化粧品の成分おたく さえぽんの日記 (2017年7月化粧品成分検定1級【上級スペシャリスト認定】所得しました)

毒判定 1~3 ①★の時天然エキス等CAS有
天然×天然素材合成☆彡
or
天然×石油合成?成分名だけでは不明★①

18年前の裁判書類を整理した。

2017年07月20日 23時00分45秒 | 回想

18年前の裁判書類を整理した。

息子が3歳から4歳にかけて息子の親権を争った裁判記録だ。

5cm程の厚みのあるファイルが余ったので、意を決して一つにまとめようと試みたが・・・・・。

資料が多すぎ。

厚み9cmファイルを買って来た。

全てがきれいに収まった。

当時息子は間に挟まれた。

3歳から4歳にかけて両親とその家族の狭間でつらい思いをさせた。

この書類は息子が将来知りたければ見ればいい。

必要なければ捨てるだろう。

 

息子の父親(元夫)のお父さんはいい人だった。

最後にした会話

義父「そんなにKはだめか?」

私「〇〇家の中では幸せなのでしょうが、このままでは借金を繰り返し続けます。子供が居るのだから、私たちも自立しなくてはいけないと考えています。」

義理父「子供は火の中に入っても親が守るものだ。あなたは親に育てられていないからわからないかもしれないが・・・・」

私「子供が悪いことをしたら、それを正すのが親の責任だと私は考えています。お父さんには本当に良くしてもらい、こんな事になり申し訳ありませんが私はTをKのようにはしたくありません」

 

家を出た時の元夫と息子の会話

父親「ママと一緒に行くとパパに会えなくなるんだぞ」

息子「じゃあパパも一緒に行こう」

父親「パパは行かない」

息子「じゃあ僕はママと行くね」

 

発端は相手方の借金癖。子供が居るんだから借金をする事を辞めるように言う私と

相手方の両親と独身の義理の姉の考え方が違っていた。

相手方は息子の借金は親が返せばいい。何度も相殺しているらしい。

私が借金返済の為に小遣いを制限したから借金が増えるのだと。

そんな中、子供の為にも何とかしないと、と数年過ごしたが、

この考え方の違いは子育てに関する価値観の違いとなり、

子供にとって一緒に居ることが悪影響と私は判断した。

婚姻期間も短く特別な財産は息子のみ。

息子の親権は譲る気は無かった。

相手方も同じ考えのようだ(本人よりも両親と義姉)

親権を巡る調停の手続き始めた。

ところが家を出てから数週間後、

忘れもしない10月10日体育の日、近くの河原で叔父に息子と遊んでもらっていた時に息子が連れ去られた。

元夫の家族4人が来た。

そして息子の気を引き子供を連れて行こうとした。

警察に行こうと言う叔父の言葉に頷いた。

叔父が力を緩めた瞬間息子を抱き上げ走り出した。

いきさつは長くなるので省きますが、調停の支度中に起きた家族間事件。

審判の申したてをした。

家事事件 子の監護者の指定及び引き渡し申し立て事件。

離婚調停又は裁判中にどちらが子供を看護するか。

弁護士さんに多くの事例として、離婚裁判の解決まで結論が出ないと言われた。

納得できずに申し立てをお願いした。

最初に裁判所に出向き、申し立て内容について調停員と話した時

相手方の家族の話が出たところで、調停員に「離婚は夫婦の問題です。家族は関係ありませんよ」と言われた。

私「私もそう思っています。でもあちらは関係あるようです」

その後相手方と調停員が話をした。

そして私の言葉の意味が明らかになったのだと思う

1か月待たずに審判が下りた。子供を母である私に返すように。

この手の審判に判決が下ったのは、県下では戦後2回目の判決だったらしい。

私の弁護士さんも驚いていた。

「相当色々出てくるでしょうね」と言われた。

相手方はこの結果に不服、弁護士を立てて最高裁判所に審判決定結果の棄却を申し立てしたが、すぐに却下されてきた。

私が美容師免許を持たずに美容師をしていると説明したそうだ。その他も捻じ曲げられた説明があったらしい。

すぐに美容免許と管理美容免許を証拠に出した。

相手の弁護士さんからも謝罪の言葉が届いた。

相手方が出してくる陳述書の内容について、出しても意味のない内容だと伝えたが、

出さないと納得できないと言う事なので、届いたものはすべて出すと。

勿論内容は私の誹謗中傷と、母親が居なくても子供が問題なく育っていると言う証拠写真の数々。膨大な量だ。

私の弁護士さんが指した相当色々出てくるんでしょうね。

が正にこの陳実書を指したのだろう。

今回まとめながら気が付いた事がある。

その陳実書には元夫の言葉は一切なく、義理の姉が全部裁判資料を作っていた。

私が出した分は10分1にも満たない。

子供の引き渡し時に、裁判所で1度だけ元夫と顔を合わせた

「親に育てられていない私には子供は育てられない」

裁判所で出たその言葉に「それは私のせいではありません」

またそれか・・・・・。

この間、私を支えてくれたのは育ての両親だった。

叔父にはつらい思いをさせた。

私は産みの親にこの事は一切伝えていない。

伝えれば嫌な思いをさせるだろうし、

経験上、短気な両親が裁判に関わればまた複雑になる。

 

あ~頑張ったな私

息子も就職も決まった。

少しあまちゃん君が気がかりだが、生計を立てて一人暮らしをしている。

あ~あれから18年。年を取ったな~