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吉井小学校の校歌、50年振りに復活!

2011-10-12 07:33:00 | ここがぼくたちの原点だった

 50年前に廃校になった小学校の校歌が、復活しようとしています。


 これは佐渡市秋津の両津吉井小学校が今年で創立50年を迎え、そのメモリアルイヤーの記念事業としてこの春からいろいろなイベントを催していたのですが、10月15日の文化祭に佐渡で活動を続けている「ウインドアンサンブル佐渡」が特別演奏会を開き、その中で前身の吉井小学校の校歌をピアノ演奏してくれることになったからです。

 曲目は子どもからお年寄りまでが愉しめるものをと選考していたのですが、実行委員の中から「この小学校の前身として現在の佐渡中央自動車学校の場所に吉井小学校があり、当日はその小学校に通っていた父兄や地域住民も来てくれるだろうから、その校歌をこの日公演するウインドアンサンブル佐渡から演奏してもらったら面白いではないか」という意見が出て、満場一致で決定したということです。

吉井小学校校歌と伴奏譜

 ただ話が余りにも急なことだったので、さすがのウインドアンサンブル佐渡としても練習する時間がないので、今回は小学校の自動演奏機能付きのグランドピアノの演奏だけということになったが、もし実現すれば50年前に廃校になった校歌の復活ということになり、文字どおり記憶に残るコンサートになるのではと期待する声も多いとのことです。

 これが実現すれば、今はもう聴くことが出来なくなってしまったと思っていた「北山黄金の花にほい」が、50年振りに復活するのですから、われわれ昔のよしいっ子にも愉しめる演奏会になるのではないかと思います。

 この校歌の譜面を両津吉井小学校に届けた佐渡市立野の田中照夫さんは、「昭和40年代に同校を卒業した吉井地区の住民の中には、組合立の吉井小学校から両津吉井小学校に移って来て、しばらくは校歌も校章もなかったのだから、この北山黄金を小学校の校歌として記憶している人も多いのではないか。 両津吉井の卒業生ばかりでなく、金井吉井小の卒業生のなかにも北山黄金の校歌を母校の校歌としている人が多いと思う。 この日演奏していただいたピアノの伴奏のデータで金井と両津の卒業生が一緒に歌える日が来たら嬉しいことだ」と目を輝かせながら話していました。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

みか [2011年10月12日 12:02]
こんにちわ^^

素敵な公演ですね!
いまだに、私も小学校の校歌>
全部、歌えますよww
やっぱり、一生忘れられない歌ですね

たくさんの方の思い出となるように応援します(^^)/
sadokakesu [2011年10月12日 12:25]
子どもの頃に覚えた歌ってなかなか忘れないもんですよね(笑)
ラジオ体操の「新しい朝が来た~♪」とか鉄腕アトムの歌だとか・・・ 未だに頭にこびりついています。
この50年前の校歌すっかり忘れてしまってましたが、これを機会に全部覚えて一生忘れない歌にしたいと思います。
ありがとうございました。

両津吉井小学校 創立50周年記念エコ風船飛ばし

2011-10-12 06:48:15 | ここがぼくたちの原点だった

 10月9日(日)快晴!
 今年の吉井地区運動会は、両津吉井小学校50周年のメモリアルイヤーということで、50周年にちなんだ競技やセレモニーが行われました。



 このエコ風船飛ばしもそのひとつで、両津吉井小学校の児童がこの小学校のシンボルとして育ててきたひまわりの種を一粒ずつ入れたエコ風船を、運動会に集まった参加者全員で飛ばしました。



 緑の天然芝のグラウンドでカウンドダウンの後、色とりどりのエコ風船が一斉に放たれるとグラウンドからは「わー きれー!」という歓声が沸き起こりました



 この学校の敷地に立っている「伸びゆく子ら」の像も、大空に吸い込まれていうエコ風船を眩しそうに見上げながら「僕達も50歳になっちゃったんだね」と笑っているようでした。

 もしこのエコ風船があなたのムラまで飛んでいったら、中に入っているひまわりの種を大事に育てて大きな花を咲かせてあげてくださいね。

※エコ風船飛ばしの動画です

コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

こあら★ [2011年10月12日 8:30]
おはようございます。

うちも子どもたちが通ってる運動会が30周年ということで
最後に園児みんなで風船を飛ばしました★
子どもたちはどんどん小さくなっていく風船をずっと
見守っていました。

あたしも人生初だったので、感動しました~!
子どもと一緒に感動を共有できるなんて、いい思い出になりました。
sadokakesu [2011年10月12日 12:17]
子どもと一緒に感動を共有できるって幸せなことですね♪
これからもいい思い出をいっぱい作ってください。
しょうこう [2011年10月12日 13:10]
素敵ですね~。そう言えば、風船が空を飛ぶなんて子供の頃の記憶だけでした。空を飛ぶんですよね~風船は。とても自然なことを感じさせて貰いました。

二宮金次郎少年は薪を背負いながら何を読んでいたのだろうか

2011-04-21 09:18:49 | ここがぼくたちの原点だった

 4月1日、会社の用事で加茂線を歌見まで行ったついでに旧馬首小学校に寄ってみた。 この小学校は2007年の3月をもって100年以上続いた歴史に幕を下ろしたのだが、私にとっては川上喚涛と所縁のある小学校ということでここを通るたびに気になっていたのだ。

 馬首小学校の校庭に入り人気のないグラウンドを歩いてみると、閉校から4年経って児童が通ってない筈なのに校舎もグラウンドもちゃんと手入れがしてあった。 家も学校も人の出入りが無ければ庭にはペンペン草が生え壁は崩れ屋根も抜け落ちるのが当たり前なのに、この集落の人たちは未だに学びの恩を忘れずに守り続けているのかと思ったら、わがことのように嬉しくなった。


馬首小学校の校舎

 そういえば、この小学校にも「二宮金次郎」の銅像があったことを思い出した。 ちょっと歴史のある小学校であれば、校庭のどこかに薪を背負って本を読みながら歩いている少年の銅像があると思うのだが、それが二宮金次郎の銅像である。

 ちなみに二宮金次郎は江戸時代の末に貧しい百姓の子として生まれ、当時の子どもは今のように義務教育ではなかったので、彼のような貧しい百姓の子は家では勉強などさせてもらえないばかりか大人と一緒に朝から晩まで田んぼや畑に出て働いていた。


 それでも金次郎少年は本を読むのが好きだったので、薪を背負って道を歩きながら本を読んで勉強したのである。 そして、とうとう金次郎少年は銅像になってしまった・・・ というのは冗談であるが、その勤勉さが小学生の理想・手本としてふさわしいということで、小学校の校庭に建てられるようになったのではないかということである。


二宮金次郎の銅像

 金次郎少年はこのように一生懸命に勉強した甲斐があり、後に「二宮尊徳」という思想家になられたのであるが、はたしてこの少年が薪を背負いながらどんな書物をお読みになっていたのかは興味のあるところではないか。

 そこで私は失礼になるということは百も承知で彼の後ろに回り、こっそり金次郎少年がどんな本を読んでいるのか調べさせてもらうことにした。 断っておくが私がこれからしようとしていることは、毎朝の通勤で満員電車に揺られながら隣の人が読んでいる東スポの官能小説を盗み読みしているおとうさんとは訳が違うのである。


 長い馬首小学校の歴史の中には二宮金次郎少年がどんな本を読んでいるのか知りたくて、台座によじ登りもう少しのところで目が届きそうな時に、教務室の窓ガラスがガラガラと開き「こらっ 何やってんだ!!」と怒鳴られた少年もいたことであろう。 あるいは二宮金次郎の本が気になって窓の外ばかり眺めていた少年も少なからず居たに違いない。 そんな少年たちが叶えられなかった夢を今、私が叶えてあげようとしているのである。

 しかし私には一抹の懸念も無くはなかった。 もし私が、ここまでして金次郎少年が手にしている本を見届けたとしても、その本がもしも低俗な本であったらどうすればいいのであろう・・・ ということである。 私の想像では、小学生の教科書だから「いろはにほへと」かもしれないし、「天は人の上に人をつくらず」みたいな道徳的なことが書いてあるのかもしれない。

 あるいはこの小学校は川上喚涛の所縁の学び舎だから、喚濤翁の竹に纏わる句でも書いてあるのだったらいいのだが、「のらくろ」の漫画だったり「へのへのもへじ」みたいな落書きだったりしたら洒落にならないよなあ・・・ と思うのだった。


金次郎少年が読んでいる書 

 しかしそんな私の懸念は、取り越し苦労でしかなかった。 金次郎少年が手にしている本には、大人の私でさえコメカミが痛くなるような漢字が草書体で書き連ねてあった。 かなり苦労したが、それでもなんとか読んでみると「一家仁 一國興仁 一家讓 一國興讓 一人貪戻 一國作亂 其機如此」と書いてあった。

 帰宅してから、インターネットで調べてみたら、彼が手にしているのは「大学」という書物で、「一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。 その機かくのごとし」という意味だとのことであった。 私は、小学生なのに「大学」などという本を読むとは、さすが銅像になるだけのことはあるよなと思いながら、馬首小学校をあとにした。

 馬首小学校の校庭には、もうひとつ「報学恩」と刻まれた碑が建っている。 この碑は昭和57年11月7日に馬首小学校の創立百周年を記念して建立されたもので、碑文は京都大学名誉教授の川上太左英氏が揮毫したものである。


「報学恩」


 川上太左英氏はこの馬首小学校を創設した川上喚涛の孫であり、この学び舎の卒業生のひとりである。 もしかしたら京都大学の名誉教授となった川上太左英農学博士も、この二宮金次郎の銅像を眺めながら育ったのかもしれない。

昭和57年11月7日 京都大学名誉教授 川上太左英

 もっとも彼は私のように二宮金次郎少年の読んでいる本に何が書いてあるのだろうと、台座によじ登って確かめるような悪戯な少年ではなかったと思うけどね。