ーロシア外務省のザハロワ情報局長が2023年8月2日の記者会見で、1945年8月9日の第2次世界大戦終戦間近における対日参戦を「日本の主要領土で何百万人もの日本人の命を救った」として、改めて正当化した(NHKの報道より)ー
日本にとって1945年8月9日と言えば阿鼻叫喚たる惨状となった連合国による8月6日の広島への原爆投下に続き、その矛先が長崎にも向けられ驚天動地的な苦しみを味わった日。敗戦というかたちでの終戦を迎え入れざるを得ないきっかけとなった祈念日といえる。
また、旧ソ連が日ソ不可侵条約というものがあるにもかかわらず連合国による広島、長崎への原爆投下計画を知り、不可侵条約を一方的に破棄し日本へ忽然と宣戦布告し侵攻を始めた日でもある。
旧ソ連はその後、武器を捨てた日本兵やその家族を極寒の地「シベリア」へと連行し長年にわたり抑留、食べ物や着るものをろくに与えずシベリア鉄道の敷設労働を強制した。連行された数は約58万人、そのうち1割が過酷な労働状況と飢えや寒さに苦しみながらツンドラの地に命を落としていったという。
広島や長崎に原爆が投下されることを知りながら阻止しなかった、丸腰の日本兵や家族を連行し食料や暖を与えず強制労働をさせた、そんな国の情報局長が「日本の主要領土で何百万人もの日本人の命を救った」と言えるのか。逆に、旧ソ連、現ロシアの経済的発展、社会的インフラの基盤を担うシベリア鉄道を築いたのは旧日本兵だ。その屍が今でもシベリ鉄道を支えているはずだ。
(このように、一つの事象を採ってみても取り巻く環境や考え方、教育の違いから互いに相いれない見解が生じてしまう)
世界には様々な人種や民族が存在しそれぞれの社会を形成している。考え方も違えば文化や風習、教育、食生活に至っても違いはある。だからこそ、かけがいのない唯一の地球においては、ほろ苦い連鎖の中で話し合い共通する目的や意義を見出すべきではないのか。
時間という列車は、今日も、過去から継いだ線路の上を未来に向かって走り続ける。我々現世を生きるものは次世代へと継なぐ線路の指針、そして、その上を走り続ける列車には何を積み込めば良いのかを常に考えていかなくてはならない。
日本にとって1945年8月9日と言えば阿鼻叫喚たる惨状となった連合国による8月6日の広島への原爆投下に続き、その矛先が長崎にも向けられ驚天動地的な苦しみを味わった日。敗戦というかたちでの終戦を迎え入れざるを得ないきっかけとなった祈念日といえる。
また、旧ソ連が日ソ不可侵条約というものがあるにもかかわらず連合国による広島、長崎への原爆投下計画を知り、不可侵条約を一方的に破棄し日本へ忽然と宣戦布告し侵攻を始めた日でもある。
旧ソ連はその後、武器を捨てた日本兵やその家族を極寒の地「シベリア」へと連行し長年にわたり抑留、食べ物や着るものをろくに与えずシベリア鉄道の敷設労働を強制した。連行された数は約58万人、そのうち1割が過酷な労働状況と飢えや寒さに苦しみながらツンドラの地に命を落としていったという。
広島や長崎に原爆が投下されることを知りながら阻止しなかった、丸腰の日本兵や家族を連行し食料や暖を与えず強制労働をさせた、そんな国の情報局長が「日本の主要領土で何百万人もの日本人の命を救った」と言えるのか。逆に、旧ソ連、現ロシアの経済的発展、社会的インフラの基盤を担うシベリア鉄道を築いたのは旧日本兵だ。その屍が今でもシベリ鉄道を支えているはずだ。
(このように、一つの事象を採ってみても取り巻く環境や考え方、教育の違いから互いに相いれない見解が生じてしまう)
世界には様々な人種や民族が存在しそれぞれの社会を形成している。考え方も違えば文化や風習、教育、食生活に至っても違いはある。だからこそ、かけがいのない唯一の地球においては、ほろ苦い連鎖の中で話し合い共通する目的や意義を見出すべきではないのか。
時間という列車は、今日も、過去から継いだ線路の上を未来に向かって走り続ける。我々現世を生きるものは次世代へと継なぐ線路の指針、そして、その上を走り続ける列車には何を積み込めば良いのかを常に考えていかなくてはならない。