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過去一回あった皇族の「駆け落ち婚」は父親から勘当され、4年で離婚……眞子さまの場合はどうなる?

2021-09-15 10:00:00 | 日記

下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です。

存在した“前例”
 読売新聞(電子版)は9月1日、「【独自】眞子さまと小室圭さん、年内に結婚…儀式は行わない方向で調整」との記事を配信した。
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 秋篠宮の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)が結婚すると報じた、いわゆる“スクープ記事”だった。
 これを受け多くのネットメディアは、様々な後追い記事を配信した。特に出版社・雑誌系のニュースサイトは、お二人の結婚を「駆け落ち」と捉えたものが目立った。その中から、ほんの一部をご紹介しよう。
◆「眞子さま事実上の『駆け落ち婚』へ!貫いた小室さんとの“10年愛”」(女性自身:9月1日)
◆「《ついに“駆け落ち婚”へ》『信じ難い』眞子さま・小室圭さんNY新婚生活に警察内部で動揺広がる」(文春オンライン:9月2日)
◆「眞子さま『駆け落ち婚』であらためて見えた、小室母子の信じられない『非常識さ』」(現代ビジネス:9月3日)
 なぜ、これほど多くのメディアが「駆け落ち」と形容するのか、担当記者が解説する。
「理由は読売新聞の報道です。同紙は結婚だけでなく、眞子さまが『一時金』と『納采の儀』を辞退するお考えだと伝えたのです。そもそも国民の多くは結婚に反対しています。更に前者は1億円を超えると報じられ、世間から反発もあります。後者は一般で言う結納にあたり、婚姻によって家と家の結びつきを示す儀式という側面があります」
駆け落ちと勘当はセット?
黒田慶樹さんと黒田清子さんの婚約記者会見(他の写真を見る)
 国民の貴重な税金は辞退します、結納も必要ありません──この2点から浮かび上がるのは「身一つで、結婚します」という眞子さまの意思だ。これを踏まえ、少なからぬネットメディアが「駆け落ち婚」と報じたわけだ。
「子供が『駆け落ち』となれば、親は『勘当』というケースも少なくありません。かつてのテレビドラマでは、娘が駆け落ちしてでも結婚しようとすると、頑固な父親が『ならば、お前など娘でも何でもない。勘当だ。今後、家の敷居をまたげるとは思うな』と怒鳴る場面がよく放送されたものです。今回の結婚を『勘当婚』と報じたネットメディアもありました」(同・記者)
 2003年に黒田慶樹さん(56)と結婚された清子さん(52)は、もちろん国民の多くが結婚を祝福した。
 黒田清子さんの動静を新聞などの報道でチェックしていると、普通に“実家”へ帰っていることが分かる。
「例えば2019年、皇后の雅子さま(57)がお誕生日を迎えられた際、記念の夕食会が赤坂御所で開かれました。参加されたのは上皇さまご夫妻、秋篠宮ご夫妻、そして黒田清子さんご夫妻でした。20年3月に上皇さまご夫妻が皇居を去られた時も、清子さんはお見送りをしています。また国賓が訪れた際の宮中晩さん会に招待されることも、決して珍しくありません」(同・記者)
“里帰り”の可能性
 だが、もし「駆け落ち婚」、「勘当婚」が現実のものとなった場合、眞子さまは、もう日本に帰国されないのだろうか。そして“実家”へ顔を出すことはないのだろうか?
 皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏は、「『駆け落ち婚』の側面があるのは事実ですが、現実はまた違うと思います」と言う。
「秋篠宮さまと眞子さまは、今でこそ結婚を巡って、親子関係がぎくしゃくしているとの報道もあります。ただ、その前は非常に仲の良い親子として知られていました。結婚が現実のものとなり、それなりの冷却期間を置けば、また父と娘の関係も元に戻ると思います」
 一方、前出の記者は、国民感情を憂慮する。
「例えば、アメリカ大統領が国賓として来日したとします。ニューヨークに住んでいる“小室さん夫妻”が、宮中晩さん会に招待されたとしても不思議はありません。ただ、そのことをテレビや新聞で知った国民はどういう反応を見せるか。やはり諸手をあげて歓迎というムードにはならないでしょう」
久邇宮家の勘当
 皇室について深く取材を重ねてきたベテランのジャーナリストは、「実際に勘当が行われた旧宮家があります」と明かす。
「戦前に11あった旧宮家の中に、久邇宮家があります。昭和天皇(1901~1989)の皇后である香淳皇后(1903~2000)の兄が、久邇宮朝融王(1901~1959)です。その三女が通子さん(87)で、学習院短大を卒業すると、同大英文科の聴講生になりました。そこで男子学生と知り合い、交際がスタートしたのです」
 旧宮家とはいえ、東京・渋谷の邸宅は2万坪超の敷地。おまけに昭和天皇と非常に近い立場だった。まさに“許されざる恋”だったのだ。
「その後、久邇宮朝融王の健康状態が悪化します。そして59年、死の床で父親は娘に結婚は認めることを伝えました。しかし、その際に『今後、家の敷居は二度と跨がないこと』や『他の宮家、皇族との交際も認めないこと』を伝えられたのです。まさに勘当でした」(同・ジャーナリスト)
 通子さんは79年、女性自身の取材に応じ、「駆け落ち婚」の顛末を赤裸々に回想。それを元に記事が掲載された。
眞子さまも把握
 今回、眞子さまの結婚報道を受け、電子版で記事が配信された。「眞子さまと酷似…62年前に“駆け落ち婚”した元皇族がいた!」(7月13日)がタイトルだ。
「記事は詳細なもので、東京・飯田橋の2部屋しかないアパートで新婚生活がスタートしたことを描いています。ところが、夫婦の間で“働き方”を巡る相違点などが浮き彫りになり、駆け落ちまでしたにもかかわらず、夫婦生活は4年で終わりを迎えてしまったのです」(同・ジャーナリスト)
 だが、通子さんは32歳の時に再婚を果たす。職場で知りあった、6歳年下の男性だった。今度は幸せな結婚生活だったようで、今も東京郊外の団地で仲睦まじく暮らしていると記事は報じている。
「重要なことですが、通子さんのエピソードを、秋篠宮さまはよくご存知です。更に宮内庁の担当者が眞子さまにも説明しています。依然として国民の理解が得られない結婚であるのは間違いありません。それを強行するなら、少なくとも勘当は不可欠だという認識は、秋篠宮さまにも、眞子さまもお持ちだと思います。二度と秋篠宮家の敷居をまたげないことになるかもしれません」(同・ジャーナリスト)
デイリー新潮取材班



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