下記の記事は日経ARIAからの借用(コピー)です
尊敬していた母 嫌悪し始めたきっかけは両親の離婚
両親は、どちらも教師でした。母は、小学校の国語の先生。地元では有名で、当時通っていた学校のいろんな先生に「青木先生のお嬢さんよね」と言われるくらい、みんなが知っている人でした。幼い頃は、そんな母を尊敬していましたね。
母は、固定観念が強い人でした。「今日は雨だから嫌だね」「この人は大学に行っていないから、かわいそうだね」「公務員になれば、幸せよ」。幼い頃は、母親って絶対的な存在ですから、「母の考える価値観」を植え付けられて育ったように思います。
小学生の頃だったか、母と、母の友人宅へ遊びに行ったとき、「昨日、お父さんとお母さんがけんかして、お茶わんが飛んだんだよ」と話したことがありました。母はその場では何も言わなかったけれど、帰りの車の中で「人前でうちの恥を言わないの!」とひどく怒られました。家庭の事情は人前で話すことではない、と思っていたのでしょう。それ以来、母の前では「これを言ったらどう思うかな」と常に気にしながら話すようになりました。前編のお悩みで「母の考えを気にしてしまう」とおっしゃっていましたが、とてもよく分かります。
母に褒められた記憶がない
母との記憶は、とにかく「褒められなかった」に尽きますね。
たとえば5段階評価の成績表で、5が多かったなかに4が少し混じっていた。これは褒められるだろうと思っていたら、「4がいくつかあるね」「この前は5だったのに、4に下がったね」と言われる。褒められると思って見せたものが、全て褒められなかった、という印象が強く残っています。母はとても優秀な人でしたから、できて当たり前だと思っていたのかもしれませんが……。
その当時は母を尊敬していたし、自慢でした。そんな自慢の母から褒められたかった。絶対的な存在である母が、褒めてくれず否定するということは、自分は劣っているのではないか? と幼心ながらに思っていました。
そんな母に対して嫌悪感を抱くようになったのは、私が高校生のときでした。
両親の離婚 母を受け入れられなくなった
母に対して嫌悪感を抱くようになったのは、両親の離婚がきっかけでした。なにより世間体を大事にする人だと思っていた母が離婚した。それって言っていることとやっていることが違うじゃないか? と思ったんです。
それまで私は、母というものは「絶対的に子どもに愛情を注ぐもの」「子どものために生きるもの」だと、思い込んでいたんですね。でも、彼女は母としてではなく「一人の女性」「一人の人間」として生きようとしている。それを受け入れられませんでした。
嫌いとか、そんな軽いものじゃない。生理的に受け付けなくなった、が近いかもしれません。それからは、必要最低限な会話以外、ほとんど口をききませんでした。私のほうが母を完全にシャットアウトしていましたね。
言いたかった言葉は「さみしかった」
「さみしい、の一言が言えなかったですね」
私には、3歳年下の弟がいます。彼は、子どもの頃体がとても弱く、入退院を繰り返していました。母は教師の仕事もして、弟の入院にも付き添って。それもあって一緒に過ごす時間が少なく、私は「愛情を注いでもらえなかった」と思っていました。
母は23〜24歳の頃に私を出産していますので、小学生低学年のときはまだ30歳くらい。今考えると、私にかまう余裕なんてなかったと思います。
私はそのとき、母に「さみしい」の一言が言えなかったんですよね。「恥ずかしくて弱い部分は他人に言ってはいけない」という母の価値観の前で、「さみしい」なんて言えなかった。
言えないことが問題であることにも、幼かったので気づけませんでした。言いたいことがあったのに言えなかったから、母も私の気持ちに気付かなかった。だから、悩んでいるのなら、勇気を出して自分の胸の内を伝えてみればいいのでは、と思います。
母との過去の記憶をゼロにした
そんな母が亡くなって、1年ほどになります。
私は今、NPOの「動物愛護の友 TWFの会」で動物愛護の活動をしているのですが、その創立者の方と話したときに、「親と仲良くしたほうが、自分が楽になれるよ」と言われたんです。「そんなの、頭では分かっているけれど、なかなかできないんですよ〜」と返したけれど、何となく今ならできるような気がして。亡くなる2カ月ほど前に、母はホスピスへ入院。意を決して、お見舞いに通うことにしました。
母とのこじれた関係を修復するために取った行動は、「過去の記憶を一旦ゼロにする」。母を嫌う理由の一つが、過去の嫌な経験が頭の中に入っていることでした。やってみたのは、「どうせ○○したって、母はこう言うはず」と、最初から返ってくる反応を想定しない。答えを何も期待しないようにしました。
すると、母は素直になったんです。今まで私が「母はきっとこう言うだろう」と固定観念を持っていたから、母から聞きたくない言葉を引き出していたのではないか、と思ったくらい。自分が変わると、相手も変わる。そのほうが早いんだなと気づきました。人って変えられないですからね。
いろいろなお母さんとの記憶があるでしょうが、まずは一旦ゼロにする。母親からの反応を期待しない、想定しないというのをやってみてほしいと思います。
死んでもできる親孝行
「今はもう私のなかで母との確執は消滅して、全ていい思い出になってきています」
今私は、「死んでもできる親孝行」を実践中です。それは「私が楽しく笑いながら生きる」ということ。
どうやったら笑いながら生きられるかというと、「人として間違った道に進まない」「人に迷惑をかけない」、この2つです。実践するうちに、昔は「何をしていても楽しくなかった」のに、今は「何をしていたって楽しい」に変わりました。自己肯定感も随分高まりましたね。
親との関係が悪かったときと、関係が良くなってきたときの心の持ちようは、全く違うものでした。全ては母親との関係に尽きるんじゃないか、と私は思うんです。「親と仲良くなったほうがいいですよ」なんて、軽々しくアドバイスするつもりはないけれど、私は楽になりましたね。
母との関係が修復されると、過去の「褒められなかった」という思いも、「それは母に愛されていたからだ」と変換できるようになりました。褒められなかったのは、注意を受けたという愛。愛されていた事実だった、と気づいたんです。
今になって、母は私のことを思って生きたんだ、と思うんです。決して私が憎かったのではなく、娘のことを第一に考えて生きてきたのではないか、と。それを否定して生きてきた数十年を、私は悔いています。
けれど今は、「反省は一瞬」、あとは「行動」するようにしました。反省も、悔いることもあるけれど、それは短い時間で済ます。
頭の中で考えただけで物事が解決するなんてこと、ないですよ。私はあのとき、行動してよかった。だから一歩踏み出してもらいたい。自分が楽しく幸せに暮らしているとき、母親のことなんて忘れてしまいますよね。今まで、嫌っていてもずっと母のことを考えていた。これからは、楽しく笑いながら生きていきたいですね。
青木さやかさん
愛知県生まれ。タレント、俳優。フリーアナウンサーとして名古屋を中心に活動後、バラエティー、ドラマ、演劇で活躍。NPO法人『TWFの会』で動物愛護活動に参加。
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