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雅子さま57歳のお誕生日 愛子さまとの母子19年間の歩みを振り返る&眞子さま・佳子さま事情

2020-12-10 10:53:43 | 日記

雅子さま57歳のお誕生日 愛子さまとの母子19年間の歩みを振り返る&眞子さま・佳子事情

 
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11月30日の秋篠宮さまのお誕生日に際しての記者会見は、眞子さまのご結婚を認める発言が注目を集めた。
 ご結婚を願う眞子さまのお気持ちや秋篠宮さまの父としての胸中に思いをめぐらし、多くの人びとが心を痛めていたことだろう。
 しかし、その翌日の12月1日には、愛子さま19歳のお誕生日映像が公開され、愛犬の由莉とともに赤坂御用地のお庭を散策される初々しい笑顔に、日本中が癒されたのではないだろうか。
 そして今日、12月9日、雅子さまは57歳のお誕生日を迎えられた。
 雅子さまはコロナ禍による国民の苦境に心を寄せられるお気持ちを綴り、愛子さまについてこのように触れられた。
「愛子は、今年学習院大学文学部日本語日本文学科の1年生になり、先日19歳の誕生日を迎えました。早いもので来年には成人することを思いますと、幼かった頃のことも懐かしく思い出され、感慨深いものがあります」
 雅子さまと愛子さまの、母と子の19年間はどのようなものだったのだろうか?
■愛子さまご誕生の時を振り返る
 天皇皇后両陛下の一人娘・敬宮愛子さまは、平成13年12月1日、皇居内にある宮内庁病院で産声をあげられた。
 1週間後の12月8日、ご出産という大任を果たされた雅子さまは、その腕に小さな愛子さまを大事に抱きかかえ、病院職員たちの見送りを受けて無事ご退院。
 赤坂御用地の東宮御所にお帰りになる車列は、さながらパレードのようになって、麹町から四谷見附まで、沿道には大勢の人びとが日の丸の小旗を振り、愛子さまのご誕生を祝った。
 当時、皇太子だった天皇陛下は後列右側に座わられ、雅子さまは沿道の人びとからよく見えるように左側。愛子さまはお二人の真ん中にはさまれるように据えられた、チャイルドシートで眠っておられるようだった。
 手を振る雅子さまのお顔は、ほっとしたような満ち足りた幸せな面持ちをたたえていらっしゃった。
 このご退院の前日、皇居では愛子さまの「命名の儀」が執り行われた。お名前は上皇さま直筆の書にしたためられ、それを菊の御紋が施された漆塗りの文箱に入れて、関係者の手によって東宮御所に届けられたのである。
 その後、宮内庁から新宮さま(愛子さま)のお名前が発表された。
「12月1日ご誕生になった内親王殿下は、御名を愛子と命ぜられ、敬宮と称されます」
 名前と称号は中国の古典「孟子」からとられ、敬愛の心を深く身に付けてほしいとの願いがこめられていたとか。
■雅子さまの愛子さまに寄せる思い
 そしてご退院翌日の12月9日は、ちょうど雅子さまのお誕生日。愛子さまがお生まれになった8日後に、雅子さまは38歳を迎えられたのであった。
 翌年の愛子さまご誕生会見で、雅子さまは涙ぐみながら、こう述べれられた。
「無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」
 21世紀に誕生した初めての皇族として、愛子さまは未来の希望とともに、両陛下のもとへお生まれになった。
 その小さな命は、ご家族の愛情に満ちた物語を紡いでいった。
 ご一家での那須のご静養では、陛下が愛子さまを背負って沼ッ原湿原をハイキング。
 以来、毎年夏のご静養は那須で過ごされるようになり、駅に到着されると、集まった多くの人びとの前で愛子さまがお手振りされるのが恒例となった。
 筆者が構成を担当するテレビ東京「皇室の窓」では、愛子さまの那須でのお手振りを時系列に短く繋いで放送したことがあるが、はっきりと成長ぶりが分かり、視聴者の反応はとても好評だった。
 無邪気だった赤ちゃんの頃から、自我が芽生え始めはにかむようになるものの、少しずつご自身のお立場を受け入れ、やがて堂々と出迎えの人たちと触れ合うようになっていかれた。
■12月に生まれた母と子の絆
 雅子さまは、そうした愛子さまの横で静かに見守られ、陛下はいつも気さくに人びとの中へ分け入って行かれていた。
 那須で待ち受ける人びとの表情も、愛子さまの名前の由来となった敬愛の思いをあふれさせていた。
 こうしたご一家に寄せる人びとの温かな雰囲気が、雅子さまの心を解きほぐし、また愛子さまの健やかなご成長が雅子さまのご体調の回復へとつながったのではないだろうか。
 天皇ご一家のスケートご指導に当たっていた長久保初枝さんが、雅子さまと愛子さまの愛情が通う、こんなエピソードを話してくれた。
 それは、愛子さまが幼い頃、雅子さまと一緒にスケートを習われていた際、体調がすぐれない雅子さまがリンクサイドでお休みになられていた。
 その時、愛子さまは雅子さまのご様子に気づき、すぐにお母様の傍に寄り添われたという。
 雅子さまを気遣う愛子さまと、そんな愛子さまを愛おしく抱きしめられる雅子さま。
 そこには、強い絆で結ばれた母と子の素朴なお姿があったという。
 今年はコロナ禍によって多くの公務が中止や延期となり、両陛下がお出ましになる機会は少なかったが、来年は増えてほしいものだ。
 それに愛子さまも来年は20歳。成年皇族となって公務も始められるが、きっと雅子さまをおおいに助けてくれる存在になられることだろう。
 愛子さまが生後間もない頃、雅子さまが詠まれた御歌のように、希望の光となることを祈らずにはいられない。
「乳母車 おして歩めば みどり児は 光あふるる 空にまばたく」
(愛子さまが生後3、4カ月の頃、雅子さまが詠まれた御歌)
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20201209-00211476/

小室圭さん、母親の元婚約者「返金諦める」も眞子さまとの「結婚辞退」 する可能性

「11月13日に眞子さまが“お気持ち文書”を出された3日後、“今後は返金を求めません”といった趣旨のメールが届きました。文書を読んで、眞子さまと小室圭さんの“障害”になりたくないと、決心したのだと思います」 【写真】ブロンドの美女とコスプレを楽しむ小室圭さん  そう話すのは、小室さんの母親・佳代さんの元婚約者で、400万円超の金銭トラブルを抱えていた竹田さん(仮名)の代理人男性。 「昨年7月に小室さん側の代理人弁護士と初めて面会し、その後、私は10数回お会いしました。  竹田さんが求める“貸した全額の返済”と“佳代さんと直接話したい”という2つの希望を伝えましたが、毎回、反論されるだけで進展はまったくありませんでした。  結局、昨年末には竹田さんから“もう返金請求はしないので、交渉を終わらせたい”という意向を受けており、こちらから終止符を打つことになったのです」(同・前)  11月30日発売の『週刊現代』にも、竹田さんが「もうお金はいりません」という“声明”記事が掲載された。  一向に進展しない話し合いの中で、70歳を越える竹田さんの体力と精神は限界に達して“泣き寝入り”する形に。  誠意ある態度とは言えなかったという小室さんサイドへの思いを聞くため、12月初旬の早朝、出勤時の竹田さんに話しかけると、 「代理人に任せてあります」  と、普段の柔らかい雰囲気とは違い、険しい表情でうつむきながら最寄り駅まで淡々と歩き、記者からの問いかけに答えることはなかった。
問題の本質に触れていない
 象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の准教授・河西秀哉さんは、今回の元婚約者の“白旗宣言”と、先日公表された眞子さまの文書について、次のような見解を示す。 「小室佳代さんの元婚約者が“返金を求めない”と宣言されましたが、これは秋篠宮さまが求められている決着ではありません。  お金の問題を解決すればいいのではなく、かなりこじれてしまったことが問題であり、納得していない多くの国民に対して説明することを求められています。  眞子さまが出された文書には強烈な表現も使われていましたが、金銭トラブルに関しての説明はいっさいなく、問題の本質にあえて触れていないように感じます」  今後、おふたりが会見などを開くことが必要になるとの見方があるが、ある宮内庁関係者は驚くべき話を口にする。 「実は、秋篠宮さまが最近“小室家が婚約を辞退する可能性もある”と、周囲に漏らしているようなのです。  小室さんの最大の目標は、国際弁護士の資格取得。実際、殿下が求める課題をクリアするための行動をとっておらず、婚約の優先順位が低くなっているように思えます。  これだけ国民から批判される縁談となってしまい、小室さんとしては“せめて国際弁護士になる夢を叶えなくては……”と考えてもおかしくありません」(宮内庁関係者)  日本で矢面に立たされている眞子さまをよそに、自分の目標へと一心不乱に見える小室さん。彼はこれまでもずっと“夢追い人”だった──。
一生懸命に仕事する雰囲気ではなかった
「圭くんは3歳から小学5年生まで地元のバイオリン教室に週1で通い、自宅でも日々練習を重ねていました。 『国立音楽大学附属小学校』に入学して“音楽家”を目指したそうですが、途中で限界を感じたのか、中学からは『カナディアン・インターナショナルスクール』へ。  最初は英語に苦戦したと聞きましたが、中高6年間でしっかりと勉強して身につけたそうです」(佳代さんの知人)  中学生のころには、音楽とは別ジャンルの挑戦を始めた。 「中学生くらいのとき、週1ペースで絵画教室に通っていたんです。圭くんは昔から絵を描くことが好きで“画家への憧れ”を抱いていたのでは。  お母さまは常日ごろから“息子にはいい就職先を見つけてほしい”と話しており、中高のインターやICU(国際基督教大学)に圭くんが進学したのも、佳代さんの意向でした」(同・前)  '10年9月にICUへと入学する直前、小室さんは『湘南 江の島 海の王子』に選ばれ、1年間にわたって藤沢市のPR活動に携わっていた。 「応募のきっかけは“アナウンサーになりたかったから”で、実際に大学2年の10月からはアナウンススクールに3か月間、入校しています。  『海の王子』時代は、藤沢市内のイベントを盛り上げたりしていましたよ。  “将来はグローバルに活躍したい”としきりに熱弁していましたが、具体的に何をやりたいのかはよくわかりませんでした」(小室さんの知人)  ICUを卒業後、グローバルに活躍したいという言葉を胸に抱きつつ『三菱東京UFJ銀行(当時)』に入行し、丸の内支社の法人営業部に勤務。 「正直、彼は一生懸命に仕事する雰囲気ではなく、デスクにいても上の空でした。  トイレで会っても視線を合わさず、こちらから話しかけても無視されて、嫌われていると思っていましたが、私だけでなく、ほかの人に対しても同じような対応だったそうです。いつもぼーっとしていたのは“ここは自分の居場所ではない”と思っていたのかな」(銀行員時代の元同僚)  案の定、約2年半で銀行を去った小室さんは昼に『奥野総合法律事務所』でパラリーガルとして勤務しながら、夜は『一橋大学大学院』で経営法務を学び始める。
いろいろな夢を追いかけては諦めてきた
 '18年2月に眞子さまとの婚約が延期された後も、新たな夢を諦めることはなかった。 「'18年3月に大学院が修了し、その8月にはニューヨーク州の弁護士資格を取得するため、3年間のアメリカ留学へ旅立ちました。国際弁護士が最終的に導き出した“答え”なのでしょう。  ただ、結婚問題に関しては、金銭トラブルへの見解を述べた文書を1枚出しただけであとは眞子さまに任せきり。殿下が以前から求められている条件をクリアしようという気持ちが感じられないままです」(皇室ジャーナリスト)  そんな小室さんに対し、助言できる人物は誰もいないのだろうか……。  小室さんの父親は'02年に不幸な死を遂げているが、神奈川県に住む小室さんにとっての叔父に話を聞こうと自宅を訪れると、妻と思しき女性が対応してくれた。しかし、 「(小室家とは)まったく交流がないので……。すみませんが、何もお答えすることはありません。穏やかに暮らしたいので、もう2度と来ないでください」  と取材を拒否。小室家は親戚付き合いも希薄な様子だ。 「彼は関係者に“一時帰国する”という旨を伝えているそうで“結婚を辞退するのではないか”という話が浮上しているといいます。  “結婚は必要な選択”だと眞子さまは述べられていますが、結婚に執着しているのは、もはやおひとりだけなのかもしれません」(秋篠宮家関係者)  音楽家、画家、アナウンサー、銀行マン、国際弁護士……。いろいろな夢を追いかけては諦めてきた小室さん。  眞子さまを絶句させてしまう“その日”は訪れてしまうのだろうか──。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc4a5e3e1a350fc072d1a1131dfe29a9b4fcacd6

佳子さまのお相手に「東京農大出身の男性」が浮上 小室圭さんとはずいぶん違うその素顔
 昨年3月に国際基督教大学(ICU)をご卒業された際、秋篠宮家の次女・佳子さまは〈理想の男性像については、一緒にいて落ち着ける方〉とご自身の結婚観を表明されていた。そんな佳子さまの周辺で、“ある一人の男性”の存在がクローズアップされているという。 【秘蔵写真】「眞子さま」の腕にしがみつき寄り添う「佳子さま」(2歳)が愛らしい  ***
 秋篠宮家の事情を知る関係者が言う。 「佳子さまについては数年前、富士急行の御曹司との交際が報じられたことがありました。この男性は、中学まで通っていた学習院で眞子さまと同級生にあたり、ご家族同士も旧知の間柄でした」  その後、男性の海外転勤などもあり交際話は立ち消えとなった。打って変わって現在、佳子さまの周辺では“留学仲間”の男性の存在がクローズアップされている。佳子さまはICU在学中の2017年9月から翌年6月まで、イギリスのリーズ大学に留学。同時期に日本から来た留学生らと意気投合され、帰国後も交流が続いているという。そして、その中の一人に、 「東京農大出身の男性がいます。彼は理系のため、留学中はキャンパスが離れていましたが、佳子さまは留学生グループを交えてコミュニケーションをお取りになっていて、帰国後も定期的に連絡をなさっています」(同)  東京農大といえば、長らく秋篠宮さまが客員教授を務めておられ、また紀子妃の弟も准教授として在籍。さらに、悠仁さまの進学先としても附属の東京農大一高が取り沙汰されるなど、秋篠宮家“ご公認”ともいえる大学だ。  “ご公認”といえば、その筆頭は学習院であるわけだが、 「眞子さまが小室さんと出会った場をとやかく言うわけではありませんが、かりに学習院大に通っておられれば、ああした男性と深い間柄になるようなことはなかったでしょう」(同)
 ご留学を機に知り合ったという点では、姉の眞子さまと小室圭さんも同じだ。しかし、 「東京農大の海外協定校はイギリスに二つありますが、リーズ大は入っていません。つまり男性は専門分野の勉強のため、大学の制度に頼らず、独自に留学先を探したというわけです」(同)  小室さんは大学3年時に、ICUの交換留学の提携校であるカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学。比較すると、今回クローズアップされた男性は、より志が高かったようなのだ。12月10日発売の週刊新潮では、秋篠宮両殿下が慎重姿勢を見せる佳子さまのご結婚事情について報じる。 「週刊新潮」2020年12月17日号 掲載


https://news.yahoo.co.jp/articles/7ad392e960f84f95e0b02601fd1f1121d92cdaf5

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