル。この場面が引き立つためにも、演者も観客もここまで頑張らなくてはいけなかったのかもしれない。ここまで忍耐と努力を強いられるってのも、どうかとは思うけど(苦笑!)神の名を借りてまでジェーン(と、ギルフォード)を救おうとするロジャーには、私は決して共感できないだろうと思いながら。
↑ まあ、誰が何と言おうと私の中でこの舞台のMVPはメアリーなので、そこは割り引いて!^^
話はそれるがこの時代、カトリックとプロテスタント(イギリス国教会)はキリスト教の名のもとにありながら、お互いを異教と同じかそれ以上に忌み嫌っていた。その時代背景を踏まえて、メアリーの神と、ジェーン、そしてロジャーの心の内にある「神」が、決して同じものではない、と思って舞台を俯瞰すると、この物語がいかに救いようのないものか、と感じる時があった。
今の人間が思う以上に、己が信じる宗派が人生を、むしろ生命をも左右した時代。
メアリーの突きつけた「救済の条件」は、ロジャーにも、そしてジェーンにも、決して「救い」を意味するものではなかった。
☆
こうして最後の舞台はロンドン塔に移る。
今更だが「ロンドン塔 Tower of London」は、決して世に言われるような牢獄としての機能だけではなく、もともと国王とその家族が居住する「居館」であり、巨大な要塞でもあり、武器や宝物を収蔵する場所でもあった。そして英国王は慣例に従って、即位後の数日間をロンドン塔で過ごすことにもなっていたのだ。舞台ゆえにこのあたりの説明が弱いのは仕方ないが、知っていて見ればもっと面白いだろうとは(いつもながら)思っている。
冬の一日。屋外で本を読もうとしていたジェーンと、洗いものを干しに来た乳母エレンとの会話。ギルフォードとエレンの関係性の変化が、ここでのエレンの言葉つき、話しぶりで痛いほどに伝わってくる。最初は決して快く思っていなかったであろうギルフォードの身を案じるかのようなエレンの台詞は、ただ単に女主人を安心させようとしているだけではなく、彼女がギルフォードの美点を認め、大切に思っていると思わせるに足る情愛を湛えていた。ここも、初日や二度目では全く感じなかったことで、むしろ公演期間の後半に至ってようやく手に触れるように感じられた場面である。ここがあればこそ、この後のギルフォードの処刑場面や、彼の最後の言葉がより胸に迫るわけで、そうした意味ではエレン役の銀粉蝶さん、ギルフォード役の成河さんは、まさしく堀北ジェーンを挟んで鏡合わせのような愛情のあり方を見せてくれたように思う。
そして、虜囚の前女王と、その家庭教師との「最後の対話」は、粉雪の舞うロンドン塔の中庭で始まる。
私が二か月前、3/8に「この日は完全に何かが違う」と思ったそのセリフも、ここにあった。
☆
中庭に立ち尽くすジェーンの前に、メアリーからの「助命の条件」を携えて現れたロジャー。初日以降、この日に至るまでの私の観劇感想を読まれた方は、覚えていらっしゃるだろうか。私が、この場面の「ロジャーの感情表現」に、違和感を覚えていたことを。ト書きをそのままなぞるかのような正確だが心に響かない芝居、それは第一幕、第二幕通して「ロジャーがジェーンに寄せる、さまざまな想い」をまったく!感じ取れなかった!共感すべきポイントが見つけられなかった!ことが理由だった。「ロジャーがそこまでしてジェーンを救いたいと思うほどの、説得力がない。」・・・ロジャーとジェーンの「距離の縮め方」が、舞台全体が大きく雰囲気を変えると、この日までずっとそう思っていた。
プロテスタントからカトリックへの改宗を条件に、命だけは助けてやる、とメアリーは言った。それが何を意味するか…これ以前に信教についてロジャーとメアリーが語った場面で、メアリーの心の奥底に潜む「ある意思」に気づいたロジャーだが、事ここにおいてジェーンの命を救う>信教(内的思想)の自由、になっている彼は、ジェーンの拒絶を理解しない。
王が変わって、言うことが変わって、民衆は天気のように仕方なくそれに従って…直前の場面でそうつぶやいていたジェーンは、頑固で融通が利かないまでも、少女らしい一途さで自分の想いを貫こうとしていた。
そしてロジャーは、かつてメアリーに自分が言われた言葉をそのままジェーンに伝えるように、「賢くなるんだ(方便を使え)…純粋さばかりでは生きてはいられない!」と彼女を説得する。
恐ろしいまでに真摯な目でジェーンを引き寄せ、抱きしめるロジャー。「魂と肉体は一つだ。その肉体が消えれば、魂も消える…!君に、消えてもらいたくない…!」第一幕の優しさと諦観のまじりあった穏やかな所作ではない、むしろ荒々しいまでの声音と眼差しが、この日は空気を伝って最前列にいた私のところまで突き刺さった。
「私は魂を曲げてまで生きたくはない…!」
「今はそんな高尚な哲学の話は要らない!生きるか、死ぬかなんだ…!」
友人とも話していたことだが、「この場面のロジャーは完全に今までの自己否定になってるよね」と。今まで学者として、あるいは王家の教育に携わる者として、ひとつ筋を通してきたであろうロジャー・アスカムという存在の全否定とも取れる言葉。そんなためらいもなく、文字通りなりふりかまわずジェーンに訴える彼の姿は、逆にひどく痛々しい。
(そうまでして、ジェーンを救いたいか、ロジャー・アスカム?)
ギルフォードの処刑を目にして取り乱すジェーンにロジャーは必死で語りかける。「これは陰謀だ、君は周りの陰謀に巻き込まれただけだ、君が望んで選んだ道じゃない…!」だが、「この袋小路から逃げる道はまだある」と言われ、逆に「もう逃げない」と自らの「罪」を自覚するジェーン。
「私が女王になることを受け入れたことの罪、王たる者の言葉の重さを…それに気付くべきだった…私の言葉は、自己愛でしかなかった。保身でしかなかった…!」
ここの長台詞はもともとかなりの聞かせどころなのだが…。
この日、ジェーンの「罪の告白」を聞いたロジャーは、一瞬…いや、ほんの半瞬だけ、言葉を失っていた。
永遠とも思えた、その次の刹那。
私の目前で、爆発するような叫びが響いた。
「今――気づいたじゃないか!!!!!」
劇場内に見えない稲妻が走った。上川ロジャーの、渾身の、血を吐くがごとき叫び。
この日のクライマックスは、あの半瞬の沈黙と、この叫びにこそ宿っていたと思う。これまで観たどの回とも違う。ロジャーの苛立ち、怒り、悲しみ、真摯さ、愛、すべてがこの叫びに込められていたと言っていい、身震いするほど強烈な瞬間。
芝居が、変わった。
ひとつの舞台が「完全に、別ものに」進化した。
演じる役者の魂が役に入って動き出した――今日のこの公演が、まさしく「メタモルフォーゼ」の瞬間だった。
総毛立つ興奮とともに、私は目の前の舞台を見つめていた。
私は、あの思いを余人にうまく伝えるほどの語彙や表現力は残念ながら持ち合わせていない。だが、何度も観てきて、あれほどに恐るべき舞台の瞬間に立ち会ったことはない。
まさしく、神回。
またも舞台に住むという魔物に「魅入られた」、そして上川隆也という役者の底知れない破壊力に触れた、忘れがたい夜になった。ある演目の公演に何度通っていたとしても「舞台の爆発する瞬間」に立ち会える幸運は多くない。また、たとえ『9days Queen 九日間の女王』という作品がDVDという形で残ったとしても、私が観た数々の瞬間は、そこには決して残らない。なぜなら、私の観たいもの、記憶したものと、記録用のカメラが追うものは、絶対に100%一致するはずがないからだ。
私には、忘れがたいもう一つの場面がある。
「ありがとう、ロジャー」
「さようなら……さようなら、ジェーン」
ラスト、ジェーンは『パイドン』を形見としてロジャーに手渡す。魂の不滅をあくまでも信じた、万感の思いを込めた澄んだ眼差しで。震えを帯びた声で、別れを告げるロジャー。そのまま踵を返し、歩き出す…。
「さようなら…!」
ジェーンが後を追うのを必死で堪えた面持ちで、その後ろ姿に一言だけ投げかける。
潤んだ声に、ロジャーの足が止まる。その立ち位置は、まさしく目の前だった。
立ち尽くす姿…その時、私は見た。
照明にも浮かばない、左の目尻からすうっと一筋の涙が零れ落ち、唇が僅かに震えたのを。
「……」
彼は振り返らなかった。
涙が頬を伝い落ちるままに、ロジャーは舞台右手のハケ口に姿を消していった。
それを見送る私も、胸にこみ上げる何かを堪えるのに必死だった。
そしてこの場面は、ついに映像には残らなかった――。
☆
私の記憶には永遠に残るであろう、ロジャーが見せた一筋の涙。
それこそが舞台の醍醐味であり、魔物がもたらす折々の「楽しみ」。
3月8日の夜公演を観られて、本当に良かった…!
今更とはいえ、映像化されたものを見て改めてそう思った次第です。
これだから、舞台通いはやめられない…!(苦笑)