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米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点

2021-03-30 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

日本では聞いたことがない訴訟
「あら、どうして?子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」
ハーバード・ロースクールの家族法の授業で、教壇のエリザベス・バーソレッテ教授が、片方の眉をつり上げる。授業中に英語で質問をされると、心臓が縮む。それでも今日の私は、ここで引き下がるわけにはいかない。なんせ、日本を背負って手をあげたのだから。
発端は授業で習った判例だった。年老いた母は、老人ホームで人生の最期を迎える。母の死後、その老人ホームは介護にかかった費用を精算しようとした。だが、毎年、老女のために使われるはずの財産は息子が使ってしまっている。
そこで、彼女の残りの財産を相続した息子に、ホームは残額を請求した。ところが、息子は自分には支払義務がないとして裁判所で争ったのだ。
アメリカと日本の家族観の違いを感じるのは、こういう瞬間である。すかさず私は手をあげる。
「日本では、こんな訴訟は聞いたことがありません」
勢いにまかせて、私は話し出す。バーソレッテ教授は驚いたように私に尋ねる。
「あら、どうして? 子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」
今度は私が驚く番だ。親子の間で、まず法律上の義務を持ち出すなんて!
「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。
確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」
バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。
「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。
子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」
ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある。
日本の「家」は会社だった
「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」
日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。
江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。
だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。
だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。
長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。
こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。
家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。
「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」
「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」
「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。
個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」
アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。
もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ。
一方、日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。
家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ。
今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった。
社会に色濃く残る「家」という感覚
だが、こういう相続争いの法廷で、私は「家」という感覚が、社会に色濃く残っていることに気づく。例えば、長男次男という序列が慣習として存在する。長男は、幼い頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれてなにかと優遇される。家業を継ぐとすれば、まずは長男が第一候補者だ。
それと引き換えに、年老いた両親は長男が自分の家に引き取って介護をするものだという価値観、これが今でも地方ではそれなりに強く残る。
考えてみれば、日本で社会問題となりつつある親の介護も、「家」という制度の遺物なのかもしれない。
年老いた親が介護を必要とするならば、すでに家を出ていたとしても、まずは子どもが担い手となるべきだ。そういう感覚が日本にはある。老人ホームに入所させる費用を親の貯金で賄うことができなければ、それは子どもが負担するべきだと考える人も多いだろう。
財産が個人にではなく家にあると考える。すると、この価値観はとても自然だ。子どもの財布から親の介護を賄っているように見えて、その実、家の財産から隠居した先代の生活費を出しているにほかならないのだから。そして、同じ制度が続くならば、自分の介護についても子どもに面倒をみてもらえるという期待が生じる。
要するに、同じお財布を共有している人の単位が異なるということだ。日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。
一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ。
そういう全体像の下で、ロー・スクールの教授は、「子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」と私に問うた。そして、法学部の教授は、「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」と指摘したのだ。
「個人の時代」へ踏み出そうとしている日本社会
そう考えると、アメリカのロー・スクールでの授業風景が異なったものに見えてくる。日本の子どもたちに思いやりがあって、アメリカの子どもたちは年老いた親に冷淡だという、そういう国民性みたいな話ではない。これは、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いなのだ。
アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。
夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。
「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう。
山口 真由 : 信州大学特任准教授



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