現場の仕事が午後2時過ぎまでかかってしまったので、昼飯は同僚のT君と事務所へ帰る途中に姫埼灯台で食べることにした。同僚のT君は助手席で「姫埼灯台といえば、測量会社に勤めていた頃にここに三角点があるということで探しに来たことがあるよ。結局いくら探しても見つからなかったので諦めて帰ったんだけどね」などと話していた。
最初は姫埼灯台の駐車場で弁当を食べるつもりだったのだが、天気が良かったので姫埼灯台館という建物の周辺がキャンプ場になっていてコンクリート製のテーブルがあるのを思い出し、そこで海を眺めながら食べることにした。

こういうロケーションで食べる愛妻弁当は、もちろんいつも美味しくいただいているが格段美味しく感じる。隣のT君もたぶん彼のおふくろさんが作ってくれた弁当を美味しそうに頬張っていた。

弁当を食べ終えると公園の芝生で昼寝でもしようかと思ったが、目の前に竜王岩が浮かんでいたので腹ごなしにもう少し下まで降りてみることにした。ちなみに竜王岩というのは、目の前にあった佐渡百選によれば「両津湾の入り口の姫埼灯台の先に見える巨岩。佐渡へ流された順徳上皇が舟遊びの最中に誤って落とした短刀を、海中から竜王が刀を捧げて現れ上皇に差し出し、喜んだ上皇が竜王岩と名付けた等の伝説が伝わる岩」なのだそうだ。
公園に降りて行く途中にちょっとした観光地であればどこにでも設置してある周辺の風景の説明版があった。佐渡をまん中にして遠くは中国の黒竜江省やフランスのパリなどという都市の名前も親切に書き込まれてあった。

姫埼灯台館の周辺の植え込みにはドライフラワー化した紫陽花が海の方から吹きあがってくる風に微かに揺れていた。紫陽花は白っぽいのと赤っぽいのがあった。

ドライフラワー化した紫陽花


さらにコンクリートの階段を下まで降りていくと澄み切った秋の海を眺めていると、岩の間を掻い潜ってきたうねりが行き場を失い赤茶けた岩場にぶつかり白い波飛沫をあげていた。

その岩場には壊れたままになっている遊歩道があった。何年か前にもここに来た時にも同じように壊れたままの遊歩道が横たわっていた。

壊れたままになっている遊歩道
もちろんその遊歩道には「立ち入り禁止」の看板とともに有刺鉄線が張ってあり、観光客などが容易に立ち入ることが出来ないようになっていた。ここを管理する者にとってはせっかく改修工事をしても、またすぐに冬の時化で木っ端微塵になってしまうのだから無駄なことだし、こんなところに遊歩道を作っても経済的効果はこれっぽっちもないと思っているのかもしれないけど、ただ私としてはもしこの遊歩道が壊れていなければ、岩場伝いに無人島のような照葉樹林の木漏れ日を浴びながら竜王岩神社を巡る散策が出来るのに、と残念に思った。
この灯台には過去に何度も来ていたのだが、今日のようにすっきりと澄み渡った秋空の下で見上げたことはなかったので、とにかく灯台のすぐ下まで行ってみることにした。灯台の周囲には頑丈なゲートが張り巡らせてあり中には立ち入ることは出来なかった。だがコンクリートの門に風雨に晒されペンキの剥げ落ちた表札が掛けてあり「姫埼灯台」となんとか読みとることが出来た。

姫埼灯台の表札
そこに書いてある「姫埼灯台」の「埼」は「崎」ではなくて埼玉県の「埼」という字であった。この「埼」と「崎」については私も気になったことがあり調べたことがあった。

姫埼灯台のいわれ
車に戻る途中、すれ違った観光客風のおじさんが私たちに「姫埼灯台はどこにあるのですか?」と声をかけてきたので、「この道をもう少し行けばありますよ」と教えてあげた。それからしばらくするとさっきのおじさんの連れと思しき3人のおばさんが歩いてきた。

姫埼灯台
事務所の車に乗り込み椎の木の木立の間のか細い道をゆっくりと走らせていると、だいぶ前から休業しているホテルの駐車場に北九州ナンバーのワンボックスカーが停めてあった。この車はさっきの観光客が乗って来たものに違いないと思い、だったらもう少し丁寧に教えてあげればよかったかなと思うのだった。